今日の君を俺の嫁と言いたい
白を基調にピーコックグリーンがグラデーションで入ったドレスは、タイトなマーメイドラインで、恐ろしく移動に不向きだった。
「標準重力の半分だから、慣れないと歩きにくいだろう」
川畑はそう言って、ノリコを縦抱きに抱き上げた。
「じ、自分で歩くから下ろして。重いでしょう?」
「軽いよ。火星重力だから遠慮しないで。どうせたいした距離は移動しないし、この方が早い」
オーダーメイドの礼装を万全に着こなした川畑は、ホテルの廊下を大股に歩いた。
「でも……」
彼は抱き上げたノリコの耳元にそっとささやいた。
「ここ、ブルーロータス号と同じ世界なんだ。でも、今回は偽体じゃなくて本体で転移してきているから、翻訳機構は俺に依存している。できるだけ俺から離れない方がいいから」
「は、はい。そういうことなら」
彼の大粒の真珠のタイピンの意匠が、自分がつけている真珠のネックレスとお揃いであることに気づいて、ノリコはどきどきしながら、緊張ぎみにうなずいた。
ホテルのロビーで、川畑は軽く合図して、車を用意させた。ホテルの豪華さに圧倒されて緊張していたノリコから見ると、彼はとても場馴れした感じで、この程度の高級ホテルは日常的に利用しているというように見えた。
「どこまで覚えているんだっけ?」
「どこまでと申しますと?」
用意された車に、自動運転の台車が荷物を積み込むのを確認しながら、川畑はノリコに尋ねた。
「前回の偽体の記憶は更新不良で共有していないだろう。偽体の君を知っている人には、事故のショックによる記憶喪失で通すから、どのくらいの差異がある設定にしておくか確認しておいた方がいいと思って」
「前回は……プールやカジノで遊んだ記憶はあるわ。あとはレセプションパーティーも覚えている」
ノリコは記憶をたどりながら、川畑と共に車に乗った。
「俺のこと"あなた"って呼んで、頬にキスするぐらいまではできたんだっけ?」
偽体の私ぃ~っ!何やってくれちゃってんの~っ!?
ノリコはかなりゆで上がっていた頭が完全に沸騰した。
「……ムリ…です」
「わかった」
川畑は神妙にうなずいた。それでもなにか心残りらしく、ちらりとノリコを見て、「念のために確認しておくけど」と前置きした。
「俺の方からもダメか?」
「というと?」
川畑はノリコを抱き寄せて、膝にのせた。
「"愛してる"」
彼はノリコのこめかみに軽く口づけた。
「ふわっ!?」
ノリコは目をこぼれんばかりに見開いて真っ赤な顔で、口をわなわなと震わせた。
「やっぱりダメか。わかった。やらない」
「ええっ!?」
「でも、ロイ・ハーゲンは新婚の病弱な妻を溺愛しているという設定で通っているので、ある程度合わせてくれるとありがたい」
「はいぃ!?」
ぐるぐる空回りする頭を叱咤して、ノリコは激しく葛藤した。記憶が統合されていない部分で何があったのか問い詰めるべきかどうか、答えはでないまま、車は"競馬場"に向かった。
"競馬場"はノリコが思っていたのと全く違った。
まず走るのが馬ではなかった。ダチョウよりも大きな鳥が競うレースだったのだ。赤と金のゴージャスな羽の一羽が川畑の所有する鳥らしく、ノリコ達は関係者の招待客だけの一番良い席に案内された。シートは固いプラスチックではなく、素材不明のゆったりしたものだった。
「共同名義ではあるんだけど、一応少し出資しているから鳥主なんだ」
「このドレスとか、さっきのホテルとか、相当高そうなんだけど、ひょっとしてかなり資産家なんでしょうか?」
「君がカジノで稼いだ額を考えたら、そのドレスなんて安いものだよ。俺はあれをちょっと増やしただけだから」
川畑は手元の薄いパネルになにやら入力した。
「今日も賭けてみる?」
「あ、そこは競馬と一緒なんだ」
「当たらなくてもいいから、参加してみよう。開始まで時間もあるし」
二人は、芝生ではなく赤い砂が敷かれたコースや、パドックの鳥達を順番に見て回った。
ノリコはその日の大荒れに荒れたレースで、三連単を当てた。
「ジャック、優勝おめでとう!」
「おう!すげーだろ!!褒め称えろ!」
「すごい!ジャック、すごい!」
「ジャック、カッコいい!」
祝勝会の会場で、本日のヒーローは、左右にとんでもない美少女を侍らせて高笑いした。それぞれ青と黄色の対になった意匠のドレスを着た少女達は、川畑を見ると笑顔をさらに輝かせた。
「マスター、見ててくれた?」
「ジャックとチッピーかっこよかったでしょ」
「ああ、素晴らしいレースだった。おめでとう、ジャック」
優勝騎手は得意満面に今日のできが如何に良かったかを語った。
「ああ、やっぱり祝勝会に身内がいるっていいな。来てくれてありがとう。ノリコも」
知らない男性に突然親しげに声をかけられて、ノリコはびっくりした。
「俺が赤金鳥の騎手なんかやってて驚いただろう?人生ってわかんないもんだよな。ノリコはもう体の調子はいいのかい」
「はい。おかげさまで」
「それは良かった。二人でパーティーを楽しんでいってくれ。俺、まだあっちの偉いさんがたに挨拶してこないといけないんだ」
「まだだったのか。あれ主催者だろう」
「ははは、この俺が火星総督に挨拶だって。信じられねぇ。お前、一緒に来てくれないか?なに話していいかわかんねぇよ」
「仕方ないな」
「ノリコ、しばらくの間、カップとキャップを頼むよ」
「悪い。すぐに帰ってくるから。ほら、ジャック、さっさと行くぞ」
にやけた二枚目半の青年は、軽く手を振ると川畑を連れて、なにやらとても偉そうな人とその取り巻きの方に歩いていった。
「ノリコ、久しぶり」
「元気だった?」
「カップ?キャップ?」
ノリコは自分の記憶にある小妖精達と、目の前にいる自分と同い年くらいの少女達を、にわかには一致させられなくて戸惑った。
「どう?今日は僕たちもおっきくなって、一緒にパーティーなの」
「お揃いのドレスカッコいいでしょ。マスターが用意してくれたの。ノリコも素敵だね」
「ありがとう。あなた達も素敵よ」
「学校でマスターはちゃんとやってる?」
「ノリコ大事にしてる?」
「大事にしすぎて迷惑かけてない?」
「マスター、加減が下手だからね」
「やりすぎだって思ったら叱っていいからね」
今日一日ですでにかなりやり過ぎな目にあってる気がする……。
ノリコは、二人の妖精の矢継ぎ早な質問にたじたじになりながら、ずっと気になっていたことを恐る恐る尋ねてみた。
「ねぇ、カップ、キャップ。あなた達のマスターって、あの豪華客船でレセプションパーティーがあった日から今日までで、どれくらいの間、私と一緒にいた?」
「何日だろう?レセプションパーティーって、事故の前の日だったっけ?」
「よく分からない。事故のあと、ジャックの船であちこち回ったよね」
「ジャックって、さっきのあの人?」
「そうだよ。みんなで一緒の船で月まで行ったの」
「その間、そのう……あなた達のマスターは私を…大事?にしてたのかな」
「ノリコ、本当に思い出せてないんだね。あんなに楽しそうにしてたのにもったいない」
「思い出せてないというか、記憶がないのよ」
「そんなはずないよ。記憶は送られたけど、本人が受け入れられない限り思い出せないんだって」
「そうなの?」
「急がなくていいから、そのうち思い出してあげてね」
「お月様でノリコとサヨナラする時、マスターとても悲しそうだったから」
ノリコはホテルを出たときの川畑を思い出した。
「ひょっとして、彼、"愛してる"って言ってた?」
「毎日言ってた」
「朝晩欠かさず。もっとだっけ?」
ノリコは目眩がした。
「新婚の奥さんにはこれぐらいが普通だって言ってたけどたぶんやり過ぎ」
「マスター、加減が下手だから」
ノリコは想像してみた。
どうやらあの後、何かの事故があった都合で、小さな個人用宇宙船で、パイロットと自分たちだけになったらしい。おそらく川畑はその時、"新婚夫婦"という設定にふさわしいように過剰に演技してしまったようだ。記憶の更新不良で動作がおかしい偽体をかばいながらだったせいかもしれない。
"ロイ・ハーゲンは新婚の病弱な妻を溺愛しているという設定で通っている"と彼は言っていた。
真面目だけど発想が時々おかしい彼が、動作不良の偽体を抱えながら言い訳に四苦八苦して、奇妙な結論にたどり着いた様子が容易に想像できた。
「そっか……」
事実はもう少し川畑の下心が働いていたのだが、そうとは知らないノリコは、善意の解釈をした。
「そういうことなら、彼のためにも、頑張ってそれっぽく振る舞ってみようかな」
人はそれを大義名分を手に入れたというのだが、ノリコはそこまでの自覚はなく、川畑の奥さんを務めきる覚悟を固めた。
その後、戻ってきた川畑と一緒に、ノリコはパーティーの出席者に順に挨拶に周った。
「妻です」と紹介されても、うろたえずに穏やかに微笑んで挨拶するノリコに、川畑は気を良くして、「愛する妻です」とか、「我が最愛の妻です」とか、とんでもないバリエーションを導入し始めた。
「やっぱりノリコがいると、奴が実はかなりバカなのがよくわかって面白いな」
「マスターは全然わかってない」
「あれはダメだよね」
「でもノリコもノリコだから」
やり過ぎた川畑が、柱の影でノリコに必死に謝っているのを見ながら、ジャックとカップとキャップは、「ダメだこりゃ」という結論に達した。
赤くなった顔を両手で覆っていたノリコが、川畑を手招きして、何かを小声でささやくと、川畑自身も顔を覆って柱にもたれかかった。
ジャック達は、バカップルには介入しないことにした。
主人公の主観は要するにサブタイトル。
なんだかんだでわりと煩悩に忠実な男である。




