閑話: 誘惑多けれど恋なりがたし
「ヴァレさん、大人気ですね」
夜、魔術の試験勉強をしにマンションを訪れた川畑が、今日の勉強会での話をすると、ヴァレリアは笑った。
「思ったよりこの世界の十代男子は思考が幼いな。浅はかな奴が多くて呆れる。お前はずいぶんましな方だったんだな」
「それはこれまで俺のことも思考が幼いと思っていたと言うことですね」
「いや、そうでもないぞ。私はお前のことはかなり好評価している。でも……」
ヴァレリアはニヤニヤした。
「ある意味お前はその男連中より幼いかもな」
「なんです?」
「いやぁ、お前も私と同じで、そういう男女のどうこうに興味が薄いだろう。武器だの宇宙船だののオモチャの開発に夢中で色恋に疎いのは、世間じゃ子供っぽいって言うんだぞ」
川畑はいささか複雑そうに顔をしかめた。
「俺も人並みにそういう欲はありますよ。今さらヴァレさん相手にそんなの思えないだけです。ジャックの宇宙船改造した時に散々雑魚寝とかしてたじゃないですか」
ヴァレリアはため息をついた。
「そうだよな。私も鎧開発時に坊主の体型データはバッチリ記憶しているから、今さらお前が目の前で脱いだとしてもそういう開発者の目でしか見れん」
川畑は嫌そうな顔をした。
実験室内の人外っぽい魔女にならまだしも、マンションの一室で部屋着の女性に、"お前の裸なんて隅々まで知っている"扱いされるのは居心地が悪かった。
「ちょっと不本意です」
「そうか?」
川畑の言葉をどう受け取ったのか、ヴァレリアはダイニングの椅子から立ち上がって、川畑をリビングのソファーに連れていった。
「なんです?」
「試してみないか?お互いそんな気分になるよう努力してみたら、意外とやれるかもしれん」
川畑は噴いた。
「なに考えてるんだ、あんた!?いや、さては、なにも考えてないな!なんとなく十代のガキより自分の内面が子供だとやだなとか思っただけだろう!そんなノリで知り合いを押し倒すな!!」
「とっさの分析力は流石だねぇ」
ヴァレリアはソファーに押し倒した川畑の上に馬乗りになって部屋着を脱いだ。
「どうだい?幼稚なクラスメイトより大人になってみないか?」
川畑は大きくひとつ深呼吸した。
ヴァレリアをまっすぐ見返した目は真剣だった。
「ヴァレリア。俺は貴女が凄い技術者で偉大な魔術師だから尊敬しているんだ。こんな子供じみた真似をして俺をバカにするなら、縁を切らせてもらうぞ」
ヴァレリアは川畑を見下ろして、ふふんと鼻で笑った。
「私もね、あんたがこれで襲いかかって来るようなら、さっさとここをオサラバして、二度とあんたにゃ関わらないようにしようと思っていたから、おあいこだな」
川畑は顔をしかめた。
「……たちが悪い」
「夜中に淑女の一人住まいの家に若い男をいれるんだ。安全確認ぐらいはさせてもらわなくっちゃ」
「そんな格好でこんなことしておいて、淑女が聞いて呆れる」
「いいじゃないか裸で迫ったわけじゃないし。ちゃんとお前が選んだ"見られても恥ずかしくないもの"を着てるんだから」
薄手の白いレースがふんだんに使われた下着姿で胸を張ったヴァレリアの下で、川畑はうめき声を上げた。
「さて、これでお互いの意思ははっきりしたことだし、戯れはこの辺りにして、やることやるとしようか」
ヴァレリアは艶やかな長い黒髪をかきあげて、悠然と笑った。
川畑は罠にはまった被捕食者のように怯えた。
「みっちり基礎から叩き込んでやるから覚悟しろよ。無駄な煩悩が枯れ果てるぐらいしごいてやる」
「ちょ、待っ……」
ヴァレリアは待ってはくれず、川畑は魔術の基礎を一晩中、徹底的に学習させられた。
早朝、転移で寮に戻った川畑は疲れきっていた。
いけないなと思いつつ、ついふらりとノリコの眠るベッドサイドに足が向く。彼女はいつも通り無防備に眠っていた。偽体のスリーブモードはあと1時間は解除されないだろう。
川畑は大きくため息をついて床に座り込んだ。ベッドの端に頭を持たせかけ目を閉じる。
「信頼に応えるのってつれえな」
川畑は体の物理的なコントロールはいくらでもできるが、心の方は木石というわけではない。
「好きな人の体だけ、コピーがここにあっても、心の方が果てしなく遠いんじゃ、どうしようもないよな」
川畑は今の中途半端なノリコとの関係を考えて憂鬱になった。
四六時中一緒にはいられるのはそれだけで嬉しいが、正直言うとその先の関係になりたい。しかし、時空監査局の実習中のノリコをそんなことで煩わせるのは気が引けた。
「(伝えてないからしょうがないとはいえ、俺のこういう気持ちが全然伝わっていないっぽいのがつらい)」
川畑は"良いお友達"枠に入れられて、好きな女性から男として意識してもらえない自分を嘆いた。
「(いかん。自分で自分の思考と行動が気持ち悪い。これではただの変質者だ)」
川畑はベッドサイドを離れて、冷たいシャワーを浴びた。
ぼんやりと遮音結界を調整しているうちに、多少、頭がしっかりしてきた。
「(とにかく、彼女の迷惑になることは止めよう。ここでの俺の役割は彼女のサポーター。よし、OK)」
おそらく非常にモテるであろうノリコは、これまで男から一方的な執着を押し付けられて不快な思いをしたことが沢山あるだろう。こういう他に頼れる味方がいない状態のときに、自分がその手の悪質な変質者のように恋愛関係を迫るのは最悪だろうと、川畑は改めて己を戒めた。
「(いつか俺が自分の世界に戻って普通の生活をするようになっても、彼女が時空監査官になっていたらひょっとしたら会いに来てくれるかもしれないな)」
そうしたら、ちゃんと告白しよう。
川畑はシャワーブースから出て、自分のベッドに倒れ込んだ。
自分の世界に戻るために必要なことを頭の中で整理する。この世界でのテスト勉強と、戻ってからの受験対策は、うまくやらないと実生活でトンデモ回答書くはめになるなと考えた辺りで面倒くさくなって、川畑は眠りに落ちた。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。




