火炎竜巻
船体が突き上げられた。衝撃で足元がせり上がり、押し付けられるように一度沈み込んだ体が、次の瞬間、宙に放り出された。
気が緩んでいたノリコの手から、ロープがすっぽ抜けた。
え?うそ
高く放り上げられた体が、ゆっくり回転する。回る視界で空と地平が入れ代わった。
落ちる。
「のりこ!」
異変を感じた瞬間に、川畑は彼女の方にダッシュしていた。帆桁が高いだの怖いだのは関係なかった。
なにせキャプテンは普通に歩いていたところなのだ。気にしなければどうということもない!
反動で体が跳ね上がるタイミングにあわせて、強く桁を蹴り、手を伸ばす。
落下するノリコに届いた瞬間に、川畑は叫んだ。
「開け!」
出現した黒い穴に吸い込まれて、二人は消えた。
川畑とノリコは砂浜に落ちた。
砂粒がキラキラと光っている。元の海岸だ。
「やっぱり、穴に入る前の慣性はオールキャンセルか……助かった」
川畑は大の字になって浜に寝転んだ。酷使した体が重い。がくがくと膝が笑っている気がする。
隣に横たわっているノリコは気を失っているようだった。
這いずって近くに寄り、様子を確認する。呼吸は正常だ。手の平に擦り傷はあるが、大きな外傷はない。
声を掛けて起こそうとしたとき、海から上がってくるそいつの気配に気がついた。
クジラほどもある白い巨体……主だ。体の割りに短い足を引き摺るように動かして、主は浅瀬から砂浜の川畑達の方に、真っ直ぐ向かってきた。
「やばい。何か使えるものは……」
川畑はあわててカッターナイフを取り出した。刃先が少し欠けている……呑まれたときにこれで腹のなかを滅多刺しにしたのが不味かったのかもしれない。
あれで主に恨まれたかな?と、ちょっと反省したが、そんなこといっていられる状況でもない。彼女は目を覚ましていないし、抱えて逃げる体力も多分残っていない。
主は浜に置きっぱなしだった3本の木の近くまで上がってきていた。川畑は手頃な大きさの石を拾って、木材に向かって走った。
「あの木が使えるかどうか、一か八かやってみるか。くそっ、砂地は走りにくいな。間に合わん」
走ってくる川畑を見たせいなのか、木材の手前で、主は上体を起こした。前肢が浮く。主は威嚇するように、後肢で立ち上がった。でかい。海から吹き始めた風に、川畑の濡れた体が総毛立った。
「いたちと闘うネズミかよ」
青い海を背に白い巨体を揺らす主を見上げて苦笑する。主は後肢を踏み出し、三角に組まれていた木を踏み砕いた。砕かれた木片から青白い霞が吹き上がった。
「窮鼠のあがきだ」
川畑は持っていた拳大の石にカッターナイフを突き立てた。石に食い込んだ刃先を折る。すかさずその石を、主に向かって思いっきり投げつけた。
硬い主の体に当たって、石がぱきんと割れ、石の中の灯がはぜた。
「着火」
木片から漏れた青白い霞が一気に燃え上がった。
「いよぉっし!思った通りだ。そのまま燃えろ!」
海からの風が青い炎に吸い込まれるように渦を巻く。三角に組まれていた木が燃え上がることで、主の周りに風の渦ができ、空気を送り込まれ続けることで、炎は竜巻のように延び上がった。
朝日が昇り、主の断末魔の叫びが轟いた。
「そもそもその股関節の形状で、2足直立するなよ」
輝きを失って灰白色になった主の体が、力なく崩れた。打ち寄せた大きな波が、主の体を海へさらっていった。
何度か名を呼ばれて、ノリコは目を覚ました。目覚めると同時に自分が落下していたことを思いだしたノリコは、咄嗟に目の前の人影……彼女の顔を覗き込んでいた川畑に、しがみついた。
「うおっ」
川畑はノリコに覆い被さるように突っ伏した。首元に抱きつかれたまま下手な身動きがとれなくなる。
ノリコは川畑の耳元でしばらく荒い呼吸をしていたが、しばらくすると落ち着いて現状がわかってきたようだった。
川畑はノリコの体温が急に上がったのを感じた。川畑は努めて冷静に聞こえるように声を掛けた。
「落ち着いた?」
「うひゃう」
「腕、離せる?」
「あ…ご、ごめんなさい…あれ?なんで、手が……」
ノリコは川畑を強く抱き締めたままの腕を離そうとしたが、つったように強ばってしまってうまく動かなかった。緊張で胸がドキドキして、また呼吸が早くなる。過呼吸かもしれなかった。
「じゃぁ、このまま体起こすよ」
川畑はノリコを抱き留めたまま体を起こして座った。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。いっぱい怖い目に遭わせて悪かった」
大きな手と腕でノリコを包み込むように抱き締める。川畑は彼女が泣き止むまで、ゆっくり彼女の背をさすった。
「何があったの?」
「多分、怪物が船を襲ったんだ。撃たれたあと、しばらく海底にいたんだろう。ほとんど真下から船底に体当たりしてきた」
「船は?」
「わからない。君と二人だけでこっちに来てしまったから。……船が心配?」
「小さい男の子も乗っていたから。……親切にしてもらったの」
「じゃぁ、様子を見に行こう。ここから見える範囲にはいないけれど、あそこの岬を回れば見つかるかもしれない。もう大丈夫?歩けそうか?」
「うん」
ノリコは顔をあげた。自分が川畑の腹の上に馬乗りになっているという事実にあらためて気づいて、卒倒しそうになったが、黙ってギクシャクと立ち上がった。
まだ調子がよくないのか、うつむいて少し動きがぎこちないノリコの手を引いて、川畑は岬まで来た。
「ほら、ここを登れば向こう側が見えるよ」
岬に登ると、船が見えた。白昼夢号だ。
「ああっ!いた、いた!おーい、ヤマトさーん」
帽子の男が手を振りながら飛んできた。
「心配しましたよ~。いや~、無事で良かった。こっちに主が来ませんでした?」
「いや、さっきちょっと見かけたけど、もういない」
「そうですか。良かった~」
帽子の男は胸を撫で下ろした。
「そっちはなんともなかったのか」
「いやいや、もう、風は吹くわ、日は昇るわで大変でした」
あまり大したことはなかったらしいと、川畑は結論付けた。
「生きておったか、ヤマトとやら」
船上からキャプテンの声が響いた。
「のりこも無事だ!」
「当たり前だ~!お嬢さんが無事でなくてお前が生きとったら、ぶち殺してやるわ!!」
キャプテンは操舵輪に手を掛けながら、大笑いした。ボンド少年もノリコに向かって手を降っていた。
「それで、お主。お嬢さんを家に送る宛はあるんだろうな」
「ああ。転移座標は履歴に残っている」
キャプテンは二人が手を繋いでいるのを見て、片眉を上げた。
「ならば致し方あるまいて。今回のところは、エスコート役、お主に譲ろう」
キャプテンはノリコに向かって、芝居がかった調子で両手を広げた。
「おお、だが、わが愛は偽りではないぞ、フロイライン!そこな奴ばらがいらぬ狼藉を働いたら、いつでも呼びたまえ。守ってしんぜよう」
「キャプテンさん」
「ぶっちゃけ、そぉーんな頭の硬い頑固者の我が儘に付き合ってると、ろくな目に遭わんぞ。世界がいくつあっても足らん。ワシの嫁に来なさい。幸せにしてやるから」
「ありがとうございます。でも私、家に帰ります」
ノリコは、仏頂面の川畑をちらりと見上げて、笑った。
「ならばここらが潮時か」
キャプテンは金色の懐中時計を取り出して上蓋を開いた。時計に目を落とすと、軽く笑って、川畑に忠告した。
「お主、彼女を守るなら、力任せに我を通してばかりではいかんぞ。もっと柔軟に世界の有り様を受け入れよ。世の理など融通無下だ。なんでもありで取り入れて、無理も道理と知るがよい」
「無理が道理であるものか!」
「ゼロも虚数も真理への道具。全部まとめて飲み込んで、おのが世界を想起せよ」
「なにいってやがる」
「重要でない戯れ言だ」
キャプテンは、ニヤリと笑って時計の蓋を閉めた。
「さらばヤマトよ!また逢う日まで」
キャプテンは派手な帽子を脱いで一度大きく降ると、また深くかぶり直して、操舵輪を握った。
「総帆展帆!行くぞ、ボンドぉ」
「あい!キャプテン!!」
みるみるうちに白昼夢号のすべての帆が開いた。
「バカな!帆船の展帆なんて大の男数十人がかりの重労働だぞ」
「わはははは、頭が硬いぞ、青二才。お主がなんと言ったって、いきたいようにいくのがわが船だ」
白昼夢号がゆっくり浮上した。白い帆に風をはらんで、悠々と岬の空を回る。
「うそだろ、なんでもありかよ……」
川畑は呆然と船を見上げた。
「イフタフ・ヤー・シムシム!」
キャプテンの掛け声と同時に、白昼夢号は、青空に消えた。




