妖精の森
着地したところは、夜の森だった。
濃い緑の薫り、黒々と絡まった梢の合間からは、柔らかな月光が零れて、蔦の絡まった樹々の幹と下草を照らしている。茂みや樹々の葉の間では、ホタルに似た光点が明滅しながら浮遊していた。
「出現時に転ばなくなるの早くないですか?」
「転移の法則が分かってきたので、自分で意識して穴に入ったときならだいたいいける」
川畑は膝を払いながら立ち上がった。
「ここが"精霊界"か?たしかに妙な植生だが、一応、人間の感覚で深い森みたいには見えるんだな。人外の発想した世界ならもっと見慣れない感じかと思った。……翻訳さん、仕事してる?翻訳OFFして……も、そう変わらんな」
「ここは単独で成立していない準世界ですから、親となる世界の基本概念の影響を受けてます。風景の外観がステレオタイプに感じるのは、多分そのせいですね」
「世界はそこの主の形成した概念で成立してるんだったっけ?精霊界と言えばこんな感じだろうという思い込みが反映されてるのか。ここの親世界って俺達の人類世界か?」
「そこから派生した小世界群だったと思いますよ。割と簡単に湧いては消える泡沫みたいな世界なんで詳しくは覚えてませんけど」
「ふーん。それで、精霊女王とやらはこの先にいるのか」
「この森の奥です」
帽子の男は暗い森の先を指差した。
川畑は目を細めた。
「翻訳強度現状のまま、さっき入っていた暗視効果のみ追加。そう、できたら強化頼む」
「その翻訳さんと会話するの、やめてくださいよう」
「え?でも頼むといろいろ微調整してくれて便利だぞ。あ、現地住人の通行頻度の高いラインを"道"としてガイド表示いれてくれた」
「もはや翻訳じゃない。なんか通常使用しないデータ参照してますけど、どんな知覚入れてるんですか。局の管理領域に不正アクセスしてません?」
「そんな指示はした覚えないけど、10の無茶振りすると、20の成果リターンしてくれる翻訳さんって可愛いよな」
「……自働機構が懐柔されてる。不正使用で摘発されても知りませんからね」
「まあ、デバイス登録者はお前だから」
「うええっ。返してください!」
「断る。これがないと協力できんぞ。お、なんか見えてきた」
涙目の帽子の男を連れて、川畑は石柱が並ぶ回廊に入った。
雪花石膏と大理石でできたような構造物は、華やかな植物紋様の金装飾で飾られていた。
「アルハンブラ宮殿の直線要素をスペインのアールヌーボー建築並みにうねうねにして、ロココの充填密度で装飾した感じですよね。ここ」
「例えはよくわからんが、装飾過剰で平衡感覚が狂う。これ作った奴は機能美とか適正限度というものを知らんのか」
「妖精女王の機嫌を損ねる発言は自重してくださいね」
「派手なの苦手なんだよ」
「ヤマトさん、タケシ少年とヌリカベ足して地味にまとめたみたいな感じですもんね」
川畑はちょっと眉を寄せた。
「どこのタケシくんか知らんが、ヌリカベ足した上にさらに地味にする必要はあるのか?」
「運慶と円空入れてもいいです」
「仏像じゃねぇか」
「あ、ロダンのが近いかな」
「考えるだけ無駄な選択肢だ」
「それだけ口悪いのに、普通にしてるとすごく人畜無害そうなのが不思議ですよねぇ。その開けてるか閉じてるかわっかんないぱっとしない垂れ目のせいかな?」
「……妖精女王がどこにいるって」
「この奥の広間です」
二人が広間に入ろうとすると、たくさんの光球が遮るように飛んできた。
光球は川畑を取り囲み、ぐるぐる回った。川畑の足元から霜と氷でできた蔦が生え、光球の動きにあわせて螺旋状の檻を作るように伸びた。
「なんだこれ」
氷の蔦を手で払うと、粉々に割れて崩れた。踏むと霜柱のような音をたてて潰れる。
光球達が動揺したように飛び回った。
「ちょっと待ってください!怪しいものじゃなくて、妖精女王様と約束があって来たんですよ」
帽子の男はあわてて光球に向かって弁明しだした。
「これ、言葉が通じるのか?」
「さっきからさんざん色々警告されてるじゃないですか……あれ?彼らの言葉が聞こえてない?ってことは、ひょっとして川畑さん、翻訳切ったままですか?」
「そういえば森でOFFにして、そのままだった」
「肝心の機能を使ってないとは」
「うん。今、自働設定に戻した」
光球が変換されて現れた妖精の兵士達の姿を見て、川畑はちょっと反省した。
氷の檻を壊した川畑を、妖精兵士達は少し怯えた様子で遠巻きにして、それでも悪し様に罵った。罵詈雑言に"おたんこなす"や"すっとこどっこい"が混ざっているのは、ニュアンスを考慮した超訳なのか、翻訳さんが笑いを取りに来てるのかどっちだろう……などと考えながら、川畑は大人しくしていることにした。
花や葉っぱや木の実の意匠の武具を着けた妖精兵達は、帽子の男の説明によると、妖精女王の眷族らしい。白ワニと違って、言葉を話し、それなりに知性があるように振る舞うが世界を成立させる思考能力はないオブジェクトキャラクターだという。
そんなものをいちいち相手にしてもしょうがないので、対応は丸投げしたのだ。
「で、なんで俺が試練とやらを受けることになったんだ」
「礼儀も言葉も知らない蛮族ではなく、傍若無人な勇者だと説明しました」
「どう違うんだ?それ」
「勇者なら女王に謁見できるので、ノリコさんを助けに行けます」
「よし。やる気出た」
連れてこられたのは円形の小部屋だった。
「勇者の証明って、何をすればいいんだ。黄金の羊のあてはないぞ」
「7つもやらなくていいですよ。その火を飛び越えればOKだそうです」
「潮騒か」
部屋の中央にあった浅い窪みの上に人の身長ほどもある炎が噴き出した。
「ガスバーナーの火が銅で炎色反応起こしてるみたいな色だな。焚き火より温度高いだろ。飛び越えるにしては高さも高いし、殺しにかかってないか?この試練」
「魔女裁判的な判決ではないはずですよ。あれは妖精女王の精霊力による魔法の炎なので、真に勇気ある者なら大丈夫だとかなんとか……ってまた話聞いてなかったんですか?」
「魔法だのなんだの戯言だと思ってたんで聞き流してた。ああ、要するにあれは視覚特殊効果なわけだ。なるほど、そういえばあの炎のサイズなのに熱気を感じないな。よし」
川畑はそのまま真っ直ぐ歩いて部屋を横切った。幻覚だとわかっていれば、どうということもない試練だった。
周りで見ていた妖精達はさらに動揺して大騒ぎを始めた。きっと警備兵として、少しのことで騒々しく騒ぎ立てるように性格付けがされてでもいるのだろう。
「で、女王には会えるんだろうな」
勇者かどうかはともかく、傍若無人な態度で、川畑は案内を要求した。




