バックアッププランはいらない
川畑は逃げるに逃げられない状況に陥って、困っていた。
「なによ。助けてあげたんだから、もっと嬉しそうな顔しなさいよ」
小柄なク・メール人の娘は白い耳をピクピクさせて、川畑を睨んだ。
「静かに。人が来る。姿勢を低くして」
「わかってるわよ。バカにしないで。あんたよりよほど人の気配には敏感なのよ。あんたこそ、そのデカイ図体なんとかしなさいよ」
川畑はMMを抱えたまま、黙ってオブジェの影に身を潜めた。
怪しい煙で眠らされたMMはいまだに目を覚ましていなかった。
「(心配だな。早めにちゃんと診断して回復させてやりたいんだが)」
ぐったりした身体を抱え直して、楽な姿勢にしてやる。
人目があるところではそれ以上のことはできないので、川畑は内心で少しイラついていた。
煙がおさまった後、気を失ったMMと、気を失ったふりをした川畑は、殺風景な小部屋に運ばれて、閉じ込められた。川畑は頃合いを見計らって逃げようと考えて、大人しくしていたのだが、それが裏目に出た。
どういうわけか、この"ヴィクトリア(仮名)"が現れ、彼らを「助ける」といって小部屋から連れ出したのだ。川畑は、このジェリクルのナビゲーターと面識はあったが、それほど親しくした訳でもなかったので当惑した。なぜ彼女がこんなところで、こんなことをしているのかは、さっぱりわからなかった。それでも、不当に監禁されていたあの状況で、助けに来たといって部屋から出してくれるのを断るのは、いかにも不自然だし理由がなかったので、川畑は彼女にいわれるままに付いてきていた。
「どこに向かっているんだ?さっきから変にぐるぐる行ったり来たりしているが」
「仕方ないでしょ!初めての場所で人を避けながら逃げてるんだから」
川畑はダメな相手に付いてきたことを悟った。
「いいから、ごちゃごちゃうるさくしないで、黙って付いてきなさいよ。多分こっちよ」
全然あてにならない先導者は、船に戻る方とは逆方向を指差した。
「いや、そっちに行っても船には戻れない」
「いいのよ。私達、船に向かっている訳じゃないんだから」
「どういうことだ」
「私には目的があるの。助けてあげたんだから協力してちょうだい。あなた、その図体にみあった程度には腕はたつんでしょう?」
川畑は眉根を寄せた。
「荒事に巻き込まれるのは困る」
「なにお上品なこと言ってるのよ。狂烏のくせに。さっきから人一人担いでて、足音たてないで歩いているってことは、あなたも大概その筋の訓練受けてるんでしょ。役に立ってくれないと困るわ」
「何を企んでいるのか知らないが、見つかったとき囮や肉盾にされるのはごめんだ」
「そんなつもりはないわ」
「どうだか。お前のパイロットはどうした。捨てゴマじゃない協力なら身内に頼めばいいだろう」
ジェリクルのナビゲーターは顔をしかめた。
「冗談じゃないわ。あんな無節操なケダモノ男、信用できるもんですか。私を見捨てようとした上に、襲いかかってきたのよ」
迷路のテストプレイの一件を見ていない川畑は、何か痴話喧嘩でもしたか、男側が片思いを拗らせたのかなと解釈した。
「思い出しただけで寒気がするわ。私が強化アポストロフィじゃなかったら足腰立たなくなってたところよ」
「強化アポストロフィ?」
白耳のク・メールは、じろりと川畑を睨んだ。
「なによ。悪い?あなた純粋主義の自然崇拝者?そっちの彼は私がアポストロフィだって知っても何も気にしなかったわよ」
彼女はMMを指して、鼻を鳴らした。
「アポストロフィってなんだ?」
「知らないの?複製よ。オリジナルの肉体情報を元に培養された促成クローンに経験記憶をインストールした奴。私はレース用にオリジナルよりも肉体を強化された強化アポストロフィなの」
偽体のようなものかと川畑は理解した。
「人間モドキだとか、アイデンティティーに問題があるとか、オリジナルの人権侵害だとか色々いう奴はいるけど、知ったこっちゃないわよ。こちとら生きてんのよ。体や記憶が促成の後付け品だとしても、この瞬間にここで生きてるのは私なんだから」
川畑はノリコの偽体を思い出した。一時の夢か幻のように彼を愛して、彼の妻になって消えた偽のノリコ。
表情を曇らせた彼をどう解釈したのか、ジェリクルのナビゲーターは、険のある声で告げた。
「あわれんだり、蔑んだりするのは勝手だけど、私の存在が幻影だとかいう寝言は止めてよね。本物が別にいて、短命だからって、こうやってリアルに存在してる個人が幻なわけないじゃん」
川畑がギクリと体を震わせたのに、気づいたのかどうかはわからないが、彼女はうっすら微笑んだ。
「見てなさいよ。今はただの非合法アポストロフィに過ぎない私だけど、この件を成功させて人権取得してやる。表っ側で堂々と生きてやるんだから」
川畑はMMがなぜ最終戦で、彼女を支援して優勝させようなどという世迷い事を言い出したのか理解した。おそらく彼は彼女からこの話を聞いたのだ。
「……誰に何をやれと言われたんだ。"この件"とは何かお前の目的を教えろ。闇雲に付いてこいでは、まともな協力はできん」
「いいわ。ここまできたら一蓮托生だものね。教えてあげる。聞いて驚きなさい。私、実は銀河連邦保安局のエージェントなのよ。極秘任務で、悪党がここにガメているお宝を、正義のために奪還しに来たの。凄いでしょ。見事奪いとって任務達成した暁には、人権が貰えるって連邦保安局から直々に保証されてるんだから」
彼女が強化アポストロフィとして、オリジナルから何を強化されたのかはわからないが、知性と思慮深さではあるまいと、川畑は頭痛を覚えた。
「そのお宝っていうのはなんだ」
「何かこうカップ状の入れ物っぽい奴よ。これくらいの大きさで、光にあてると表面が虹色に見えるの」
"聖杯"だ。
銀河連邦保安局の同時発注に間違いなかった。エザキ捜査官が知っているかはわからないが、川畑達が失敗した時の保険に、彼女という手段が用意されたのだろう。しかし、だとすると彼女が川畑達に直接接触するのは悪手のはずだ。
「俺達に接触したのは保安局の指示か?」
「違うわよ。なに?あんた実は保安局から目をつけられてるほどの犯罪者なの?」
「そんなわけあるもんか」
エザキが聞いたら「思いっきり要注意人物でトップシークレット扱いだ!ボケぇ」と絶叫したかもしれなかったが、川畑はしれっと否定した。
「だよね。あんた達を助けたのは、まぁ、行き掛かりよ。でも、あんた達にとっては私はものすごい幸運の女神よ。オーナーが潰されて、捕まって売られる間際だったんだから。ここでちゃんと私に協力したら、一緒にここから逃がしてあげるし、その後のことも多少世話してやってもいいわ。あんただって自由になりたいでしょ」
「お前、名前は?」
「商品名はステラよ。個人名はないわ。なに、幸運の女神を讃えたくなった?」
「俺の幸運の女神はもっと可愛い」
川畑は憮然として足を止めた。
「ステラ。お宝のある部屋はどこか知っているか」
「"客間"って言われている部屋よ。招待客だけが入れる特別な部屋で、このゴーフルのどこかにあるって聞いてる。そう遠くないはずだし、今、お客達が集められてるから、すぐにわかると思うわ」
これはダメだ。こいつは何も考えていない。
人の気配など、対人の警戒スキルはそこそこあるようで、ここまでは器用に人目をよけて進んできたステラだが、監視機器に関しては全く無警戒だ。川畑が無効化していなければ、とっくに気付かれて捕まっているだろう。
「ここから客間は遠い。この先は監視も多いし、諦めろ。脱出を優先した方がいい」
「な、なによ。偉そうに。怖じ気づいたの?この根性なし」
「俺は慎重派なんだ。お前は行き当たりばったり過ぎる。この状態のジャックを連れて付き合えない」
「邪魔なら置いていけば?その辺の隅に寝かせておいて、後で拾いにこればいいじゃない」
川畑は眉間のシワを深くした。
「ジャックは荷物じゃない」
ステラは、MMを抱えた川畑をじろじろ見た。
「飼い慣らされてるのね。それとも愛玩してるのかしら」
「人と人との関係をそういう言葉で表現するな」
ステラは鼻で笑った。
「"人"ね……知ってる?そいつも人間モドキなのよ。自分でそういってたわ」
「自分の偏見を俺に押し付けるな。もういい。ジャックがお前を多少気に入っていたようだから様子をみていたが、お前がジャックをそういう風に扱う奴なら、これ以上、お前に付き合っていても仕方がない」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。私の助けなしでは、あなた達どうしようもないのよ。船だってきっと出港できなくされているわ。どうやって逃げる気なの?」
川畑は冷たい目で、ステラを見下ろした。
「俺は慎重派だと言ったろう」




