赤砂の門番
乾いた熱い風にMMは目を細めた。
「チッピーと一緒に来たかったな」
赤い大地は、強い日差しの下で揺らいで見えた。
「じいさん?おーい……どうしたんだ?なんか様子が変だぞ」
牧場に立ち寄った二人は、壊された柵や、扉の外れた建物を見て顔色を変えた。
赤金鳥ブリーダーのじいさんは、半壊した建物の奥で横になっていた。
「じいさん!おい、しっかりしろ」
「……ああ、あんた達か」
元々、枯れ木のようだったじいさんは、さらにやつれた様子で、細く目を開けて、弱々しく返事をした。
「どうした?やっぱりチッピーが飼いたくなったかね。残念だがちょっと遅かったよ」
じいさんは「あんた達に売ってやるのがよかったなぁ」と呟いてまた目を閉じた。
「じいさん!大丈夫か!?何があったんだ」
「なあに、ちょっと仲買ともめただけだ……ただそんときに、左脚と腰をやっちまってな。なかなか思うようにならん」
じいさんは、くっくと喉の奥で小さく笑った。
「年をとると体も頑固になって、怪我も病気もなかなか治らん」
「熱がある。じいさん、薬は?」
「そんな上等なもの、こんなくそじじい用に用意しているわけないじゃろう」
「左脚を怪我したと言ったな。見せてみろ。MM、船の応急セット持ってきてくれ」
「あんた医者か?診療代は払えんぞ」
「残念ながら素人だ。医療行為はできん。だが、くそじじいの応急メンテぐらいやってやる。覚悟しやがれ」
川畑は怖い顔でじいさんを睨んだ。
「お節介な奴もいたもんだ」
毛布にくるまったじいさんは、両手でスープの入ったカップを持って、ぶつくさ文句を言った。
牧場から戻ってきた川畑は、納屋にあった工具で、入り口の扉を直し始めた。
「赤金鳥は一応無事みたいだぞ。年寄りと体の小さいメスしか残ってないみたいだし、少し痩せているようだったが、あんたよりはましな状態だった。水桶の給水器は無事で、餌箱が壊れていた。どうも壊れた餌箱からこぼれた餌でなんとか食いつないでいたみたいだな」
「あいつらは人間よりうんと丈夫で賢い生き物だ。ワシが世話をやかなくても生きていけるだろうて」
「バカ野郎。牧場主がなにいってんだ。あんた最高の赤金鳥ブリーダーなんだろう?」
「もうダメだ。あの野郎、めぼしい鳥を根こそぎ盗っていきやがった。今からもう一度いい血統のオスを仕入れるなんてできねぇ。ブリーダーは廃業だ」
生きる気力をすっかり失ったじいさんは、小さく萎びて見えた。
「物事には何でも潮時ってもんがあるんだよ。この星だってそうだ。ここも昔はそりゃあ賑やかなもんだった。マスドライバーは毎日みたいに荷を打ち出してたし、酒場にはそこそこいい感じの美人がいて、酔っぱらいどもは、レースに給料を全部突っ込んでた。楽しかったなぁ……みんな一発当てて大儲けしたら何をするかって話したら、レース鳥のオーナーになって、自分の鳥を優勝させるんだって……バカ野郎だ。こんな涸れ果ててなんにもなくなったところにいつまでもかじりついて」
扉を直し終わった川畑は、黙って工具をしまった。
「じいさん、ここを出て行く宛はあるのか」
「……火星に昔の知り合いがいるが、もうずいぶん連絡も取ってない。とっくにくたばってるかも知れねぇな。そもそもあんなとこまで行く金なんざねぇんだから、生きてようが死んでようがどうでも同じなんだけどよ」
カップの中身を半分ほど残して、うつらうつらし始めたじいさんを、ベッドに寝かせて、川畑は小屋を出た。
川畑達は、今回は場所の見当が付いているので、船で目的の洞窟の近くにまで行くことにした。
赤い涸れ谷は、何の変わりもなくそこにあった。
MMと川畑は、谷の奥にある入り口から暗い洞窟の中に入っていった。洞窟の中は入りくんでいたが、視覚補正と空間認識で洞窟の構造を把握しながら進める二人にはたいした問題ではなかった。
ほどなく二人は目的の場所にたどり着いた。
その一枚岩の表面には紋様が刻まれ、浅い窪みがあった。窪みの中央は丸く盛り上がっている。
川畑は借りてきた文化遺産を取り出した。MMは手にしたライトで"聖杯"を照らした。杯の表面が光を受けて複雑な虹色のマーブル模様に輝いた。
「確かにぴったりの大きさだな」
窪みの中央の丸い盛り上がりは、杯の内側にちょうどはまりそうなサイズだった。
「"泉"だの"杯"だの言われてるのに、伏せて置くのか?」
「これは杯じゃなくて、ドアノブなんだよ」
川畑は一枚岩の表面を撫でてから、杯を持ち直した。
エルフェンの郷や精霊界でみた門は、虹色の石をカギにして特定の2点をつなぐ方式だった。おそらくこの杯は、ルルドの遺跡の扉を開くカギだ。
「ジャック、ヘルメット持ってきてるな。被っとけ」
「何が起こるんだ」
「わからん。カップとキャップは、はぐれないようにしっかりくっついてろ」
「はーい」
「あいさー」
小さな妖精達は、自分の主人の頭や肩につかまった。
川畑は杯を"扉"にはめた。
力を吸い出される感覚があり、浅い窪みに何か透明なものが満たされるのが感じられた。中央の杯から同心円状に波が起き、透明な何かが脈打つように震えた。
「(あ、これモノリスだ)」
川畑はスターゲートを開いた。
激しい光の奔流が収まった後、川畑は白い部屋にいた。光源がわからない白い部屋は、完全に左右対称だ。
「(しまった。キューブリックでイメージしてしまった)」
周囲を確認したが、MMどころか、カップやキャップもいない。繋ぎっぱなしにしていたリンクも切れていた。
川畑はこの空間のワールドプロパティを参照しようとした。
『でイブ…やメて……』
どこか壊れた非人間的な声が川畑を止めた。
「(いかん。このイメージは危険だ)」
川畑は急いで頭を切り替えようとした。おそらく今感じているのは、理解しがたい何かを理解しやすいように、先入観をもとに変換された情報だろう。とはいえ、その変換のバイアスが実際の結果にどう影響するかわからない。だとするとこの路線はあまりよろしくなかった。
もう少し穏当で、実情に即したイメージで近似を探してくれ。
川畑は一度、"眼"を閉じて翻訳さんに頼んだ。
小鳥の声と草木の香りに顔をあげると、そこは大樹の前だった。太い幹にそって視線をあげると、広がった枝の間に、青空を映す天井が見えた。足元に目をやれば、小さな花の咲く柔らかな草地の先にある泉の底に、沈んだ都市が見える。
一歩踏み出そうとすると、目の前に腰ほどまでの高さの黒い石柱が現れた。
「なるほど」
川畑は、文字が彫られた上面を軽く撫でた。
硬質な澄んだ音が遠くで聞こえた。
「できれば、親切な対話式のインターフェースがあると嬉しい」
周囲が揺らぎ、氷と水晶で覆われた洞窟になった。
『よく来たな……カル・エル……』
理知的な目をした科学者風の壮年の男の半透明な姿が空中に現れた。
「そうきたか」
川畑は翻訳さんが選び出した近似イメージを見て、自分の趣味を少し反省した。
「だいたいわかった。要するにあれだ。失われた文明世界のデータベースだな」
「そう考えてもらってかまわない」
「しかも、こうして会話しているあんたは、古代超文明の担い手自身ではなく、彼らが作った人工知能の類いということだろう?」
「そうだ」
「扉を開けてやってくる誰かのために、超越者達が残した道標か、単なる門番か」
男の姿は、胸にS字風の家紋の着いたジャンプスーツを着た未来人風だったり、長髪でローブを着た導師風だったり、かっちりしたスーツの強面風だったり、ゆらゆらと定まらずに揺らいだ。
「そのとおり。私はゲートキーパーだ。だが君が今考えているほど低位の存在ではない。君が私を認識するイメージを補正するために少し干渉することを許可してもらえるだろうか。"私"自身もまた君から見れば超越的な存在であることを指摘したい」
突然、氷の洞窟が消え失せた。
気がつくと川畑は書架の並ぶ部屋にいた。中央に置かれた大きな椅子に座った男は、細い髭をピンと立てて口の端で笑った。
「だいたいこんなイメージであってると思うんだが、違うかね?」
「誰が超越者だ、この壊れプログラム。キャプテンの真似なんて悪趣味なことすんな。色物が感染するぞ。似てなくて気持ち悪いし、似てたらもっと嫌だから止めろ」
川畑は平坦な低い声で早口で捲し立てた。
キャプテンセメダインの姿をしたゲートキーパーは、器用に片眉を吊り上げた。




