師匠!生クリームのツノって何ですか?
「順序は大事だから、最初にこれからやることを全部頭のなかで組み立てて確認すること」
「というと?」
「泡立て終わって、粉が振るってなかったり、生地を混ぜ終わってオーブンが余熱できていなかったりしてせっかく泡立てた生地が台無しになる悲劇を防ぐの。材料を買い忘れていたなんていうのを作り始めちゃってから気づくなんてもっての他です」
「わかった。調達、計画は重要ということだな」
川畑は杏の家のキッチンで、レシピと材料を指差し確認しながら、段取りのレクチャーを受けた。ダーリングの戦闘前ブリーフィングを彷彿とさせる論理的な説明に、川畑は感動した。
「はい。これ付けて、手を洗って」
「あ、エプロン。俺のために?」
「大きさ、計って作ってないから、あってるかどうかわからないんだけど……」
「作ったのか?杏が?」
「下手くそで恥ずかしいから、そんなにしっかり見ないで」
本人はこう謙遜するが、縫製はかなりしっかりしている。技術も技術だが、平日、帰宅してから、どういう時間でそんなことができるのか、川畑は愕然とした。
「ありがとう。俺のサイズって売ってなくて、困ってたんだ」
「良かったらあげる。使うときないかも知れないけど」
「いや、使う!ありがたく使わせてもらう」
戦闘服?に身を包んだ川畑は、器具の充実したシステムキッチンを前に、テンションを上げた。
「粉は先に2回振るっておいて、混ぜる前に3回目を振るいます」
「おう」
「砂糖の分量は、好みにもよるけど、最初はレシピ通りに作るといいよ。初めて作ると、あまりの砂糖の量にビックリしてつい減らしたくなるけど、美味しく出来上がるためにはそれぐらい必要だから書かれているので、まずは決められた通りに作ること。アレンジは失敗せずにちゃんとレシピ通りのものが作れるようになってから、少しずつチャレンジするようにね」
「はい」
「泡立て器のこの線?というか金具?のここでね、卵の間に一回一回、空気の層を入れるつもりで、こう角度とか速度とか動かしかたを考えるの」
「なるほど。確かにぐるぐる横に混ぜてもただ回るだけだ。勢いよく入れて持ち上げて空気を入れるのか」
「自分がこの形の道具で、なんの目的で何をしているのかを正しく理解して動くと、望む効果が適切に得られます」
「はい。了解しました」
「"切るようにさっくり混ぜ合わせる"というのは、ゴムベラで泡を潰すなっていう意味なの。だって、この後焼いたときに生地がふんわりするために、あんなに頑張って泡立てた泡でしょう?今、ゴムベラを平らに押し付けたら、全部潰れちゃうもの。ね?理由を考えたら、この言葉で表現されている行動が、何を禁止して、何をすることを指しているのかわかるでしょ」
「承知いたしました」
「オーブンの焼き時間は、使う器具によって違うから、これはもう様子を見ながら、その器具の特徴を覚えるしかないの。結局、中の温度の話なので、天気や季節でも違うから、ぴったりいつもこの時間って訳にはいかないのが難しいけどね」
「はい、師匠」
「川畑さん」
山桜桃杏は、少し硬い笑顔で首を傾げた。
「なんだかどんどん敬語になってませんか?それに師匠って?」
「俺の中での師匠への尊敬の念の高まりがそうさせるので、ぜひそう呼ばせてください、師匠」
ケーキの焼ける甘い香りが漂うキッチンで、全く甘くない空気で全力で敬われた山桜桃は「どうしてこうなったー!?」と内心で絶叫した。
「おおお。ケーキが膨らんで、生クリームが艶々輝いている!」
「お砂糖入れると、生クリームって光るよね」
「魔法のようだ」
「確かに魔法とお菓子作りって似てるかも。段取りが大事なところとか、工程1つ1つの理由をちゃんと理解して丁寧に進めなきゃいけないところとか」
「未熟な初心者なのに、当てずっぽうのいい加減な目分量で、適当かましてて申し訳ありませんでした」
川畑はお菓子と魔法の神に詫びた。
「そうだ。お茶を入れなきゃね」
「あ!それは俺にやらせてくれ。お茶の入れ方は、ちゃんと教わったことがあるんだ」
「そうなの?」
「任せろ。テーブルセッティングからサーブまで一通りそれなりにできる。どこで食べる?セットしてお姫様クラスのおもてなしをしてやる」
「し、執事喫茶かなにかでバイトでもしたことあるの?」
「まぁ、そんなもんだ」
川畑はここぞとばかりに侍従長に仕込まれたスキルを披露した。
訓練された所作で、本格的に紅茶とケーキを提供されて、自宅なのにも関わらず、杏はどこかの素敵なティールームに来たかのような錯覚を覚えた。
「(こんな執事喫茶があったら通うぅっ!!)」
川畑のサービス業務用スマイルにやられた杏は、いささか壊れた思考でそう思った。
ケーキを食べ終わり、洗い物や後片付けも終わった。
「(用事が終わっちゃったな)」
杏は、寂しい気持ちで、ケーキ型を上の棚にしまってくれる川畑の背中を見た。
「今日は本当にありがとう。勉強になった」
「ううん、そんな。本当に大したこと言ってないし、私はこう思うっていうだけで、あってるかどうかもわからないから」
「いや、すごく論理的で解りやすくて納得した。杏ってちゃんと理詰めで物を考えられる人なんだなというのがよくわかった。俺にはそういうのが合っているので、嬉しかったぞ」
論理的だの理詰めだのと言われて、理屈っぽいと敬遠されたかと思った杏は、"俺に合っている"の一言で舞い上がった。そしてそんな気持ちでも、この時間が終われば全部終わってしまうのが、つらかった。
「さて……」
さよならを言われてると思って、杏は身を固くした。川畑は振り向いて、うつむき気味だった杏の目線に合わせて、少し屈んだ。
「これからは杏のわがままをきく時間だな。何がしたい?」
「え?」
「昨日、約束しただろう。何でもいいぞ。俺にできることなら何でもする。できないことは、できるよう頑張る。どんな無茶でもきく覚悟はできてるぞ。さぁ、命令してくれ」
「ふひゃぁ……」
一瞬、いけない妄想が怒濤の勢いで頭を過り、杏は赤面した。




