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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第8章 学校だけが世界のすべてだった日々

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師匠!何をするんですか!?

すみません。可愛い彼女のお部屋にお呼ばれして、のよくあるラブコメ展開がしたかっただけなんです。

……どうしてこうなった。

「と、とりあえず私の部屋に……」

男の子に「命令してくれ」なんて言われているところを、親や妹に聞かれたくなかったので、あわててそう言った杏は、すぐにそれを後悔した。

「(だから、部屋で二人きりになって何をするつもりなの?私!?)」

焦る杏にお構いなしに、川畑は室内を見回した。

「おおっ、片付いている。これは掃除する必要がないな。うーん、窓とか、ランプシェードとか、棚の上とか杏では手が届きにくい高いところ拭こうか?」

「ええっ!?そんなに汚れてる?」

「いや、全然。すごくきれい。困ったな。役に立てることが見つからん。布団干そうか?ベッドメイキングとリネンの交換も得意だぞ」

「家事をしようとしなくていいよ!」

男の子を家に呼んだ日に、シーツを洗って布団を干しました、なんて外聞が悪すぎる!

杏はベッドにかかった川畑の手を必死に掴んで止めた。


「ええっと……じゃぁ、どうしよう?ひょっとして残務整理の書類仕事が山ほどあったり、開発中の魔法や装置の被験者が必要だったりする?」

「しないよ!」

「馬を飼ってはいなさそうだし、犬の散歩とか?」

「うちはペット飼ってない!」

「力仕事は?」

「お父さんがしてくれるよ!」


「うーん。困ったな」

川畑は途方にくれて、自分の手を握って押さえつけたまま、ぷるぷる震えている杏を見た。どこかに連れていくにしても、この世界では、川畑主導で行動すると、背景が途切れる危険がある。他の世界に連れていくわけにもいかないし、自分の特殊能力や学校で習っていない魔法を使うのも憚られる。

「いかがいたしましょう?お嬢様(レディ)

対応に困ったところで、つい接待用の定型句が口をついた。

もともと赤かった杏が、耳まで赤くなり、へなへなと崩れ落ちた。


「だ、大丈夫か?」

「……少し、時間をください」

杏が川畑の両手を握ったまま、座り込んで丸まってしまったので、仕方なく川畑もその前に座った。手に杏の熱い息がかかるのが、こそばゆい。なんか変な体勢だなと、自分の開いた膝の間でうずくまる杏を見下ろしながら当惑していると、突然、彼女が顔を上げた。

「お腹……!」

「え?」

「お腹触らせてください!」

「ど、どうぞ」

唐突な要求に、川畑は少し仰け反るように身を引いた。

無防備にさらされた腹を、杏はそっと触った。

「……っ」

「意外と柔らかいね。あ、硬くなった。不思議。私の体と全然違う」

「……なにゆえ、お腹?」

「その……この前見たとき硬そうだなって思って。これ、力入れてるから硬くなったの?どうなってるのか見てもいい?」

「……どうぞ」

川畑はシャツを少しめくった。なんだか物凄く恥ずかしかったが、賢者の実験で好き勝手されるのに比べたらなんてことはないと考えて、心を無にした。

「すごい。腹筋が割れるってこういうことなのね。これお腹全部こうなの?」

めくったシャツの下を恐る恐る覗かれ、指先でつつかれて、川畑は視線を泳がせた。

「さ、さぁ?あまり意識したことないから。確認するか?」

「え……」

川畑はやけ気味に、ズボンのボタンを外して、下腹が見える程度まで前を引き下ろし、もう片方の手でシャツを胸元まで上げた。

「これで見えるだろう」

「ふぁっ、ひゃはい。見えました」

「触りたいなら触れ」

「は、はい」

杏は遠慮がちにそっと胸元から腹を撫で下ろした。普通に触られるよりも強烈に恥ずかしかった。




頭のネジが飛んだ状態で行動していた杏は、はっと我に帰った。

目の前には、ぎゅっと目を閉じて、顔を背けた状態で、ベッドにもたれて浅く呼吸をしている半裸の同級生男子という無惨な代物がいた。

「…ぁん……そこは……やめ…」

「ごごご、ごめんなさいっ!」

あわてて手を離して目をそらせると、驚くほど時間が経っていた。

「もういいか?」

薄目を開けて、目線だけをこちらに向けた彼の顔は上気しており、頬や耳がうっすら赤い。あまりのやっちまった感に、杏の全身から血の気が引いた。

「はい。もういいです。ありがとうございました」


ちょっといい雰囲気になったら告白しようと思っていた杏の目論見は、見事に瓦解した。

「(このタイミングで告白は痛すぎる!)」

ごそごそと服を直している川畑の前で、杏はうかつな自分をぶん殴りたくなった。

「それで、他には何かあるか?何でもいいと言っておいてなんだが、できれば、そのう……あまり恥ずかしくないのにしてもらえるとありがたいんだが」

「もういいです!ごめんなさい!」

「え?それじゃあ、杏がしたかったわがままって、さっきのなのか?」

「違……」

「あ、実はもっと他にもああいう要求が?そ、それならこの際、恥ずかしいとかなんとか言わずに言うとおりにするけど」

「しなくていいです!」

杏は、川畑の中で自分の人物像が最低なことになっている事態に、泣きそうになった。

「い、今のはつい魔が差しただけです!忘れてください」

「は、はい」


「私は!……私は川畑さんと普通にお話したりして、仲良くしたいんです。何か仕事をしてもらうとか、奉仕してもらうとか、そういうのじゃなくて、普通に!友達とかそういう感じで、お互い楽しく一緒に過ごしたいんです」

杏の魂の叫びを、川畑は柔らかく受け止めた。

「それは、わがままでも何でもないんじゃないか?」

「だって、明日から私達、友達でも何でもない、接点のないただのクラスメイトになっちゃう!近づくことも、必要じゃないおしゃべりも、できなくなっちゃうんだもの。だから最後ぐらい沢山一緒に過ごしたかったの」

「杏」

川畑はうつむいた杏の頭にそっと手を添えた。

「俺、今日教えてもらっただけじゃ、うまくケーキが作れそうにないんだ。寮にはオーブンもないから練習できないし。もしよければ、これからもお菓子の作り方を教えてくれないか。杏の都合のいいときにでいいから」

「川畑さん」

杏はわずかに顔を上げて、川畑を見上げた。

「先輩と約束したから、普段、学校では話したりできないけど、時々週末にこうやってここに来るのは、禁止されているわけじゃないから」

「うん」

「免許皆伝まで、お願いしてもいいかな。師匠」

「うん!……でも"師匠"は止めて」

少しふくれっつらをした杏の頭を、川畑は笑いながらぐりぐり撫でた。


夕方まで、二人は楽しく過ごした。

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