理不尽
「お前、あれで良かったのかよ」
御形伊吹は、二人きりになったところで海棠蘇芳に尋ねた。
「何が言いたい」
蘇芳は御形の不機嫌が伝染したように、形のいい眉をひそめた。
昨日の失礼の詫びを入れたいと言ってきた川畑を、御形は蘇芳の部屋ではなく、Sプロの実行委員が集まる部屋に連れていった。ちょうどその時間はSプロの主要メンバーが揃ってお茶会をしている時間帯だったからだ。
身内に囲まれた部屋で、双子は調子にのって川畑を悪し様に罵って吊し上げた。何を言われても低姿勢な川畑を蘇芳はつまらない思いで眺めた。蘇芳の噂でも聞いてビビったのか、今日の彼はいたって真面目な装いで、体こそ大きいものの気弱で凡庸なよくいる雑魚に見えた。
「(なんだ。弱いもの相手にイキッテただけの卑劣な奴か)」
蘇芳は「つまらないものですが、皆さんで」と差し出された洋菓子店の紙袋を見下ろした。ちんけな菓子折1つで自分が懐柔できると思われた気がして癪に触った。
蘇芳は彼に、月曜日に図書室で、女生徒に謝罪して二度と近付かないと誓うよう命じた。彼は委員の仕事がどうとか、学業に差し支える場合は例外にだとか、ごちゃごちゃ言ってきたので、腹立ち紛れに、頼みがあるなら床に手をついて頼めと叫んでしまった。
「たいして悪くもないのに、ちゃんと筋を通して無礼を謝りにきた後輩に、土下座させるとか、お前、何様だよ」
「俺はリーダーだ。あんな、人の顔色をうかがうような小物になめられる訳にはいかない」
「小物ねぇ……茅間の双子も相当あいつのことバカにしてたもんな」
「何が言いたい」
「いや」
御形は、"鞘付き"って恐ええなと思っただけだとは、口に出さなかった。御形にしてみれば、昨日のあの状態を見ているくせに、今日の大人しい姿を見てあいつを侮れる奴の気が知れなかった。
「お前もさ、大将気取るなら、命令はもうちょっとよく状況を把握してからだした方がいいぞ」
「何があったかはミキとヨウにちゃんと確認した。昨日あの後、様子を見に行かせた他の奴からも、あいつが準備室に連れ込んだ女の子にいかがわしいことをして、そのまま連れ帰ったと聞いている。それこそ風紀のお前が粛清せねばならん案件だろう。あいつを気に入ってるんだかなんだか知らんが、お前のその怠慢と身びいきを、俺が尻拭いしてやったんだ。感謝こそされ、咎められる筋合いはない」
御形は、めんどくさそうに灰色の頭を掻いた。
「あー、お前視点ではそういうことになってんのか……」
こちらを睨んでいる蘇芳の肩を2つ叩いて、御形はため息混じりに答えた。
「俺は風紀委員だがな。両思いのカップルが仲良く帰るのを邪魔するのは仕事にしてないんだよ」
「両思い?」
「そ。付き合い始めたばかりで甘々」
「デマじゃないのか?両思いなら、女の方がミキとヨウと一緒に遊びに行こうとなんてしないだろう。もし付き合ってるのが本当なら、その女相当な……」
「それ以上、侮辱したらぶん殴る」
御形は蘇芳を物凄い目付きで睨み付けた。
「お前、一度、茅間兄弟がいらんちょっかいを出した側だという可能性を考えてみろ。違うものが見えてくるから」
「俺はあいつらを信じる!確かにミキとヨウはふざけてばかりだし、イタズラ好きでわがままだし、あんな見た目だから、色眼鏡で見られがちだが、本当は寂しがり屋なだけでいい奴らなんだ。俺はあいつらを疑わない」
「人を信じるのと、言葉を鵜呑みにするのは別だと俺は思うがな」
御形はひとつ肩をすくめて立ち去った。
「蘇芳も悪い奴ではないんだ。ちょっと視野が狭いというか、思い込みが激しいだけで」
「はぁ……それで先方が納得して収まるなら、いいんですが。そうそう。図書の先生には花瓶の件、許していただきました。代わりに買ってきた花瓶も気に入っていただけたようで」
「お前がそこまでする必要ないと俺は思うがな」
「波風立てたくないんです。それで、伊吹先輩、今日は日本茶ですか紅茶ですか」
「紅茶がいい」
御形伊吹はわくわくと川畑が茶を用意するのを待った。
「なんだかんだ言って、このところ毎晩、俺の部屋に来るのは、ひょっとして茶が目当てですか?」
「お前の煎れる茶、旨いんだよ」
「どうぞ」
御形は新しいちょっといいティーカップを手にとって笑った。
「俺用に買ってきてくれたのか」
「客用です」
「俺以外に客なんか来ないだろう」
無言の川畑に、御形は楽しげに紅茶を飲んだ。
「お前、一人部屋だから気楽に遊びにこれていいんだよ。……まぁ、それも今日までだがな」
「どういうことですか?」
「転校生がこの部屋に入る。明日の夕方、荷物が届くから受け取っておいてくれ。本人は月曜からくる予定だ」
「転校生……ええ?この部屋?」
「お前、同室のよしみで案内係兼世話係頼むぞ。なに、俺がお前にしてやったようなことを、ひととおりやってくれればいいから」
「伊吹先輩、結構何から何までしてくださいましたよね?」
「恩返しだ。良かったなー、俺のために働ける機会ができて」
「……わかりました」
このところ、御形に借りが貯まりっぱなしの川畑は、渋々うなずいた。
「ただいま」
「おかえりなさい、マスター!」
「おかえり~」
「お疲れー。飯は向こうで済ませてきた。冷蔵庫のビールもらってるぞ」
畳の部屋でくつろいでいるジャックと、まとわりついてくる妖精達に、川畑は、毎晩こちらの部屋に帰ってこれなくなるかもしれないと告げた。
「同室者か。それは難しいな」
「ええー、マスターにあえないのさみしい」
「顔は見せにくるよ。ただ今みたいに毎晩こっちで一緒に寝るのは難しいかな」
「じゃあ、ボクらが"がっこう"にいくのはいい?」
「マスターといっしょのじかんがもっとへるのはイヤ」
「そっちのせかいにもいけるようにして!」
「理力ベースのお前らをあそこの魔力互換にするのか……ヴァレさんの変換器の仕組み教えてもらおうかな」
「今日もヴァレリアさんのところに行くなら、これ渡しておいてくれ」
ジャックはジャケットからカードを一枚取り出した。
「チケット?」
「ほれ、こっちはお前の分。今度のレースの招待券だよ。鳥主用の特別席だ。ドレスコードあるから、正装で来いよ」
「凄いな。ありがとう。必ず行くよ」
「おう。今度は祝賀会も一緒に出ようぜ。こいつらもおっきくして正装させてさ。やっぱ、身内がいた方が様になるしよ」
「わかった」
ちょっと照れ臭そうに、ビールを煽るジャックの周りを、妖精達が跳ね回った。
「ジャック、またいっとうしょうとろうね」
「おいわい!おいわい!」
「じゃあ、ジャックが優勝したら、お祝いにケーキを作るか」
「やったー」
「ボク、おいしい"アン"のケーキがいい」
「ねぇ、マスター、きょうは"アン"のおみやげないの?」
「う…」
妖精達は毎日、川畑がもらってくる杏のお菓子に、すっかり味をしめていた。
「杏のお菓子はもうおしまいだ」
「ええー!?」
「そんなー!マスター、なにしたの!?ちゃんとあやまらなきゃダメだよ」
「なぜ俺が何か悪いことした前提だ!?」
「日頃の行いだ。この女ったらし」
「酷い。もうちゃんと杏には謝ったぞ」
「やっぱり謝らなきゃいかんことしてたのか。悪い男だなぁ。許してもらえたか?」
「ヘッドロックもどき食らった」
「あちゃー」
「やっぱりマスターはボクらがみはってないとダメだね」
けちょんけちょんに貶されて、川畑はへこんだ。
「一応、お詫びに明日は杏のわがままを何でも聞くことになった」
「へー、どっか遊びにでも連れていってやるのか?」
「いや、もともと彼女の家でお菓子の作り方を教えてもらう予定だったから、そこは予定通りということに」
「面倒かけてるだけじゃねーか!どこが詫びだよ!」
「もう材料も買ってあるからって言われて……」
「材料費はお前持ちなんだろうな」
「……いや」
「最低か!?なにただ飯食らいに行こうとしてんだよ」
「ただ飯はジャックも……」
川畑はジャックの手元のビールに視線を落とした。ジャックは、げふんげふんとわざとらしく咳払いして、ビールを飲み干した。
「とにかく!俺は一度も会ってないけど、その杏ちゃんはすごくいい子だと断言する。何をやらかしたかは知らんがきっちりお返しはしろ。だいたいマイスタークラスの製造技能をマンツーマンの直接指導で履修させてもらうなんて、本来とんでもなく高額な授業料がかかるものなんだぞ。それだけでも法外な借りだと心得ろ。ダーリングさん相手になぁなぁで労働力提供してるノリで済ますんじゃない。わかったか」
「わかった。ダーリングさん相手の労働は、なぁなぁというにはキツいんだけど、要するにあれ以上の滅私奉公をする腹をくくれということだな」
「おう。師匠に教えを乞う弟子ってスターチャンネルのドラマじゃ奴隷みたいに言いなりだったぞ」
川畑は古いカンフー映画を思い出した。
「あれを要求されるのか?」
「要求されなくても提供してこい」
ほろ酔い加減のジャックは無責任にそう言って、びしりと指を突きつけた。
「そして習得した技術で、俺の優勝祝いのケーキを作れ。うん、完璧だ。カップ、キャップ、お前らのマスターが杏並みに旨いケーキを作ってくれるからな。それでいいだろ」
「わーい」
「やったー」
「解決。よし、俺、風呂入って寝るわ。優勝のために頑張るぞー」
「おー!」
「おー!」
「ううう。ヴァレさんのところに行ってくる」
「いってらっしゃーい」
いつの間にかこの部屋が、「ただいま」と帰って来て、「いってらっしゃい」と送られるところになってることに気づかないまま、川畑は転移した。




