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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第8章 学校だけが世界のすべてだった日々

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猟犬の顎 茶室の罠

赤松ランは階段を駆け上がっていた。身体強化系の魔法が得意なランだが、そんなものを発動しなくてもこれくらいはなんてことはない。

「おっと、ごめんよ」

階段はハンターでいっぱいだ。ランは踊場でSプロのスタッフにぶつかりかけた。ピンクのスタッフTシャツを着たSプロの1年生は特にこちらに目を向けることもなく、スタッフ間の通話に熱中していた。

「(あっぶねーな)」

ランはちょっと慎重になって、周囲を意識しながら階段を登った。

「冷てぇっ」

「くっそ、開かねぇ」

「どけぇ!俺が開ける!」

ゴツくて暑苦しい男子が屋上の扉に体当たりして無理やり開けた。

「(うわー、ダンプかよ。身体強化まで使って無茶苦茶してるな)」

ランが屋上に出てみると、川畑と植木がラグビー部やハンドボール部の男子に囲まれていた。屋上の向こう側には、サッカー部や男子陸上部などの面々がなぜか大人しく並んで座っていた。

「(なんだ?この状況)」

重量級同士がぶつかり合う中央にはとても割り込めないので、ランは屋上の端から、男子陸上部の顔見知りのいる方に回り込んだ。

「よぉ、赤松。見た?さっきのジャンプ。あいつ三段跳びで記録出せるんじゃね?」

「なにやってんの」

「俺達はハンター証破られたから再交付まで参加権停止中。あっ、あいつら腕章捕られたのにまだアタックしてる。ズルいぞ」

「こらー!ゾンビアタックやめろー」

その時、ホイッスルが響いて、黒いTシャツの一団がどやどやと屋上に入ってきた。



「猟犬参上!」

猟犬部隊(ハウンドドッグ)と書かれた黒Tシャツを着た男達の先頭にいたのは、風紀委員長の御形(ごぎょう)伊吹(イブキ)だった。

「腕章なしで交戦中のハンターは違反者だ。全員確保ーっ!!」

黒Tシャツの猟犬達が逃げ道を塞ぐように展開した。

「それから、ここの扉壊した奴は誰だ!かばいだてすると、連帯責任でこの場の全員しょっぴくぞ!」

御形が一喝すると、その場のハンターの視線がラグビー部の男に集中した。

「あっ、お前ら。覚えてろ」

御形はラグビー部の男を見て、獲物を見つけた肉食獣の顔をした。

「大人しく出頭しろ。……それとも、抵抗してくれるか?」

その場にいた野郎共全員が身震いした。

「ただいまより職員室に出頭して、反省文書いてきます!」

ラグビー部の男はなぜか敬礼して、あわてて階段に向かった。

「二人ついていけ」

猟犬部隊の2名が後を追ったところで、一瞬、空気が緩んだ。


「あ、逃げるぞ!」

誰かの叫び声で、ハンター達の視線は川畑と植木を探した。

「危ない」

二人は屋上の手摺を越えた向こうに立っていた。

川畑は肩越しに振りかえって、軽く会釈した。

「植木」

「はいっ」

植木はぴょんと飛び上がり、目をつむって川畑の首にしっかりと抱きついた。川畑は植木を抱き止めると、そのまま屋上の端から飛び降りた。

「うわぁああっ」

「落ちたぁ!?」

ハンター達があわてて手摺の向こうを覗き込むと、二人が飛び降りた真下には張り出し部分の屋根があり、階下の廊下側の窓から中に入れる構造だった。

「なんだ?降りれるぞ、ここ」

「追え!」

身軽な数名が早速手摺を越えて後を追った。

「うわぁあ!あいつら廊下の窓閉めやがった!」

「引っ張りあげてくれ」

「いや、下行って鍵開けてー!」

屋上組が、遅れて上ってきたハンター達ともめながら降りて来た頃には、川畑と植木はすっかり逃げおおせていた。




人目を避けながら、黐木(もちのき)はよろよろと中庭を逃げていた。

「(ダメだ。体が思うように動かん。まさか茶華道部にこんな恐ろしい罠があるとは)」

黐木はついに震える膝をついて、植え込みの陰に座り込んだ。

「(川畑くん、君らはこのような目にはあわんでくれよ)」

おそらく大半のハンターに目をつけられているであろう二人組の無事を、黐木は祈った。




茶華道部を訪れた川畑と植木は茶室に通された。

「意外にちゃんとした茶室だな。炉やにじり口まである」

「そうでしょう。高級品ではないけれどお道具もそれなりに一通り揃っているのよ」

茶華道部長は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「ここは中立地帯(セーフティエリア)だから普通に5分間の休憩だけでも歓迎するけれど、よろしければ、ぜひお茶の体験もしていってね。その場合は一通り終わるまでは滞在OKよ」

「なるほど」

中立といいつつちゃっかり体験入部っぽく勧誘できる仕組みになっているのかと、川畑は納得した。ここのように鬼ごっこでは勝ち目が無さそうな部活としては、消極策とはいえなかなか効果的な手だろう。

「さらにチャレンジコースに挑戦して課題をクリアできたら、ハンターに捕まった時、仲間が助けに来なくても脱出できるアイテムをお渡しするわ」

「そんなものまであるのか」

「それくらいないとなかなか体験に参加してくれないでしょ」

そうかもしれないなと、川畑と植木は思った。基本的にフリーフェアリーになっている生徒は積極的にあれこれやりたい性格ではないはずだ。

「わかった。せっかくだから何かやっていこうか」

「そうだね。外で逃げ回るより楽しそう」

二人はお茶の初心者向けチャレンジコースをお願いした。


「お茶の銀のチャレンジは、ここで点てた薄茶を召し上がっていただくだけでいいのよ。お作法から大きく外れなければ合格です」

きちんと着物を来たおっとりした美人の部員が現れてそう説明してくれた。

「作法と言われても、茶の湯はまともに習ったことがないからなぁ」

「皆さんそうですよ。もちろん最初に簡単にご説明しますから大丈夫です」

優しいその部員さんは、とても簡単な手順を教えてくれた。

「では、お部屋に入るところからスタートですよ」

二人はいったん茶室の外に出た。


植木は渡された懐紙と袱紗をどこにしまうか迷いながら、川畑を見上げた。

「お着物じゃないと、どうしていいかわからないね」

これは経験者に違いない!

川畑は主客役を植木に譲った。

「俺はお前が菓子を転がしたら、それも忠実に真似る気でトレースする」

「落語じゃないんだから」

不安そうな川畑を見て、植木はちょっと迷ってから、そっと妖精語でささやいた。

『こっそり教えようか?これなら他の人には聞こえないから』

川畑は戸惑ったように植木の顔を見返した。

『別にお遊びなんだからそんなことまでしなくていいぞ』

『でも、欲しくない?』

『欲しい』

くすくす笑いながら、植木は入り口の脇にすっと座った。

「では、参りましょうか」




「合格!今すぐ入部しませんか」

茶華道部長は植木の手をとってにじりよった。

「部長さんったら、中立参加なんですから、直接的な勧誘は控えなければいけませんよ」

お茶を点ててくれた着物美人は、興奮気味の部長をやんわりたしなめて、植木から引き離した。

「でもシズカ先輩。この二人、逸材ですよ!」

「ええ、お二人共とっても姿勢がよくて所作が綺麗ですね。特に植木さんはお作法も基礎がしっかり身に付いていて素晴らしいわ」

シズカと呼ばれた着物美人は、優しく微笑んで植木に封筒を渡した。

「はい、どうぞ。銀のチャレンジの賞品の"銀の鍵"よ。捕まった時にはこれを封筒から出せば、助けがいなくてもハンターの檻エリアを脱出できるわ」

「ありがとう」

「"銀の"ということは、金の方は効果が高いのか?」

「そうよ。チャレンジは難しいけれど、"金の鍵"なら、檻から脱出後100数えるまで、ハンターは逃げたフェアリーを追ってはいけないの」

「それは圧倒的に金の方が有利だな」

「ここではお華が金のチャレンジでしたよね」

「そうですよ。実際に床の間用のお花を生けていただきます。お花代がいくらか実費で必要ですが、やってみますか?」

植木は川畑をつついた。

「金の鍵、欲しい?」

「捕まる気はないけれど、保険としては手札に欲しいかな」

「じゃあ、チャレンジしてみます」

こいつまさかお華もできるのか?

綺麗な姿勢で正座している美少年を見て、様子を見ていた茶華道部員達は戦慄した。




「はい。金の鍵をどうぞ」

シズカさんは微笑みながら、植木に黄色い封筒を渡した。

「お茶とお華の経験は?」

「正式なお稽古はしたことがないですが、母がそういうのが好きなので、家で母から少し教わったり、一緒にお茶会に連れていってもらったりしたことはあります」

「なるほど、お母様が。それは素敵ですね。ここは寮生活なので、そういう機会がどうしても減ってしまうの。もしお茶室の雰囲気を楽しみたくなったら、入部しなくてもいいから、いつでも遊びにいらしてね」

「えっ?入部しなくてもいいんですか?」

「ええ。来たいときに気軽に来ていただいていいわ。ね、皆さん」

茶華道部員達は想像してみた。ここで入部をごり押ししなくても、この美少年が遊びにくる度にちやほやしておけば、なしくずしに実質部員扱いできるし、それを餌に女子部員が釣れるに違いない。それに、とにかく来てもらえればお近づきになるチャンスは増えるのだ。

「はい。いつでもお越しください!」

皆、よい笑顔で声を揃えた。


一通り終わった後で、シズカさんは奥から包みを持ってきて川畑に渡した。

「これは副賞です。私の友人からの頂き物なのだけれど、どうぞお持ちになって。あなたも大変素晴らしかったわ。植木さんがお華を生けている間も、ずっと綺麗な姿勢で正座していらしたでしょう。足は大丈夫ですか?」

「足?ああ、畳なら正座は辛くない」

「慣れてらっしゃるのね。慣れない方は、ちょっと座っていただけで、痺れてしまって動けなくなるのよ」

「……ひょっとして、ここで茶会体験した奴の何人かは、その後、しばらくまともに逃げれないんじゃないか?」

「あら、大変。そういうこともあるかもしれません」

あまり大変だと思っていなさそうな感じで、おっとりと小首をかしげながら「彼、大丈夫だったかしら」と呟く着物美人の先輩を見ながら、川畑は黐木の無事を祈った。

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