時計ワニ
「ヤマトさんって、普段はめんどくさいぐらい理詰めで動くのに、たまに暴走しますよね。冷却装置の弱いコンピューターですか、あなた」
半透明な帽子の男は、川畑の隣にふよふよ飛んできて、ため息をついた。川畑は憮然とした。いまだに名前を間違えていることを訂正する気も起きない。
「一体全体どういう状況なんですか?コレ」
男は首をかしげ、川畑は眉間のシワを深くした。
「俺もどうしてこうなったのか、飲み込みあぐねている」
ぼそりと答えて、六尺棒でワニの鼻先をつつくと、ワニは大きく口を開けた。……これも外れだ。
「ほれほれ、時計を見つけたら、ワシの船に乗せてやらんでもないぞ!」
「何をどうしたら、海賊船長に煽られながら、海面いっぱいのワニの背を渡って、口の中を覗いて回る羽目になるんです?」
成り行きとしか言いようがなかった。
売り言葉に買い言葉で、キャプテンと張り合っているうちに、時計を見つけたら話を聞いてやると言われて、六尺棒を投げ渡されたのだ。
このうちの1匹の口に、キャプテンが落とした時計が引っ掛かっているらしい。
「チクタクワニを海賊船長の方が探して回るって、逆だろ……」
「いろいろ道理に逆らっている人ですから」
お前が言うなという言葉を飲み込んで、次のワニの口をつつく。……外れだ。
「んん~?そこにおるのは、時空監査官の阿呆ではないか。お主、ついに幽霊になったか」
「足が透けてると幽霊と見なす文化圏在住でもないのに、そのコメントはむごいんじゃないですか!?」
船縁から身をのりだし、小手をかざしてこっちを見ていたキャプテンは、おもむろに短銃を取り出した。
「まだ生きているなら、すぐにあの世に送ってやろう」
キャプテンは短銃をぶっぱなした。
轟音と共に、川畑の後ろで派手な水柱が上がった。ワニが数匹吹っ飛んで落水する。
「っぶねーな!いきなり発砲すんな!」
「わははははは、ちょっと照準が甘かったな、もう一発いくか」
「きゃー、あんなのが当たったら死んでしまう~」
「てめえ、物理攻撃無効だろうが!棒読みで怖がってんじゃないっ!!そこのおっさんも、そんなフリントロックの短銃でそう簡単に2発目が撃てるわけないだろ。適当ぬかすな!」
「ぬはははは、愚か者めが。銃が1つしかないとだーれが言ったぁ」
キャプテンは、左手で銃を構えると、んべっと舌を出した。
「わー、たすけて~」
「あ、こら、俺に被るな。こっちくんな」
「キャプテンさん!なにやってるんですか!そんなの撃っちゃダメーっ!!」
「ああっ、ノリコさん。近づいちゃ危ないですよ」
「ボーンドくん、彼女を此方に来させちゃいかんだろう。ああ、ちょっとやめなさい。これは危険だから。って、ほら、言うことを聞きなさい。そんなところを掴んだら……痛たたた……あ」
再び轟音と共に、派手な水柱が上がった。ワニがまた数匹吹っ飛ぶ。
と、今度はその中にキラリと金色に輝くものがあった。
「あっ」
「時計!」
「落とすなーっ!!」
帽子の男が素早く宙を飛んで、落下するそれをキャッチしようと手を伸ばした。
届いた!
……だが時計は、帽子の男の手をすり抜けて、海に落ちた。
「あれ?」
「だから、お前が取りに行ってどうするんだよ。触れないんだろ」
「だってヤマトさんが行かないから」
「足場が吹っ飛ばされてるのに行けるわけがないだろう」
川畑は波打つ海面で激しく揺れるワニの背でぎりぎりバランスを取りながら、時計が落ちたところを目で追った。
さっきからひどく胸騒ぎがする。
銃で狙われていたからとか、そういうのとは別に、何か大きなモノの気配がこちらの大騒ぎをうかがっている感じがした。
「ぬう、流石に騒ぎすぎたか」
キャプテンは左腕にしがみついていたノリコを抱き上げた。
「ボンド!錨を揚げろ。でかいのが来るぞ」
「あい!キャプテン」
暗い水底から何かがゆっくり上がってきていた。
大きな白い口先が海面を突き上げて現れた。鋭い歯が並んだ口は人を丸飲みにできるサイズだった。体長は中型のクジラほどもあるだろう。
「ヤマトさん!主です」
荒れた波に落水した川畑の方に大きく体を捻って、その怪物は水に潜った。
大きな波がたち、激しく海面がうねる。
主が再び水面に現れたとき、川畑はその怪物の鼻先に引っ掛かっていた。
「小僧、いい様だなぁ」
「うるせぇ!」
川畑は、暴れる主から振り落とされまいと、顎に馬銜のように棒を噛ませて、鼻先に跨がるように取り付いた。キャプテンに抱えられたノリコは悲鳴を上げた。
「キャプテンさん、下ろして。早く彼を助けなきゃ!銃!さっきの銃は!?」
「小僧、こちらのお嬢ちゃんが早いとこお前を撃ち殺して楽にしてあげてくれと言っとるぞ~」
「そんなこと言ってない~っ!!下ろして~」
「はっはっは、暴れると危ないぞ。ほれ、マストに掴まっていなさい。揺れが酷いから落ちんようにな」
キャプテンは横波で揺れる船の中央のマストの下にノリコを下ろした。
ノリコは泣きそうな目でキャプテンを見上げた。
「こんなこと頼める立場じゃないけど。お願い、彼を助けて」
「……銃は装填しなおさんと撃てんから、こっちでよかろ」
キャプテンはロープの束と、紅白縞の木製の浮き輪を手に取った。
「がんばれー、ヤマトさん!振り落とされたら喰われますよ~」
いちいち間違えた名前で声をかけてくるのがいらだたしいが、返事をする余裕もない。
「大丈夫!ロデオにちょっと水攻めが追加されているだけです。あなたなら耐えられます!」
「今すぐ代われ!こんちくしょー」
たまらず叫び返した直後に、また川畑は水に引きずり込まれた。
泡立つ水流に揉まれて体が揺さぶられる。掴む手が痺れ、感覚が麻痺してくる。息を止めるのが限界だと思ったとき、水面上に持ち上げられた。
主も苦しいのか、なんとか川畑を落とそうと、跳ね上げるように大きく口を開けて反り返った。噛ませていた棒が外れ、川畑の体が宙に舞う。
「ヤマトさん!」
放り上げられた体は、そのまま大きく開いた主の口に向かって落下した。
「んっなくそっ!」
空中で体を捻り、かろうじて片手で持っていた六尺棒を主に向かって振り下ろす。そしてそのまま上顎と下顎の間に、つっかい棒になるように押し込んだ。
落下した体が、青白い口内を滑り落ちるのを、握った棒と両足で踏ん張って止める。苦しむ主の喉がぽっかり開き、体の奥まで丸見えになった。薄く発光する主の体内は、普通の生き物とは違うようで、食道や胃の府といった区別もない寸胴の奈落だった。その青白い肉壁でできたウツボカズラのような主の腹の奥で、何かが金色に光った。
顎の力に耐えかねた棒がしなって、ミシミシと鳴る。
「小僧!受ぅ~け取れ~ぃっ!」
川畑はその声と共に真っ直ぐ飛んできた硬い浮き輪を、ぎりぎりのタイミングでキャッチした。
棒が折れて、主の顎が閉じる。
川畑は主の胎内に飲み込まれた。
主の体がゆっくりと倒れ、波がうねり、白昼夢号は大きく揺れた。




