身を護る必要性は実感しました
あんなことがあった後なので、何か変わるかと思ったが、週明けの川畑は平常運転だった。
「おはよう」
普通に真顔で挨拶をし、てきぱきと支度をし、ついでに植木の面倒もみて、教室で真面目に勉強した。
植木……というよりノリコは拍子抜けした。偽体の彼女の記憶は昨夜更新されたばかりだったので、今朝はまだ二人で過ごした時の事で頭がいっぱいだったのだが、川畑の方はノリコと別れた後に派手にドンぱちやらかした上に、さんざんおっさんどもに絡まれたので、すっかり甘い気分はすっ飛んでいたのだ。
「(なんか一緒に行ったわけでもない私だけ意識してると恥ずかしいな)」
ノリコは努めて植木実らしくあるよう、男の子っぽい言動を意識して行動した。
「川畑くん、そういえばこの前、護身術教えてくれるって言ってたよね。今日からお願いしていい?」
「いいぞ。Sプロのあれに出ることになるなら、多少はやっておいた方がいいだろう」
放課後、寮に戻ってから軽い初歩を始めようということになった。
「あ…ちょ……やだ、こんな」
「ほら、こうなると身動きとれないだろ」
「でも、まだ足が動くから」
「そうそう。ただ、早く行動しないと、こんな感じで詰められた場合、足も自由が効かなくなるから」
「ああっ、待って。こんなのダメ」
「あまり大きな声をあげないで」
「んんん」
「何をやっとるんだ、お前らは」
部屋に入ってきた風紀委員長の御形伊吹は、二人を見て眉をひそめた。
「あ、伊吹先輩。こんにちは」
二人部屋の共有スペースのテーブルを脇に寄せて、ベッドのマットレスを敷いた上で、植木を取り押さえていた川畑は、顔をあげていつも通りの挨拶をした。
「んんんんん!」
手足の自由を奪われて、口をふさがれていた植木は、挨拶どころではなく、真っ赤になって抗議した。
「……川畑、植木を襲っちゃいかんぞ」
「じゃあ、伊吹先輩、襲う係やってください」
「おいおい」
「んー!」
植木は猛烈に抗議した。
「なんだ。護身術の練習か」
「二人だと、植木がお手本を見ながら覚えるっていう訳にいかなくて、なかなか難しかったんですよ。伊吹先輩、協力してください」
「そういうことならいいぞ。何をすればいい?」
「先輩、ハンター役お願いします。先輩が俺を取り押さえようとするところで、俺がそれを防ぐという形で実演しましょう。植木はそれをよく見て覚えて。それならわかりやすいだろ」
「うん。まぁ、それなら……」
植木の前で、川畑は御形に向かい合った。
「では、伊吹先輩。俺を襲ってください」
「なんだかなぁ」
御形が伸ばした手を、川畑は内側から軽く払った。
「単純にまっすぐ来た手は、これで避けられる」
横を向いて植木に説明する川畑の前で、御形は面白くなさそうに口をへの字にした。彼は今度は両手で川畑を捕まえにかかった。
「こういう時は、脇にかわす」
御形の腕は空振った。
「大きなアクションは隙が大きいから、植木の運動神経なら冷静に見極めれば避けられる」
こちらを見もせずに解説を続ける川畑の隣で、御形はTシャツの袖を肩まで捲った。
無言でつき出された御形の左手を掴むと、川畑はその手を捕まえに来た右手を払いながら、体を捻って御形の背後に回った。
「ダメですよ、伊吹先輩。いきなりフェイント付きは、初心者への例題としては難しいです」
「例題なら、この辺りでいっぺん捕まれよ」
「植木は体格的に捕まったら不利なんで、基本的に避ける技術を習得した方がいいんです」
「避ける"技術"って、お前は習得してるのか、それ」
「多少、習ったことがあります」
御形はニヤリと笑った。
「よし。ぜってー押し倒す」
大男二人の抜き手と蹴りが激しく交差する怒濤の格闘戦を見ながら、植木は「このレベルを要求されると困るなぁ」と思った。
「痛っ」
「すみません。大丈夫ですか?先輩」
「よし、捕まえた」
「あ!くそっ、卑怯なマネを」
まんまと川畑を組伏せた御形は愉快そうに笑った。
「植木、お人好しが油断するとこういう目に合うからな。気をつけろよ」
「は、はい……」
「よしよし。今から簡単な捕縛方法を教えてやる。いいか、こうやって捕まえたら……こら!講義中だ。暴れんな」
御形は川畑の頭をひっぱたいて黙らせると、楽しそうに拘束方法を解説し始めた。
「細引きがあれば便利なんだが、ないときは、相手が身に付けているもので代用も可能だ。こういうシャツの場合は、半分ほど前を開けてから、肩を剥いてここまで引き下ろすと二の腕が絞められる」
「伊吹先輩!」
「ベルトも便利だぞ。外してこうやって手首と足首をまとめて縛るとほぼ相手は身動きできなくなる」
「何を手際よくヤバイことを!?」
「それでもこうやって暴れる奴は急所に一発いれてやるとおとなしくなるから」
御形は川畑の顎を後ろからつかんでぐっと体を反らせた。
「男の急所は正中線沿いに並んでる。鼻の真下と顎は殴ると効くが、的が小さいし怪我が目立ちやすいからやめておけ。喉仏も一瞬息が止まる程度のダメージならいいが、窒息されたり大ケガにつながると面倒だ」
川畑の喉仏全体を手の平で揉むように圧迫しながら、御形はいい笑顔で植木に説明を続けた。
「みぞおちは攻撃しやすいし、うまくはいると横隔膜がやられて息ができなくなるから、いい感じに相手の動きを止められるけど、こういう筋肉野郎の場合、狙いが甘いと腹筋でガードされる」
無防備にさらされた腹を適当に撫でてから一発殴って、御形は「やっぱり効かねぇな」とちょっと嬉しそうに呟いた。
「という訳で、一番簡単なのは金的だな。こいつは鍛えて強くなるってもんじゃないから」
「やめろ!植木に変なこと教えんな!あっ、こら」
「いやいや、捕縛相手を手軽に無力化する方法って、けっこう重要だぞ。植木、よく見とけよ」
ノリノリで解説する御形だったが、植木は目のやり場に困って曖昧に返事をするしかなかった。
「あとは魔力を直接、相手に注ぎ込んで魔力酔いを起こさせる方法があるが、力の格差があると、逆にこちらがダメージを食らうことがあるし、魔力の相性によっては単にちょっと気持ちいいだけで終わってしまうこともあるから、それほどオススメじゃないな」
「もういいから、いい加減にこの体勢から解放してくれ」
「やっぱり簡易拘束はつらいか。明日はちゃんと捕縛用のロープ持ってきてやる」
「要らん」
「植木のためだ。頑張れ、教材」
「完全にあんたの趣味じゃねーか」
「いや、俺の趣味はもっと……」
「知りたいわけじゃない!」
「遠慮するな。なんならそっちも一通り体験させてやってもいいぞ」
「やめろ!」
「なぁ、植木。こうは言ってるがこうやって捕まっちゃうと抵抗できないから、されるがままなんだぜ、ほら。面白いだろう」
「まじでやめてください。シャレにならな……うぁ…」
「植木相手だったらシャレにならんが、お前なら大概大丈夫」
御形は川畑をいじめたおしながら、いたって良い先輩風の顔をして、植木に笑いかけた。
「な、こうなりたくなかったら、捕まらないように真面目に練習しろよ。協力してやるから」
イベントの日まで、植木は護身術をみっちり習った。




