衝動の迷宮
「ジャック、下がって、下がって。顔が映ってない。ああ、カメラつかんじゃダメだ」
「うっせ!ゴタゴタぬかすな」
ステージ上の大画面の映像がガタガタ揺れて、なにやら言い争う声が会場に響いた。
「ちょっと待て。お前、髪も服もひどいことになってる。カメラ映る前に直せ。ほら、こっち向け」
「いいだろ、そんなもん」
ぶれていた画像が安定し、黒い大男が、もう1人の髪や襟元をチマチマ整えている姿が映った。どうやら状況が筒抜けであることには、二人とも気づいていないようである。
「うわ、なんかお前、消臭剤臭い」
「デリカシーゼロかっ。消臭剤使った奴に臭いのことを言及するなっ!」
川畑に臭いを嗅がれて、耳を赤くして怒るジャックを観て、チーム暁烏の一同は穴があったら入りたい気分になった。
「おら、カメラ!会場の奴らにつなげ!」
赤い仮面に赤い服の男は、黒い方の手を払うと、カメラ目線で偉そうに胸を張って宣言した。
「おう!てめぇら、誰も余計な手を出すんじゃねぇぞ。こいつの相手は俺だ。俺がこいつのパイロットだ!」
言い切った男と、その後ろで半口開けているナビゲーターの顔を見た観客は皆、「なるほど」とよく分からない納得をした。
ヴァレリアは大げさに肩をすくめると、司会者に「だとさ」とだけ伝えて、自分達のテーブルに戻った。
司会者は暁烏のパイロットの乱入?にあっけにとられていたが、すぐに立ち直って、余興の進行に戻った。
「それでは、改めてご紹介しましょう!第2ステージドキドキモンスターペア迷路のチャレンジャー、暁烏のパイロットとナビゲーターのお二人です」
派手な赤と金の羽根飾りがついた仮面をつけた赤揃えのパイロットと、黒と金のナビゲーターは、二人並ぶと同じ意匠で左右対象のデザインの衣装を着ているのがよくわかった。標準的な宇宙船乗り体型のパイロットと比べて、ナビゲーターの方は随分背が高かったが、そうやって並んでいると二人で一組というのが妙にしっくりくる感じだった。
「そんなアホっぽい名前のゲームやるの?俺達」
「こら、水を指すようなこと言うな。宴会の余興なんだから」
「何すんの?」
「迷路。でも最初に答えを見せてもらえる」
「ええ?楽勝過ぎない?」
「そこは、ほら。宴会の余興だから……」
スタッフがあわてて、無神経な二人の会話の音声をOFFにした。台無しになった会場の雰囲気を、司会者は必死に盛り上げた。
「勇敢なチャレンジャーは、随分余裕の表情ですが、この試練はそれほど甘くはないですよぉ!では、テストプレイの様子を観てみましょう。テストプレイヤーは、今回2位だったジェリクルのパイロットとナビゲーターです。皆様、ご存知のとおり、こちらは正統派の大変優秀な二人です。息の合ったプレイを期待しましょう」
切り替わった画面の録画映像では、緊張した面持ちのク・メール人の娘が、別の入口から迷路に入ったパイロットに道順の指示を送っていた。自らも迷路を進みながら、姿の見えない相手を声だけで誘導するという難しい作業に、ナビゲーターは白い毛並みの副耳をピクピクさせながら集中していた。
「なに、すぐにやんないの?」
「俺達はしばらく待機だ。今、会場の方で説明映像が流れたりしてるんだって」
「へー」
MMはあまり興味なさそうに返事をした。
スタッフが川畑にイヤーカフ状の通信機を2つ渡した。川畑はイヤーカフを着けながら、MMにルールと手順を確認した。
「……という感じだ。行けるよな?」
「問題ない。要するにいつも通りお前がナビしてくれるとおりに、走りゃいいだけだろう?」
「ああ」
「ほら、寄越せ」
川畑はMMにイヤーカフを着けてやりながら、感覚リンクを拡大して追加の視覚情報を送り始めた。
MMは開放した自分の知覚に、川畑の力が割り込んでくるのを感じた。最初こそ違和感に少しぞわぞわするが、もうすっかり慣れたお馴染みの感覚だ。
「これでいいか」
MMの視界で、床に緑色の矢印が現れた。視野外のテキスト欄に"視覚表示だけでもガイドできるが、それだけだと不自然なので、一応声でも案内する"と表示された。
「いいぜ。いつでも行ける。お前の好きなように動いてやるよ」
MMはにやりと笑った。
ジェリクルのナビゲーターは、なんとかパイロットを出口近くまで誘導した。
"「あとは左の壁沿いに道なりに進めば、ゴールが見えるはず。こっちはその先の右手の通路から合流予定だけど、遅れてるからちょっと待ってて」"
白いク・メール人のナビゲーターは、パイロットにそう伝えると、パイロット側より複雑な経路を急いだ。
「ここまでは順調でしたね。しかし!ここでモンスター出現です」
大画面で若い女のナビゲーターの顔がアップになった。猫のような目が丸く見開かれ、白い顔が青ざめる。
"「きゃぁぁあっ!なに、アレ!?助けて!嫌ぁっ」"
完全にモンスターパニックドラマのヒロインの様相で、ナビゲーターは逃げだした。画面にモンスターの姿ははっきり映らないが、粘着質な湿った音をたてて大きな何かが動く音はする。
パイロットは合流ポイントだと教えられた分岐でしばらく躊躇していたが、意を決して一歩踏み出した。
「ここでドキドキスプラッシュ!」
ポップなエフェクトが表示され、出口側に行こうとしたパイロットが顔を覆って苦しむ姿が映し出された。
なんとかモンスターから逃れてきたナビゲーターの娘が、合流地点の通路の先に現れる。
"「化物が来るわ。早く出口へ!」"
叫んだ娘の前で、パイロットの男が顔をあげた。
その顔は、目が血走り、半開きの口からはヨダレが垂れ、おおよそ正気ではない者の顔だった。
"「いやぁあああ!!」"
自らの仲間であるはずの男に、娘はなすすべもなく襲われた。
「おやおや、この調子ではゴールは難しそうですね。では引き続きテストプレイの状況をお楽しみいただきながらで結構ですので、皆様は、この後のチャレンジの結果予想をお手元のパネルでご入力ください」
ナビゲーターの娘の悲鳴が響く会場で、客達は歓談しながら賭けに興じた。
「俺、あいつらがあんなことになるの観たくねぇよ。あぁ……うわぁ」
「なんだかんだ言いながら、がっつりみてんじゃない!」
マリーはジョイスの頭をはたいた。
画面では、追い付いたモンスターの触手が二人を襲い、さらに甲高い悲鳴が上がっていた。
「で、どうなの?ヴァレリアさん。あいつらは大丈夫そうなの?」
マリーは顔をしかめているヴァレリアに尋ねた。
「モンスターの方は大したこと無さそうだけど、あのスプラッシュとやらを人の方にふられるのは厄介だね。うちの坊主の方はともかく、ジャックは薬剤耐性とか特にないだろうし。あれ、なに吹き掛けてるんだろうなぁ?あの男、随分元気に理性飛ばしてるけど……ジャックがあの状態になったときに、うちのあいつがどれぐらい対抗できるかが問題だろうね」
マリーは川畑の様子を思い浮かべた。最初に出会った晩の無防備さや、さっきの映像の二人の様子を考えると不安しか湧いてこない。あの無双ナビゲーターはなぜか自分のパイロットに弱いのだ。マリーは頭を抱えた。
「それでは、チャレンジ、スタート!」
司会者の宣言で迷路の入口が開いた。MMは自分の前から迷路の奥に向かって黄色の矢印が延びていくのを目で追った。3sほど待つと矢印が緑色に変わった。
MMは走り出した。
"「右、左、左、右……」"
角の度におざなりな川畑の声が通信機から聞こえる。
「(声が追い付かないくらいの勢いで走ったらあいつどんな顔するかな)」
MMはちょっと意地の悪いことを考えて、スピードをあげた。
悔しいことに、それでも川畑はばっちりのタイミングで指示を飛ばしてきた。宇宙船の高速機動ぐらいじゃないと、相手を慌てさせることはできないことに気づいて、MMはがっかりした。
みるみる迷路を攻略する二人に、司会者は興奮ぎみに叫んだ。
「これは凄い!まるで相手の様子が見えているかのような連携です。なぜこれほど正確に進めるのか!?」
「(そりゃ、見えてるし)」
ヴァレリアはキャストにサーブされたデザートをつつきながら、画面の二人を見守った。
レースのための特訓をしているとき、川畑はヴァレリアに魔法による映像情報の3次元制御の方法をあれこれ習っていた。本人の視覚に重ねてナビゲーションするための追加視覚情報とやらを、効率よく高速で提供したいと言っていた。今、あの二人は、魔女のヴァレリアからみてもどうかと思うような超現実的な結び付きで連携しているのだろう。正直、こんなお遊びに使うのは大人げない技だと、ヴァレリアはあきれた。
「モンスター出現です。さあ、この二人はどう対応するのか」
MMは何か湿った音を聞いた。
「左奥になんかいるぞ」
"「そっちのルートに出たか。合流を優先する」"
緑の矢印が黄色になって示すルートが変わった。MMはそちらに向かって走り出した。
無事にモンスターから遠ざかったところで、不意に壁にスリットが開き、現れたノズルからMMの顔に向けて何か霧状の液体が吹き付けられた。
「げふっ、なんだこれ!?」
とっさに目はかばったが、MMは空中を漂う霧を吸い込んでしまった。
「うげ……」
"「どうした?何があった?」"
「なんか毒っぽいものくらった。頭がくらくらして体が熱い」
"「すぐ流せ!水とか持ってないか」"
「無茶言うな。水っけなんか、もらった酔いざましの薬の小瓶ぐらいしか持ってない」
"「とりあえずそれ飲んどけ!」"
川畑は猛然と走り出した。
途中で、エビの殻がついた巨大イカっぽいものが、節のある足で移動しながら、触手を伸ばしてきたが、川畑は飛び蹴り一発かまして吹っ飛ばして先を急いだ。
MMは震える手で小瓶を取り出したが、目が霞み、うまく瓶の蓋が開けられなかった。体の奥から衝動が突き上げてきて、頭が働かない。歯がカチカチなって、変に溢れてきた唾液が口の端から垂れた。
「(やべぇ、トブ……)」
「ジャァァァック!」
濁った思考に溺れかけながら、MMは現れた黒い人影に手を伸ばした。
征服して屈服させて自分のものにしたい。捕まえてどこにも行けなくしてやりたい……狂暴な欲望がMMを突き動かした。
むき出しの欲に塗りつぶされそうになった頭のどこかで、青い光が輝いた。
『ジャック、間違えちゃダメだよ』
青い妖精の眼差しが脳裏に浮かび、MMは正気を取り戻した。
「正気に戻れぇーっ!!」
川畑は、上着の影で手の中にレモンを1つ転移させ、それをまるごとMMの口に突っ込んだ。
「ぐふぉあっ」
口腔から鼻の奥に抜けるレモン汁にMMは悶絶した。
MMは川畑に手際よく押さえつけられ、無理やり口の中に酔いざましの薬の小瓶を突っ込まれた。
ぐったりしたMMを俵担ぎにして、川畑は迷路をクリアした。




