残念ながらこれが通常運転です
無機質な白い部屋の中央に置かれた、長径2mほどのカプセル風のベッドの中で、植木実は目を覚ました。
綿のようなふわふわした内張りをかき分けてカプセルから出る。
体に疲れや凝りはなく、着たままの制服もなんとなくさっぱりしており、シワもよっていない。
カプセルの脇の小テーブルには、"メンテナンス完了"、"異常なし"とのメッセージが浮かんでおり、帽子の男に頼んだ包みが置いてあった。
「うん。ちゃんと届いてる」
どうやらいつものスリープモードの更新とは別に、この半日分の記憶もちゃんと更新されたらしい。
植木はテーブルの脇に置いておいたバックに、包みをしまうと白い部屋を出た。
「ただいま」
寮の部屋の戸を開けると、勉強机に向かっていた川畑が振り向いた。
「おかえり」
「(これ、同じところに住んでいる感があって、意識するとすごく恥ずかしいな)」
二人は同時に同じ事を考えたが、どちらも表には出さなかった。
「ずいぶん早く帰ってきたんだな。今日は実家に泊まるって言っていなかったか?」
「そのつもりだったんだけど……なんとなく」
植木は荷物を持って自分の机がある側に入った。ここから視界は通らないがパーティション越しに話はできる。
「川畑くんは、今日はお菓子作り?」
「……ああ」
「なに作ったの?」
「イチゴと生クリームのデコレーションケーキ。搾り出し袋って難しいな。2台作って1つは失敗した」
「もう片方は成功したんだね」
「見るか?」
「あるの?見たい」
パーティションの向こうでがさごそ音がして、共有スペース側に川畑が保冷ボックスをもって現れた。
「明日、世話になってる知り合いのお祝い事に差し入れに行くんだ」
植木はテーブルに乗せられた保冷ボックスの中身を覗き込んだ。
「わぁ。大きい」
大きなケーキ箱の中には、綺麗に飾られたデコレーションケーキが入っていた。飾られたチョコ板には、不思議なシルエットの赤い鳥と読めない文字が書かれている。
「美味しそうにできたね」
「飾り付けを失敗した方を食ったけど、旨かったぞ。旨いの作ってこいって無茶振りされてたからな。一安心だ」
「そうだったんだ」
なんでまた急にお菓子作りなど始めたのかの謎が解けて、植木は少し心が軽くなった。
「失敗した方で良ければ、食べるか?そっちも少し持って帰ってきたんだけど……」
川畑は恐る恐るという感じで植木に尋ねた。彼が他の女の子ときゃっきゃうふふして作ってきたケーキなんて、全然欲しくなかったが、植木はそこは冷静に「ありがとう」と言った。
「座って待ってて。今、お茶を用意する」
川畑は成功版を片付けると、テーブルを拭いてお茶の準備をし始めた。
「あ、お茶にするなら……」
植木は自分の荷物から、包みを取り出した。
「これ、おみやげ。僕も家で作ってきたんだ」
包みを渡された川畑は、雷に撃たれたように直立したまま硬直した。
「のり……植木の手作り?」
「そう」
「開けていい?」
「どうぞ」
川畑は震える手で可愛らしくラッピングされた包みのリボンをほどいた。
中にはビニールの小袋に包まれた小さな丸いお菓子が沢山入っていた。
「うわ!すげぇ、なんだこれ!?」
「マカロン。久しぶりに作ったから、あんまり凝ったものは作れなかったけど」
「いや、凄い!なんだこれ。こんなもの家庭で手作りできるのか?ええ?植木の家ってお菓子工場?」
川畑は小袋を1つ取り出して、凝視した。
「この上についているボールベアリングの玉みたいな銀色の粒は?これも作ったのか?」
「ボールベア…?ああ、アラザンか。それは飾り付け用のそういう製菓材料。お店で売ってるよ」
「まさか食べられるのか?」
「お砂糖だよ」
「カッコいい!」
湯が沸いて、川畑があわてて茶を淹れにいったとき、ノックの音がした。
「伊吹先輩。なにかセンサーついてます?」
「俺はタイミングのいい男なんだよ」
御形伊吹は笑顔で椅子に座った。
「お、旨そうだな。今日の茶請けはマカロンか」
「ダメです!」
川畑は神速で御形の手からマカロンの包みを取り上げた。
「は?え?でもこんなにあるし」
「これは、俺のものです!1つたりとも渡しません!」
「個別包装なの、配るためとかじゃないのか?」
「違います。俺が貰いました。俺のです。あげません」
川畑はあっけにとられた御形と植木の前から、さっさとマカロンを片付けると、自分の机に持っていって、引き出しにいれて鍵をかけた。
「お茶請けならこちらをどうぞ」
使い捨ての紙皿に取り分けられて出されたのは、イチゴと生クリームのケーキで、それはそれで美味しそうだった。
「お、おう。なんだ、こっちがあるからあれはダメだったのか」
「こっちは食べていいです。植木もどうぞ」
「ありがとう。いただきます」
イチゴのケーキはふわふわで美味しかった。
旨い旨いと御形は、あっという間にケーキを平らげた。
「どこの店のだ?それとも、また杏ちゃんの差し入れか?」
「俺が作りました」
御形は紅茶にむせた。
「今日、山桜桃のうちで台所借りて作らせてもらったんですよ。山桜桃には監修してもらいましたが、今回は全工程の作業を俺がやりました。良い出来でしょう?山桜桃の妹さんにもギリギリ合格点をもらったんですよ」
川畑はやりきった達成感をにじませて、自慢げに言った。
「花梨ちゃんは採点が辛口なんで、途中、相当ダメ出しされたんですが、お陰で致命的なミスもなく、無難に仕上がりました」
「妹……?」
「中学生。ここの中等部だって。なんだかお姉さんのことが気になるらしくてちょこちょこ覗いてたから、声かけたら色々教えてくれた。お姉さん思いの元気ないい子だったぞ」
こいつ妹にまで手を出してる。
御形と植木は同じ思いで、川畑を見つめたが、本人はいたって無邪気に山桜桃家でのエピソードを話した。
「……で、その結果、花梨ちゃんのポニーテールが崩れちゃって、ひどく怒られてな。すぐに謝って、結い直してあげたんだが」
「あー、川畑くん。女の子は他人に髪を触られるの嫌がる子も多いよ」
「そうなのか!?嫌がってはいなかったと思っていたけれど、じゃぁ、あれで致命的に嫌われたのかもしれん。その後、部屋に引っ込んじゃって、帰るときまで顔見せてくれなかったから」
「ということは、帰るときには出てきたのか」
「なんか玄関まで見送りに来てくれて、小さい声で"またね"とは言ってくれたが、目は会わせてくれなかった」
状況を思い浮かべて、御形と植木は目の前の男を張り倒そうか真剣に検討した。
「というわけで、山桜桃の家でケーキは焼いてきたけど、あそこんちのお母さんや妹さんと一緒だったから、二人っきりにはなってないし、やましいことは全然してない」
きっぱり言い切って、川畑は紅茶のおかわりを用意するためにウォーターサーバーまで水を汲みに行った。川畑を見送った御形は、声を潜めて植木に確認した。
「あいつ正気……いや、本気でああいっていると思うか?」
「川畑くんは、基本的に頭はいいんですが、時々とても不思議な配線の発想をしていることがあるので、今回も100パーセント本気で何の問題もないと思っている可能性があります」
「あいつに惚れた女の子に同情する」
「やってられないですよね」
御形はいささか行儀悪く頬杖をついた。
「あれはたぶん、自分が誰かの恋愛の対象になる可能性を低く見積もりすぎているんだろうな」
植木は小首をかしげた。
「お前、注目を浴びたり、一方的に惚れられて言い寄られたり、覚えのないことで、"あなたは私に気があるそぶりをした"って、妄想を押し付けられて困ったりしたことあるだろ」
「ええっと……はい。時々」
「そういうお前みたいなやつはな、ちゃんと警戒してるから、その気のない相手とはちゃんと距離を取るんだよ」
「……たしかに」
「あいつはその辺りの感覚がなってないんだよ。迂闊というか無防備というか」
「ああ。わかります」
「それで、自分がそうだから、誰かから"そんな事好きな相手じゃなきゃするわけねーだろ"って態度をされても、普通の状態だと思って気がつかないときたもんだ」
「なるほど、鈍感なんじゃなくて、判断基準がおかしいんですね。……それって、女の子にとっては、アプローチが全部空振りで、ちょっと脈ありかもと思ったあれやこれやが、すべてぬか喜びの可能性が高いという地獄道では?」
植木は死んだ目で呟き、御形はため息をついた。
「あれでイケメンだったら大惨事だったろうな」
「え?川畑くん、イケメンでしょう?」
「なにッ!?」
「えぇ?」
御形は植木の顔をまじまじと眺めて、眉を寄せた。
「毎日、そういう顔見て育つと、美的感覚がおかしくなるんだな」
「無茶苦茶言いますね!」
御形は校内イントラネットを検索して、Sプロの紹介ページを開いた。
「ここに写ってる奴等と、あいつとどっちがカッコいい?」
キラキラのイケメンが並ぶ写真をつまらなさそうに見て、植木は顔をしかめた。
「一般受けするイケメンですね。アイドル産業で一山いくらでセット売りしてるタイプ。こういう自分に女の子が惚れるのは自然現象だと思って写真にポーズとる奴は格好よくないです」
「お…おおう」
御形は、蓼食う虫ってこういう発想なのかと納得した。
「なんでSプロのページなんて見てるんですか」
戻ってきた川畑は、一度、カップを下げに来て、御形の手元を覗いた。
「ん?ちょっと、その今出たインフォメーション開いてください」
「なんだ?新企画?おい、これって」
ド派手なインフォメーションページには、"部活対抗新人獲得大鬼ごっこ大会ワイルドハント"の文字が踊っていた。




