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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第8章 学校だけが世界のすべてだった日々

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海棠蘇芳は脚から登場する

派手な音がして花瓶が割れ、中の水が辺りに飛び散った。図書室に居合わせた生徒達から悲鳴が上がった。

「あ……」

双子の片割れは、思わず川畑を掴んでいた手を離して一歩後ずさった。

川畑は、頭から花と水滴を落としながら、ゆっくりと顔を上げた。

「そこの人、今何時?」

濡れた前髪をかきあげて、居合わせた生徒の一人に時間を確認させると、川畑はそれを復唱しながら、カウンターのメモ用紙に書き込んだ。

「君、名前は?」

川畑は、花瓶の破片がついた濡れた上着を脱いだ。

「…お……お前が悪いんじゃん!」

「もう行こうぜ」

双子はあわててその場を立ち去ろうとした。

「おい」

川畑はカウンターを飛び越えた。

「ひゃ!」

「うわ」

双子は走って逃げ出した。

「待て」

川畑は3歩で追い付くと、右側にいた方の腕を掴んだ。

「止めろ!離せよ!」

「離せ!そんなに乱暴に掴んだら痛いだろ!!」

図書室の出入口で騒ぐ双子の声を聞き付けて、廊下にいた生徒達も何事かと足を止めた。


「おい、何の騒ぎだ」

「あっ、リーダー!」

「助けて、リーダー!こいつが絡んでくるんだ」

階段を降りてきたのは、ずいぶんと目立つ男だった。

すらりと長い脚、180はある高身長のスマートだが男らしい体型。顔も精悍なイケメンで、軽く毛先を遊ばせた自然なライトブラウンの髪は、若獅子のたてがみのようだ。やや長めの前髪の間からのぞく眼光は鋭く、いかにも不適な笑みが似合いそうなくっきりした顔立ちは、自信とカリスマ性に溢れていた。




海棠(かいどう)蘇芳(スオウ)は、この学校でもトップクラスの有名人であり、校内にファンクラブがあるほどのスターだった。彼はスペシャルプロジェクトという生徒主導の特別な自主活動の実行委員会でリーダーをしていた。

Sプロの実行委員会用の特別室にいた蘇芳(スオウ)の元に、ファンクラブの一人が、実行委員である双子の茅間(かやま)兄弟が図書室でもめていると知らせに来た。様子を見に来た蘇芳(スオウ)が階段の上から見たのは、図書室から怯えて逃げようとしている双子と、その片方の腕を掴んだ剣呑な感じの大男だった。

険しい顔をしたそいつは、上着を着ておらず、ネクタイも緩め、シャツの前ボタンをだらしなく外しており、おおよそまともな生徒には見えなかった。

「なんだ、お前は。うちのヨウとミキを離せ」

蘇芳が命じると、そいつは眉根を寄せて不服そうな顔をしたが、黙って手を離した。

「なぜヨウとミキに暴力を振るおうとしていたんだ。ことと次第によっては許さんぞ」

階段を降りながら、厳しく詰問した蘇芳を無視するように、そいつは廊下の隅の掃除道具いれのロッカーを開けた。

「リーダー。そいつ、僕らが女の子を誘ってみんなで楽しく出掛けようとしたら、突然、因縁つけてきたんだ」

「やっかんで邪魔してくるなんてひどいよね」

双子は蘇芳の方に駆け寄ると、先を争うようにペラペラと事情を話した。

「それで、女の子を僕らから無理やり引き離して閉じ込めちゃってさ。僕らを追い払おうとするから、さすがの僕らも怒ったんだ」

「そしたら逆ギレして追いかけてきてさー、怖かったぁ」

川畑は黙って、ロッカーから柄の長いモップを取り出した。

「なんだ、お前。やる気か!?」

「そんな武器なんか持って卑怯だぞ」

騒ぐ双子を一瞥してから、川畑はめんどくさそうに蘇芳に向き直った。

「もうなんでもいいんで、さっさと、それ持って帰ってくれ」

蘇芳は相手の低い声音の奥底に、圧し殺されたどす黒い何かを感じて、ゾッとした。

「……待て、女の子が閉じ込められたと聞いたぞ。その子をどうする気だ」

「俺が彼女と何をしようと、あんたに口を出される筋合いはない」

モップを持った危険人物は、抑揚のない声でそう言った。

蘇芳の中で、何かがカッと燃え上がった。

「そういわれて、引き下がるような真似はできん」

蘇芳は無礼な男子生徒を睨み付けた。

「リーダー、もういいから戻ろうよ」

「こんな奴相手にごちゃごちゃしててもつまんないよ」

「そうそう。そこまでするほどかわいい子じゃなかったし」

「うん。フツー、フツー。むしろ根暗ブス?」

双子の片割れがそう言った瞬間、彼の鼻先に、衝撃波が発生したかと見まごう勢いで、モップの先が突き付けられた。

「ひゃぁ……あ……」

彼は思わず腰を抜かして座り込んだ。

「謝罪と訂正を要求する」

真っ直ぐモップを突き出してそう言った男子生徒は、柄をクルリと回してモップを持ち直した。それは明らかに長柄の武器を扱いなれた動作だった。

「なんだと?」

蘇芳は警戒していたにも関わらず、男の動作にまったく反応できなかったことにショックを受けた。

「謝れっつってんだよ。耳の穴からモップ突っ込んで、その空っぽの頭ん中掃除してやろうか」

「ひぃっ!?」

ビビりきった双子が両手で耳を押さえ、蘇芳が双子の前に出て構えたところで、廊下の向こうから、彼らを止める声が上がった。

「そこまでだ!」

大音声で割って入ってきたのは、風紀委員長の御形伊吹だった。




御形伊吹が来たことで、その場はあっさりとけりがついた。

川畑は面倒な相手を御形に任せて、さっさと退いたし、蘇芳は知り合いである御形の言うことは聞いたからだ。

「まずはお前は、そいつらを連れて帰れ」

「御形、なんなんだ、奴は?」

「あいつのことは俺に任せろ」

御形伊吹はニヤニヤ笑いながら、小声で蘇芳にささやいた。

「あれは風紀(うち)がいただく。Sプロ(おまえ)にはやらん」

目を丸くした蘇芳の肩を二つ叩いて、御形は図書室に入っていった。




図書室にいた数名から、手短に事情を聞き出した御形は、カウンター周りの濡れた床をモップで掃除している川畑のところに行った。

「大変だったな」

「伊吹先輩が来てくださって助かりました」

川畑はチリトリの上に集めた花瓶の破片を、古紙に包んで袋に詰めた。

「これ、図書の先生の私物なんです。うっかり落としたとかなんとか適当に事情を説明して、川畑は後で謝罪にうかがうと伝えておいていただけますか」

「おい。今すぐ自分で行けよ」

「この格好で行ったら、根掘り葉掘り聞かれます」

「確かに花瓶落としただけって格好ではないな」

「それに、先に杏を家に帰してやりたいんです。このまま先生からあれこれ質問されて遅くまで拘束されたら可哀想だ」

「あー、絡まれてたのって、お前の彼女か。なるほど。今どこにいるんだ?」

「準備室に避難させました。まだそこにいるはずです」

御形は川畑の頭をはたいた。

「掃除なんかしてる場合か、アホ。さっさと行ってやれ……って、お前の頭、おもいっきり濡れてるな。くそ」

「手、大丈夫ですか?破片残ってるかもしれないので、危ないから触らない方がいいですよ」

「お前は怪我はないのかよ」

「まぁ、そこそこ丈夫なので。ああ、花瓶握ってた側のあいつは、手を切ってるかもしれません。確認しようとしたんですが、逃げられました。伊吹先輩、見かけたらちゃんと保健室行けって声かけといてください」

「まったく、お前は……」

御形はあきれてため息をついた。

「わかった。あとのことは引き受けてやるから、お前もさっさと帰れ」

「ありがとうございます」

一礼して準備室に入っていった川畑を見送ると、御形は図書室を出た。

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