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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第8章 学校だけが世界のすべてだった日々

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二人の間のパーティションは高め

二人部屋は、手前が小さなテーブルと椅子のある共用スペースで、その奥が、左右対称に勉強机、本棚、ベッド、クローゼットのある個人用のスペースだ。トイレとシャワーブースは共用スペースの一角で、その入り口から、高めのパーティションで区切られた個人用のスペースの奥は見えにくい。

シャワーを終えたノリコは、川畑が机に向かっているらしいことを確認して、そっと自分のベッドのある側に入った。

「(ドライヤー、どこに入っているんだろう)」

いくつかあるダンボールを前に、ノリコは躊躇した。自分で荷造りしていないので、そもそもドライヤーが入っているかどうかすらわからない。

しばらくごそごそしていると、間仕切りをノックして、川畑から声がかかった。

「もうすぐ学習時間だけど大丈夫?」

「あ、ごめんなさい。荷物がまだ片付いていなくて」

「そっち行ってもいい?」

「……どうぞ」

共用スペースの側から、川畑が顔をのぞかせた。

ダンボール箱の間に座り込んでいたノリコは、自分が頭にタオルを巻いたままのひどい格好なのに気づいて、あわててタオルを外した。

「あっ、これは、その、ドライヤーが見つからなくて……」

川畑はちょっと面食らったような様子だったが、「それなら」と言って、ノリコを手招きした。

「そこ座って。俺がドライヤーやってやる」

「はい?」

言われるままに椅子に座ると、川畑はその背後に立った。ノリコが持っていたタオルを取って、川畑はノリコの髪を拭き始めた。

「ひゃ」

彼の手が触れている耳の後ろ辺りから、なぜか温風が吹き付けられてきた。

「熱かったら言ってくれ」

「なんですかこれ!?」

「熱系統と風系統の複合魔法。最近、前よりも微調整ができるようになってきた」

気持ちよい温風が、首筋を撫で上げるようにあたって、ノリコは思わず背を反らせた。上を見上げると、真上から覗き込んでいた川畑と目があった。彼はちょっと残念そうな、物足りなさそうな顔をしていた。

「髪、短いからすぐ乾くな」

「……なんか手慣れてるけど、長い髪を乾かしたことがあるの?」

彼は言葉につまって、視線を逸らせた。黙々と髪をすきながら乾かした後、彼は「乾いたぞ」と言って、タオルをノリコに返した。ノリコが礼を言ったとき、予鈴が鳴った。

「今日は、植木は学習はしなくていいから、荷物を片付けてしまえよ。ここ角部屋だし、こっちの隣は階段だから、少々の物音は迷惑にならない」

「うん。わかった……」

親切だけれども、ひどくそっけない態度の川畑が机に戻ったのを見送って、ノリコも荷物をしまう作業に戻った。




「(顔も髪ものりこなのに、首から下が紛れもなく男なんだよなぁ)」

川畑は、髪を乾かしたときに見た植木実のTシャツの下の平らな胸を思い出して複雑な心境だった。

中身はノリコのはずなのに、相手がこちらを本人と思っていないこともあって、どうにも会話が時々ぎこちなくなってしまう。


「(二人で過ごした記憶を共有できていないって重い知らされるの、思ったより辛いな)」

ブルーロータス号の一件の後で、偽体のノリコと月まで旅行したハネムーンゴッコの日々を思い出して、川畑は目を閉じた。

実は川畑は彼女の綺麗な長い髪を触るのが好きで、風呂上がりに乾かしてあげたり、朝、セットしてあげたり、なんだかんだ理由を付けて、毎日、さんざん構い倒していたのだ。あの時の彼女は、本物とは解離したほぼ別個体となっていて、彼にめちゃくちゃ甘かったので、川畑はやりたいことは躊躇せずに実行していた。自分でも完全にタガが外れていたと思うあの甘々の日々を、本物のノリコが思い出したらと思うと、冷や汗が出て、世界の果てまで逃げ出したくなるが、まったく覚えていない様子で、訝しげな顔をされるのも、それはそれで辛かった。


「(それにしても、別に体目当てでのりこが好きって訳じゃないはずなんだけど、体が男だというだけで、もう全然、見ててときめかないんだよなぁ。俺ってそんなに薄情な男だったのかなぁ……いや、別に男相手に盛りたくはないんだけど)」

そこにノリコがいると思うと、そわそわするし、世話も焼きたいし、とりあえず独占したいとは思うのだが、いかんせん「あー、男だ」と思うと一気にテンションが下がるのだ。

後ろめたいような、申し訳ないような、変な罪悪感を抱きつつ、川畑は一歩引いた態度で、"植木"と接していた。

「(のりこ本人からしたらどうなんだろう。男の自分相手に俺が浮わついてるのって、嫌だと思うんだけど……わからんな。他の女の子相手にしてるよりは良いのか?」

川畑はノリコの目の前で杏に告白されたことを思い出して、頭を抱えた。

「ああ、でも別にあの時ののりこじゃないから、俺が好きって訳じゃないのか。だとするとそもそもこの命題自体が自意識過剰で……それによく考えたら、彼女にとって今の俺って、知らない他人なんだよな。んんん?俺とのりこって、彼女の記憶にある分だけだと"今の"じゃなくても、ほぼ知らない他人でしかないのは同じか)」


思えば、キャプテンがらみの時や、妖精女王の時はとにかく早く無事に家に帰すことしか考えていなかった。そのあと精霊王と勇者に召喚された時もずっと非常事態でバタバタしていた。ブルーロータス号で過ごした数日が、実質、彼とノリコが二人で過ごした時間なのだが、あれはあれで"新婚のハーゲン夫婦"のフリをしなければならないという変な制約付きだったため、落ち着いてお互いのことを話したりはできなかった。

元々、違う世界の住人で、本来なら出会うはずもなかった相手だ。二度と会いには行かないと決意した時はそれで良かった。

だが、こういう成り行きで同じ空間で身近に存在を感じてしまうと、つい、「俺の嫁」扱いをしていた日々が無かったことにされていることをうらめしく感じてしまうし、"知り合い"以上の名前のない関係が寂しくなる。

川畑は自分とノリコの関係を再定義しかねて、苦悩した。


むしろ杏の方が、最初から同級生な分だけ、定義がわかりやすい関係にあるな、と川畑はぼんやりと考えた。

「(杏か……)」

川畑は内気なくせに時々ひどく思いきったことをするクラスメイトを思い出した。

「(良い子なんだけどなぁ)」

泣いたり笑ったり複雑な表情を見せる可愛らしい彼女の姿を思い出す。

かき割りのように薄っぺらい町並みの中で、彼女の自宅だけがきちんと建っていたのが、まるで顔の曖昧なモブの中の彼女のようで印象的だった。

「(再来年には、卒業アルバムのバックナンバー内にしか存在がなくなっちゃう子なんだってことが、分かっているのがつらいな)」

世界が俯瞰できてしまう自分が嫌で、川畑はため息をついた。

報道部の木村からもらった写真の中の山桜桃は、とても可愛いかった。




「(あの子の写真見て、ため息ついてる)」

雑巾を絞って戻る途中に、つい、川畑の様子を覗いたノリコは、勉強が手についていない様子の彼に、もやっとした。

「(でも、ここのこの川畑くんは彼女のことが好きなんだもの。ため息も出るよね)」


夜の自主学習時間の終鈴が鳴ったところで、ノリコは思いきって川畑に声をかけた。

「今日はいろいろありがとう。迷惑かけてごめんね。特に図書室では要らない口出しをいっぱいしちゃって悪かったと思ってる」

パーティションの向こうからは、特に返事がなかった。

ノリコはパーティションに手をあてて、額を付けた。

「お詫びにっていうと変だけど、口出しついでにお節介やかせてよ。僕、君とあの三つ編みの子の仲を応援する」

ノリコは別人とはいえ川畑そっくりの相手が、別の子と仲良くしているところなんて、見たくもなかったが、この世界の住人にとっては、そんなのはただのワガママだと理解していた。

「(それなら、私は川畑くんが好きなあの子の恋を応援する!)」

どうせここでは自分は男としてしか過ごせないし、このそっくりさんと恋人同士になる気もない。

「(むしろここでは親友ポジションを狙って、親密度をあげる!)」

大いなる下心満載で、ノリコは決意を固めた。

「君が彼女と話しちゃいけないなら、伝言係でも何でもするよ。何でも言って」

ノリコはパーティションを回り込んで、川畑の方を覗き込んだ。

彼は片手で顔を覆っていた

「ええっと…迷惑?」

「いや、ありがとう」

川畑は顔をあげると、多分笑顔のつもりらしい顔をノリコに向けた。

「俺、今日は早めに寝る。消灯時間になったら、共用スペースの電気も消してくれ」

「うん、わかった。……おやすみなさい」

川畑はノリコから視線を外して、口の中で不明瞭に「おやすみ」と呟いただけだった。


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