帰宅
「俺達も帰ろう」
とは言ったものの、川畑は気になっていることがあった。
「ちょっとここで待っててもらってもいいか?俺、砂だらけだからちょっと払ってくる」
「えっ、それぐらいここで……」
「なんかズボンの中までジャリジャリだから」
「どうぞ!行ってきてください。私達ここで待ってます」
背中をぐいぐい押して、ノリコは川畑を岬の向こうに追いやった。
手頃な岩に腰かけて待ちながら、ノリコは隣にいる帽子の男に尋ねた。
「あの、そういえば、ここはどこなんですか?」
「えーとですね。あなたが生まれ育ったのとは違う世界です」
「地球じゃないってことじゃなくて、この世とかあの世とかそういう奴ですか?」
「うーん。死後の世界とか輪廻転生とかもちょっと違うんですよ。ほら、時空って時間と空間で広がってて、各世界がそれぞれ固有の範囲で存在してるでしょ」
「はぁ」
「それぞれの世界はそこに存在する思考可能存在が定義した原理で成立しているので一概には言えませんが、空間の縦横高さ3次元+時間軸でできたソーセージみたいな形の世界があった場合、その時間軸に垂直な断面が、一般的にあなたが認識しうる世界です。今いるここはあなたの世界とは別のソーセージです。空間的にも時間的にも共通点はありません」
「ええと……」
「我々、時空監査官は、世界の均衡を維持するために、点在する世界から世界へと"穴"を使って転移します。今回、あなたと彼は間違って開けられた穴に落ちてしまったようです。申し訳ありません」
「はぁ」
ノリコは曖昧にうなずいた。場違いな"ソーセージ"という単語に気をとられてどうにも説明されたことがうまく理解できなかった。
「それにしてもとんだ大騒動でした。本来、ここの世界は大したことない主が単独で成立させていた、単純で安定した世界のはずだったんですが、キャプテンがやりたい放題やったせいで、主は暴れるわ、風は吹くわ、日は昇るわで大騒ぎです」
「ヌシってあの海にいた大きい怪物?」
「はい。この世界を成立させていた思考可能存在です」
「この世界の神様だったの?」
「まぁ、そういう言い方もできますね。ただここの神様はそんなに賢くないので、その創造した世界には昼も夜も世界の果ても、なんにも定義されてなかったんです。あまり深いことは気にしない典型的な低級主です。それなのにキャプテンが……」
帽子の男は天を仰いで困った顔をした。ノリコも一緒に青空を見上げた。朝日がきらめいて風がそよぐ気持ちのいい晴天だ。
「大気圏、成層圏、そもそもの空気の定義に対流の概念、地面は丸めて惑星にしちゃって、重力どころか磁場に地軸に自転公転取り揃え。そうそう!朝日があると様になるからって、恒星創るのひどくないですか!?しかもちゃんと1天文単位先で核融合してる奴って頭おかしいですよ!ドーム型の天をめぐる光の円盤ぐらいで妥協すればいいのに」
「太陽を……創った?」
「空間拡張がどれだけ起こったと思います!?空間が相転位してとてつもない変化が一瞬で起こったんです。変動したエネルギー量を考えると頭が痛いですよ」
ノリコは海の上で輝く太陽を眺めた。日差しが暖かい普通のおひさまだった。
「ね?わざわざ電磁波全部つきで太陽作って、惑星磁場と大気圏で有害な部分をカットするとか、作り込みが偏執狂じみてますよねぇ」
「昨日オーロラを見たわ」
「あのときからおかしくなり始めてたんですよ。ただの光のカーテンかと思ったんですが、磁場と大気と放射線の概念でも作り込む実験してたんでしょうねぇ」
帽子の男はため息をついた。
ノリコは昨夜起こったことと、今日見たことを順番に思い返した。
「とにかく。こんなてんこ盛りの複雑な設定をここの主が単体で管理できる訳がありません。早晩、処理落ちして崩壊するので、あなた方は早めに立ち去った方がいいです。ただでさえキャプテンに撃たれて満身創痍なのに、今の時点でここまで世界が安定しているのが奇跡みたいなものです」
「私達の世界の神様は大丈夫なの?」
「あなた方の世界は、能力の強弱はあるものの住人全部が思考可能存在という凄いとこですから、一緒にしちゃいけません。歴代の恐ろしく頭の良い個体の発想を、検証、発展させた上で、億単位の主が共有概念で支えてるんですから」
「特定の神様はいなくて人類全部が主ってことなの?」
「そうです。強い説得力と整合性で信じられた概念が、世界に反映されてます。物理の新説が広まって、後に実験結果が出たり、観測されたりするでしょう」
「ええっと、じゃぁ、キャプテンさんとかも、凄い物理学者さんと同じってことなのかな」
「違います。自分の世界を発展させるのと、よその世界に行って、そこの世界の均衡をメチャクチャにするのは別問題です」
「よその世界を騒がせるキャプテンさんみたいな人って、悪い人なの?指名手配とか……」
「キャプテンは要注意人物で有名ですよ。私は監査官でも逮捕権限持ってないから口頭注意だけで放置せざるを得ないですけど、中にはあったら即殲滅って息巻いてる奴もいますね」
「逮捕じゃなくて死刑なの?」
「キャプテンって個人の能力で自在に転移するから監禁できないんです。監査官の口頭注意で収まってくれればいいんですけど」
「そう……」
ノリコは川畑がいるはずの方を見た。
「ねぇ、時空監査官ってどうやったらなれるの?」
「有力者に推薦をもらって、適性検査の後、研修と試験……ですかね」
帽子の男は、といっても自分は全然違ったから詳しく知らないといって笑った。
「待たせて悪かった。行こうか」
戻ってきた川畑は、ノリコの手をとった。
「お願いします」
川畑はノリコを見下ろして少し考えると、おもむろにかがんでノリコの膝裏をさらって抱き上げた。
「な、なに!?」
「転移のときって落ちるから。落ちたとき、この方が安全だ」
さっきみたいに首に掴まって、といわれてノリコは言葉に詰まった。恥ずかしいだのなんだの今さら言いづらいぐらいやらかしてしまっていた。
「う、……お願いします」
いわくお姫様抱っこの姿勢で首筋に腕を回して顔を埋める。とてもではないが、相手の顔を間近で見ていられなかった。
「私はもう少しここの観測をしていきます。局に報告しないと」
「おう。仕事しろ、専門家。じゃあな」
川畑は穴に降りた。
軽い浮遊感のあと、二人は花柄のシーツが掛かったベットの上に倒れ込んだ。
自分の部屋だ。とわかったとたん、ノリコは猛烈に恥ずかしくなった。
川畑が自分の部屋にいること自体が既に恥ずかしいのに、よりによって自分のベッドの上で!しかもアンダーシャツしか着ていない胸に!しっかり抱き込まれている……というか自分から抱きついている!!
「大丈夫か?できるだけ落下は抑えたけど、やっぱり落ちる感覚まだ怖いよな」
当の川畑は気遣わしげに低い声で囁きながら、ゆっくり背中をさすってくれるが、正直、これで落ち着けというのが無理な話だ。
友人が撮ってくれた無許可2ショット写真を見ながらあれこれ考えていたときも、さすがにここまでのシチュエーションは妄想したことはない。
「……大丈夫……です。……ありがとうございました」
なんとか体を起こすと、ベッドの上に仰向けに横たわった川畑の上に座って、彼の両肩に手をついているという……これ、私が彼を押し倒してる図だよね!?なことになってしまい、さらに焦る。
「?……なに?どこかぶつけた?」
彼が単純に心配してくれているみたいなのが、罪悪感を煽った。
「(これ絶対あとで思い出したらダメなやつだ)……なんでもないです」
川畑は上体を起こして、ノリコを膝にのせたまま彼女の乱れた髪を整えた。
「とにかくやっと帰ってこれたな。変なことに巻き込んで本当に悪かった。今回のことは悪い夢だったと思ってさっさと忘れてくれ」
「……はい。(できるか~っ)」
心の中で絶叫するノリコをよそに、川畑はいたって冷静に部屋の時計を見た。
「そんなに時間はずれずに帰ってこれたみたいだ。ご家族も気づいてないんじゃないかな」
「父も母も帰宅は夜なので大丈夫だと思います」
「良かった。不審者が部屋に出入りしているのばれたらどうしようかと心配だったんだ」
たしかに彼と彼女の距離は不適切極まりなかった。
川畑は咳払いをひとつした。
「じゃ、じゃぁ俺も帰るよ」
ノリコを膝の上からそっとベットに下ろして、何事もなかったかのように装いながら、川畑は立ち上がった。
「そうだ。書くもの貸してくれないか。連絡先渡しておくから、何かあったら連絡してくれ」
「あっ!はい。わかりました」
「……警察に通報はやめて欲しいな」
「しませんよ!……川畑さんってお名前なんですね。なんでヤマトって呼ばれてたんですか?」
「いろいろ浅い理由があったんだよ。あー、帰ったら引っ越し荷物片付けないと。くそう、疲れた。正直もうここでちょっと寝ていきたい」
「だ、ダメですって!それはダメです」
「わかってるよ。こんな湿気ったズボンのまま寝たら布団が湿るからな」
疲労が溜まって微妙に思考がずれているらしい川畑は、ポケットを探って何かを取り出した。
「そうそう、これあげる」
ノリコの手に乗せられたのは、小さな石だった。
「これ、あの海岸にあった……」
石の中では小さな灯が輝いていた。
「気に入ってたみたいだったから」
地面に転がっているときはなんとも思わなかったが、実はキャプテンの時計に飾りでついていたのがカッコいいなと思って、お土産にすることを思い付いたというのは内緒だ。
「綺麗……」
「大粒のエメラルドは無理だけどな。……あ、嫌なこと思い出すなら捨てていいぞ!」
「ううん、嬉しい。大事にするね」
ノリコは貰った石を両手で大切に包んだ。
「さてと、俺の部屋は……」
左手をかざして目を閉じた川畑は、そこで固まった。
履歴がない。
正確には、古い分が消えて、最新10箇所の履歴しか残っていなかった。
「……そういう仕様なら教えておいて欲しかった」
「どうしたの?」
「歩いて帰るから、履くもの貸して。ビーチサンダルとかない?」
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。




