山桜桃は淡紅色の花を咲かせます
夜、川畑が寮の部屋から、賢者モルが作った世界にある部屋に戻ると、ジャックも帰って来ていた。
腹が減ったというジャックに、川畑はご飯を用意してやった。
「それで、学校はどうよ。課題が大変って言ってたのはなんとかなったのか」
ジャックはマイ茶碗にご飯をよそいながら、尋ねた。
「先輩にアドバイスをもらえたおかげで、なんとかなった。やはり独学ではなく学校に通うというスタイルで学習するのは、それなりに意味があるな」
「へー、俺は学校っていうのに通ったことがないから、わかんないけど、まぁ、良かったじゃん」
いただきますと手を合わせてから、ジャックは夜食を食べ始めた。
「うん。旨い。祝勝会で食い損ねてたんだ」
「祝勝会ってことは、また勝ったんだ。おめでとう」
「今日で下位のリーグは制した。次はいよいよ中央のトップ層に殴り込みをかける」
「宿が変わるなら、この部屋への扉をまたつけ直すよ」
「頼む」
「予定があえばレース観に行きたいな」
「おう。来い来い。カップとキャップも喜ぶぞ。あいつらすっかりチッピーの頭に乗っかってレースで走るのが気に入ったみたいでな。毎回、大はしゃぎだ」
川畑は、ジャックの帽子の中で眠っている妖精達を見て軽く笑った。
「もう少し力を余分に分けておいてやろう。俺があっちの世界を離れていても大丈夫なように」
「眷属……だったっけ?」
「ああ。こいつらの主が俺なんで、俺がいないと存在基盤が弱くなるんだ。今のこいつらは向こうの世界の設定に合わせて作ったから、少しの間なら平気なんだけどな」
「ふうん……なんかそういうの聞くと、カップが魂が欲しいって言ってたのがわかるな」
「そんなこと言ってたのか?」
「多分、お前の従者であることに不満はないけど、従属した存在であることに満たされなさを感じてるのかもな」
ジャックは座椅子の背にもたれ掛かって天井を見上げた。
「自分が誰かにデザインされた通りの創作物だっていうのは、なんかこう、自分が自分である根元が他人任せでどこにもない感じがして気持ち悪いんだよな。自由じゃないっていうか、ほら、今、自分が感じている思いも、誰かにデザインされたものだったら、って考えたら、笑ったり泣いたり誰かを好きになったりする気持ちが、全部信じられなくなるだろ」
非合法な手段で人工的に造られた存在であるジャックは、無理やり人権をぶんどって、がむしゃらにあがいた頃をぼんやりと思い出した。
「ジャックは誰にも命令されずに好きに生きてるし、カップやキャップだって、そういう意味では誰にも干渉はされていないぞ。あいつらの個性と情動は完全に俺はノータッチだ」
「見ばも?」
ジャックは、カップの美少女形態を思い出しつつ恐る恐る聞いてみた。
「顔もスタイルも全部ノーチェック。あいつらは俺が知り合ったときからああだったし、眷属化した後も、こっちから個性に干渉はしてない。なにか変わったとしたら奴等が自分で見聞きした経験で身に付けた結果だし、自分で考えた気持ちと思いだ」
「そっか……」
川畑は眠っている妖精達の寝顔を覗き込みながら、しみじみを言った。
「だって、考えてみろよ。カップの気持ちや姿が、俺の影響ですべて決まっているんだとしたら、俺、好き好き連呼しながら俺やお前にべったりなつく可愛い小妖精を、リモート操作して喜んでいる変質者だぞ。それは嫌すぎるだろう」
「ああ……うん……」
その可能性が完全否定されて、本当に良かったと、ジャックはひそかに胸を撫で下ろしたした。
「だから、こいつらは眷属とはいえ、十分に自我のある個人だよ。なんなんだろうな、思考可能体か眷属かどうかの違いって。今、俺が通っている学校のある世界って、ときどき通行人の顔がなかったり、本当に背景としてしか存在していない生徒がいたりするんだ。ああいうのを見ると眷属というのは作り物だと感じるんだけど」
川畑は首をかしげた。
「どうも、個性があっても、ステロタイプ過ぎて薄っぺらく感じる奴もいるんだよな」
「そういう奴って、なんにも考えずに生きてるんじゃないのか?」
「どうなんだろう?とにかく、どこまで相手を舞台装置として割りきらなくちゃいけないのか、わからないっていうのは、やりにくい」
「うーん」
ジャックは体を起こして、川畑の方に身を乗り出した。
「とりあえずお前さ。よっぽど不自然か不愉快な相手以外は、全部、人として扱ってみろよ。芯から人じゃない奴は、どう扱われてもなにも感じないけど、人なのに人として扱ってもらえないのって、やられた側はかなりつらいから」
ジャックの言葉を、川畑は真剣に聞いた。
「人じゃないやつを人として扱うお前を見ても俺は笑わないけど、人を人じゃないものとして扱うお前を俺は見たくないな」
「わかった」
神妙にうなずいた川畑の肩を1つ叩いて、ジャックは笑った。
「なんか他にも悩んでるなら、ついでに話しとけよ。どうせなんか細かいのがあるんだろう」
川畑はばつが悪そうな困った顔をした。最近、ジャックが一歩踏み込んで接してやると、彼はよくこういう顔をする。それが楽しくてジャックはちょくちょくこの意地っ張りをつついていた。
「学んでる魔法を、どこまで検証して考察していいのか、さじ加減が分からない。世界に影響がでるとまずいので、授業中は浅い理解に抑えてノートだけとってるんだ。この後、クラスメイトと自由課題で共同研究するんだけど、このままじゃまずいよな」
「魔法の方は俺にはよく分からないけど、せっかくヴァレリアさんと知り合いなんだから、相談してみたら?あの人"魔女"なんだろう?なんならそっちの世界に一緒に行ってみてもらえばいいじゃん。侵入者に緩い世界だって言うならさ」
「なるほど。その手があったか。ありがとう、ジャック」
川畑は目から鱗が落ちた思いで、ジャックに感謝した。
「……ところで、風呂から上がったらさ」
真面目な顔でジャックは川畑を見つめた。
「ビールもう1本飲んでいいか?」
「ダメだ。今日は祝勝会で飲んできたんだろう」
川畑はさっさと卓上を片付けると、ジャックを風呂場に追いやった。
熱い湯に浸かりながら、ジャックは、こういう不自由さや干渉は悪くないなと思った。
「課題、間に合って良かったね」
「ああ」
魔術実習室からの帰り、佐藤と川畑は渡り廊下を通って、教室に向かっていた。
「そういえば、共同研究演習の班どうしよう?」
自由課題の共同研究は、班分けもメンバー4~6名と決められているだけで任意だった。
「小柳くんを誘うとしても、それ以外に最低でもあと一人誘わないといけない。誰にする?」
「特に希望はないな。佐藤は?」
「そうだなぁ。性格がキツい人とか苦手なんだよな」
教室に入ったところで、佐藤は一人のクラスメイトに目を止めた。
「山桜桃さんは大人しそう」
「誰」
席に付きながら佐藤は川畑にひそひそとささやいた。
「ほら、あの一番前の席にいる三つ編みして眼鏡かけてて、背が低めの子」
「ああ、あの子か。そんな名前だったっけ?」
川畑はタブレットでクラス名簿の画面を開いて、彼女の名前を確認した。
「へー、山桜+桃でユスラウメって読むんだ」
「名前が杏と書いてアン。薔薇以外のバラ科花木コンプリートしてるよね。姉妹に花梨ちゃんとかいそう」
「"野薔薇の君"だな。誘ってみようか」
「大丈夫かな。もう誰かと約束してるかもしれないし」
「とりあえず、声かけてみないとわからんだろう」
川畑は席を立って、山桜桃のところに行った。
「山桜桃さん」
「は、はひっ」
声をかけられて振り返った山桜桃は、大柄な川畑を見上げて、怯えたように小さく飛び上がった。
「な……なんでしょうか?」
おずおずと問いかけた山桜桃を怖がらせてはまずいと思い、川畑はできるだけ穏やかで丁寧な態度を心がけて話をした。
「山桜桃さんって、もう決まった人がいたり、これから声をかけようと思っている相手がいたりするかな」
「えっ?わ、私……別にそんな人は、まだ全然……」
小柄な山桜桃は、狼狽してさらに身を小さくすくませて、うつむいた。背の低い彼女が座った状態でそうすると、背の高い川畑はとても話しにくかった。川畑は彼女の側で片膝を付いて、彼女の声量に合わせて、低めの抑えた声で返した。
「だったら、考えてみてくれないか?俺は君がいいと思った」
「え……」
顔をあげた山桜桃の頬は、ゆっくり赤くなった。
「付き合ってくれるか」
「……はい」
「山桜桃さん、OKだって」
席に帰って来てそう言った川畑を、佐藤はひきつった半笑いで迎えるしかなかった。
B組の男子が教室でコクったという噂は、昼休みまでに野火のように広まった。
川畑にとってのヒロインはノリコ一択です。
本章はノリコがヒロインするはず……だったんです。
……ちょっとプロットがここで脱線しただけで。
初期プロットでは、同じ班にならないちょい役のはずだった山桜桃杏の明日はどっちだ!?
以下、飛ばして読んでいる人向けの解説:
ジャックは6章登場、7章の準主役のスペオペ兄ちゃんです。
宇宙生まれ、宇宙育ちの、宇宙船乗りでしたが、何だかんだで、現在、川畑の仮住まいに同居中。
最近、川畑の影響で生活が日本ナイズされています。




