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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第8章 学校だけが世界のすべてだった日々

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金糸雀

「わ!しもた!」

角を曲がったところで、川畑の姿を見た瞬間に、報道部の橘は逃げようとした。

「堪忍や、見逃してぇーな」

「おい、木村。お前も隠れてないで出てこい」

橘を捕まえた川畑は、物陰のカメラマンを呼びつけた。


「へっへっへ、旦那もすみにおけませんなぁ。拝見しましたよ。公開逆プロポ……あっ、すんまへん。そんな怖い目で睨まんといて。わかってます!山桜桃はんは落とさない、晒さない。OK!了解してます!書きまへんて、旦那が実は真っ黒けな極道だなんて」

川畑はうんざりした顔で、橘を離した。

「しっかし、旦那の周りはネタの宝庫でんなぁ。おいしいわぁ。なんですのん、あの転校生。キッラキラですやん」

「植木にもちょっかい出すな」

「そういうわけにはいきまへんわ。あんなん記事にせんかったら、逆に不自然やで。な、旦那、転校生と親しいんでっしゃろ。独占インタビューのセッティングお願いしますわ。な?その方が突撃取材よりええのんとちゃいます?」

眉間にシワを寄せながらも、即答で断らなかった川畑に、脈ありと踏んだ橘は畳み掛けた。

「転校生特集号が派手にできたら、図書室の件はちっちゃーい扱いになると思うんやけどなー。なしでもええかもしれへんしなー。でも、転校生の記事が足らんかったら、図書室でSプロ相手に食って掛かったあの大活躍はいいネタやからなぁ……」

「卑怯ものめ」

「甘美な響きやわぁ。その心底嫌そーな顔がたまらない」

「木村、お前よくこんな変態と組んでるな」

「それは被写体じゃないから」

「ああ……」

「ところで、山桜桃が物凄く可愛く撮れた非公開写真があるんだが、いるか?」

報道部はこんなんばっかりか、と川畑は頭痛をおぼえた。


「インタビューするにしても、今日はやめてくれ。転校初日でこれから寮での用事がたくさんある」

「ほな、明日やな。おおきに、伺います」

ため息をついた川畑に、橘はこっそり耳打ちした。

「ところで彼女とはほんまになんもしてへんの?キスくらいしたんちゃうのん。チャンスだらけやったやろ……って、はい。すんまへん。そんなことないですね。旦さんは、ヘタレやから、据え膳の彼女でも頭を撫でるんがせいぜいやったと…痛たたたた」

「黙れ」

頭を鷲掴みにされた橘は、涙目で川畑を見上げたが、黙らなかった。

「あっ、これ、頭撫でてもろてると思たら、うちも彼女さんと同レベルとちゃう?いやーん、そんな強烈な視線で見つめられたら、ドキドキしちゃう」

「橘。お前、そのドキドキは、命の危機を察知してるだけだぞ」

「木村くん、ここに立ってみるか?戦場カメラマンの気分になれるで」

「学校で死地を潜りたくないから、遠慮しておく」

「そんなん言わんと助けて…って、痛たたた、いやまじでハゲる、首もげる。ごめんなさい。黙ります。その怖ーい目で睨むのん堪忍してください。このぞくぞくするスリルが癖になりそう」

川畑は橘の頭をグリグリしていた手を、急いで離した。

「失せろ。変態」

「ほな、さいなら~」

「失礼しまーす」

厄介な報道部の二人は、すっ飛んで逃げていった。




ノリコは先に行ってしまった川畑を探して、うろうろしていた。

「(あ、いたいた)」

遠目でもわかりやすい大きな姿を見つけて、ノリコは安心した。

ようやく見つけた川畑は、ショートヘアの小柄な女子とひょろっとした男子の二人組と、なにやら話していた。

女の子の方が川畑に近づき、爪先だって耳打ちすると、川畑は彼女の頭を撫でた。

「(ええ?さっきあんなに熱烈に告られたばっかりなのに、隠れて別の子にあんなことして……この世界の川畑くん、実は女ったらし?)」

別人だと思っても、やはり思い人そっくりの相手が、他の女の子とイチャイチャしていると、いい気はしない。

「(あんな川畑くんは私の川畑くんじゃないから)」

ノリコは"あれは別人!"と心の中で繰り返し唱えながら、憤然と川畑の方へ歩いていった。

癖っ毛で眼鏡の女の子がパッと逃げ出して、男子の方が一礼してから彼女の後を追って立ち去ったところで、川畑がこちらを向いた。

「(く…悔しい。見かけはそっくりなんだよね。カッコいい……)」

個人の感想です。と、テロップを入れられてもしょうがない主観を抱きつつ、ノリコは川畑に声をかけた。

「探したよ。寮ってどこ」




寮母さん達スタッフとの顔合わせや、書類提出、寮規確認、夕食を挟んで施設案内等々を終えると、すっかり夜だった。

「しまった。もうすぐ自主学習時間だ。学習時間以降は静かにしないといけないから、今のうちに部屋のシャワーでさっと汗流しとけ。一応シャワーブースあるから」

トイレの横のシャワーブースはやっと人が1人立てる程度の狭さだった。安いビジネスホテルもかくやという感じだったが、部屋ごとについているだけ贅沢だろう。

「基本的に入浴は共同の大浴場だけど今日はもう間に合わない」

「そうか。僕、大浴場はちょっと…ムリかも……」

ノリコは言葉を濁した。あまり考えていなかったが、いくら自分の偽体が男でも、男湯に突撃するなんてできそうになかった。

「そうか。まぁ、そういうやつもいるよな。じゃあ、ここ使えばいい」

あっさり流してもらえたので、ノリコはホッとした。一緒に入りにいこうとでも言われたら本気で詰んでいたところだ、

時間がないからさっさと入れと言われて、ノリコはあわてて支度をした。

川畑が自分の机の方に行ったのを確認して、ノリコはトイレの戸を閉めた。


「やぁ、ノリコさん、大丈夫そうですか?」

急に壁をすり抜けて現れた帽子の男に、ノリコは思わず悲鳴をあげそうになった。

「しー。お静かに。いいもの持ってきたんです。使ってください」

帽子の男が空中を指差すと、そこに小さな穴が空いた。ノリコは穴から落ちてきた黄色いカードのようなものを受け取った。

「そこの表面の赤い丸を押してください」

「こう?」

言われた通りにすると、黄色いカードは、膨らんでヒヨコかアヒルのオモチャのようになった。

「警戒カナリヤです。狭い範囲ですが人避け結界を張ってくれますから、これを膨らませているときは、不用意に人が近づきませんし、中の気配や物音も外に漏れにくくなります」

「えっ。それはすごく助かる」

「ただし、意思の強い相手が目的をもって近づいてくるのは防げませんから過信しないでください。そういう時はカナリヤがノリコさんには聞こえる声で鳴いて知らせてくれます」

「わかった。ありがとう」

カナリヤの赤い帽子を押すと、元のカードに戻って、結界は解除されることなど、細かい説明をいくつか追加してから、帽子の男はノリコに困っていることはないかと尋ねた。

「うまくやっていけそうですか?」

「うーん。自分じゃなくて男の子だと思うと、ちょっと思いきったことができちゃうので、いろいろ失敗したかも。明日からは気をつけておとなしくする」

「そうしてください。体に不調は?」

「変な感じだけど、だいぶなれたかな。……トイレに行かなくてもいいのは助かってる。自分の体だけど、その……見るのも触るのも抵抗があるから」

「タイプチェンジの方法は覚えでいますか?」

「それは大丈夫。胸の真ん中と尾てい骨を同時に押すんでしょ。なんでこんな変な仕様なの?」

「と言われましても」

帽子の男は、こてんと首をかしげて、肩をすくめ、わからないというジェスチャーをしてみせた。

「では、頑張ってくださいね」

軽くそういい残して男が去った後、ノリコは胸の真ん中と尾てい骨を押した。シャツの胸元が膨らみ、ズボンの履き心地が変わった。

「(うう、私って結構太ってたのね。女の子タイプの身体だと制服があちこちきつい)」

ノリコはカナリヤさんがちゃんと膨らんでいるのを再確認してから、服を脱いで、急いでシャワーを済ませた。




「うまくやっていけそうですか?」

「俺はいっぱいいっぱいだ」

目の前に浮かんだ帽子の男に、川畑は仏頂面で答えた。

「そういわずに頑張ってください。あなた、無理が利く男でしょう?」

「体力的にキツいのは耐えられるが、こういう精神的にややこしい状況はつらい」

「ファイトです!ノリコさん、12時から6時間は偽体のスリーブモードに入りますから、そこで一息ついてください」

「やっぱりあるのか。スリーブモード」

偽体を使用中の記憶は、スリーブモード中に使用者本体の記憶に統合される。普段通りの日常生活をおくっている使用者にとっては、偽体の記憶は夢のような感覚になるし、偽体側では本体の生活が夢として認識される。一種のコピーである偽体側の不安定な自我が継続して存在するためには、スリーブモードによる記憶の整理と更新は不可欠だ。

「今回は心と身体のギャップが大きいので重要です。できるだけ緊張を緩和できるよう、ノリコさんには就寝時には女性タイプのボディにタイプチェンジすることをおすすめしてますので、何かのトラブルで人目に触れないよう注意して上げてくださいね」

「女性タイプ?ひょっとして男女が切り換えられるのか?」

「はい。凄いでしょ」

帽子の男は川畑に、今回の偽体のタイプチェンジの仕様を説明した。

「ノリコさん、男の身体は自分で直視できないっていってましたから、こういうボディを用意しました」

「ということは?」

川畑はトイレとシャワーブースがある共用スペースの方を見た。

「はい。今もタイプチェンジ中のはずですよ」

川畑は机に突っ伏した。

「俺はいっぱいいっぱいだ」

「いいですか。慎重に気づかないフリをしてあげてください。彼女には、人避け結界を張るアイテムを渡してますけど、眷属ならともかく川畑さんクラスの相手には全然効果ないんで、川畑さんの方で気をつけてあげないといけませんからね」

「お前さぁ、俺が彼女のことどう思ってるか知っててそれ言ってる?」

「川畑さん、ノリコさんのためならかなり何でもできるでしょう」

「ひでぇ」

川畑は帽子の男が消えても、しばらく机に突っ伏したままでいた。

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