プロポーズ
「そーれ、ワニども。口を開けろよ~」
「キャプテ~ン。この方法で本当にうまくいくんですか~?」
「ボンドくん、つべこべ言わずに奴等をよくみたまえ!」
「あい!キャプテン」
ボンドは、船縁から海を見た。
たくさんのワニが船を取り囲んでいる。みんなこっちを向いていてちょっと怖かった。
視線を上げたボンドは、なんとなく陸の方を見て、それに気づいた。
「キャプテン、あれ見てください~。僕、ああいうの、本で見たことあります~。ほら、因幡の白兎!」
キャプテンはボンドの指した方をちらりと見て、首を降った。
「おいおい。あれは違うぞ、ボンド。因幡の白兎の話は、白兎と和邇の話だろう。大国主がワニの背の上を走る話じゃないぞ」
「え~」
ボンドはもう一度、ものすごい勢いでこっちに走ってくる青年に目をやった。たしかに白兎という感じではない。
「八艘跳びは義経と弁慶どっちでしたっけ?」
「義経だ、バカもん。弁慶が跳んだら舟が沈むわ」
「あー……。じゃぁ、あのワニさん達、舟より丈夫なんですね~。弁慶が背中でジャンプしても沈まないですよ!」
川畑はとにかく最短距離で、船目指して走った。黒い海に並んだ白いワニの背は、目的地まで連なった足場にしか見えなかった。
創造主が配置した"背景同然のオブジェクト"だというなら、アクションゲームの足場と大差ないだろう。と割りきって、細かい心配や不安を全部置き去りにして、ただ真っ直ぐ走って、跳んだ。
自分のせいで酷い目にあっている女の子を一刻も早く助けること。それだけを考えて、次々とワニの背に飛び乗り、反動で開いた上顎を踏みつけて跳躍した。
「のりこーっ!助けに来たぞ!!」
白いドレスに向かってがむしゃらに跳んで、突き出た横木から垂れたロープに掴まったところで……川畑はドレスの中身が丸めたぼろ布であることに気がついた。
「見たまえ、お嬢さん。君が作ってくれた疑似餌に、面白いものがかかったぞ」
キャプテンは振り返って、甲板でホットミルクを飲んでいたノリコを呼んだ。ノリコは川畑の声に呆然としていた。
「え?何?今、海から声がした?っていうか、私の名前呼んだの誰?」
キャプテンに呼ばれて、甲板の手摺から下を覗き、ロープにしがみついた川畑の姿を見たノリコは、頭の中が真っ白になった。
キテクレタ?
「知り合いではないのかね?」
「し…知り合いというか、知ってはいるけど、彼は私の名前、知らないはずなのに……」
「のりこ!」
甲板から覗く彼女の姿に気づいて、川畑は叫んだ。
「無事か?!今、そっちにいく」
キャプテンは顔をしかめた。
「ストーカーかね。とんだ災難だな」
ノリコは慌てて事情を説明しようとした。
「ち、違うんです!昨日、彼が私の部屋に突然現れて、気がついたら一緒にここにいて……」
「なんと!ストーカーの誘拐犯とは許しがたい!!」
「なにいってやがる!誘拐犯はお前だろう。彼女を返せ!」
「どこの馬の骨ともしれない襲撃者に、はいそうですかと大事な娘さんを渡せるかっ!貴様は彼女のなんだ?親族か?夫か?恋人か?自分のものでもない女を、我が物顔に返せと言うな、バカもんが!」
蔑むように見下ろして、思い切り罵倒したキャプテンを、川畑は悔しそうに見上げた。
「お前だって、彼女とは赤の他人じゃないか。彼女を離せ」
「いいや、断る!」
口論を始めた男二人の横で、どうしたらいいかわからずにおろおろしていたノリコを、キャプテンは抱き寄せた。
「私は彼女の求婚者だ!!」
「は?!」
「えっ?!」
呆気にとられた川畑を無視して、キャプテンは、目を丸くしたノリコの手を取って膝まずいた。
「一目惚れだ。ずっと前から好きでした。結婚してください。時間と空間とワシの命のある限り、君を愛し、家族として守ると約束しよう」
深く蒼い眼差しがノリコを見詰めた。
「ちょっ、ちょっと待って?!」
キャプテンは止まらなかった。
立ち上がると、彼女の手を両手で包み込んで迫った。
「君が望むなら、陸で暮らしてもいい。新居はどんなのがよいかね?豪邸だろうが城だろうがお望みのままに用意しようじゃないか。だが、使用人が多いのは家庭の暖かみに欠けるかな。同居人はボンドくん1人で十分だ。小さな家でも結構。海の見える丘の赤い屋根の家でも、森の外れの丸太小屋でもお好み次第だ。どうかね?」
あまりのことに、口をパクパクさせるばかりのノリコに向かって、キャプテンはニンマリ笑った。
「もちろん。返事はゆっくり考えてからでいいとも。婚約指輪には大粒のエメラルドを用意しよう」
「キャプテ~ン、そこはダイヤモンドじゃないんですか?」
「うるさいぞ、ボンド。今さらピカピカ光るだけの色気のない石なんぞ贈っても面白味がないだろう」
「え~?暗いところで目一杯いい男風の声出して女の子口説いてるロマンチスト全開の変な髭のおっさんってだけで、十分絵面がむごくて面白いですよ~。いよっ!犯罪者!」
「ボ~ンドぉ~っ!」
ボンド少年の軽口で、ノリコと川畑は思考停止状態から我にかえった。
「キャ、キャプテンさん、突然なに言い出すんですか」
「そうだぞ。自分の年考えろ、おっさん!年齢差だけで彼女の年の倍はいってるだろう」
「時空の旅人に年齢など無意味。心はいつも少年だ!問題などないっ」
「うわ、実年齢への言及避けて開き直りやがった。問題しかないじゃないか」
「だ~まらっしゃいっ!」
キャプテンは、船縁から川畑を見下ろした。
「この通り、ワシには彼女を保護する正当な理由がある!対してお前はどうなんだ、小僧?」
ビシッと指を突きつけられて、川畑は言葉に詰まった。
「彼女の身内でもない、ろくに知り合いでもない、じゃあ、好きなのかね?愛していると言えるかね?言えないだろう。愛もないのに助けるだのなんだのちゃんちゃら可笑しいわ!この部外者!」
「な!……え?……うぁ……そ、そうなのか?」
「そこは丸め込まれちゃダメーっ!」
あまりの詭弁に当惑した川畑に、ノリコは必死に声をかけた。
「でも、結婚とか愛……って……え?君らそういう関係?」
「違うから!なんでもないから!」
「なるほど?でも、やっぱり俺って部外者なんじゃ……」
「そこは頑張って、俺も好きだぐらい言って~っ!」
思わずノリコは叫んだ。完全に勢いだけだった。ただ、その分勢いだけはあって、真剣なお願いであることは、伝わってしまった。
疲労と衝撃でいっぱいいっぱいだった川畑は、その怒濤の勢いに流された。……流された挙げ句に、残った使命感が働いて、斜め上の変なところで覚悟を完了してしまった。
川畑はロープを握る手と、腹の底に力を込めて、息を深く吸った。
「のりこ~っ!好きだ~っ!!」
「ひゃぐっ」
ノリコは膝から崩れ落ちた。
「キャプテン~、これ我々、馬に蹴られるやつじゃないですか~?」
キャプテンは不満そうに口を尖らせた。
「ふーんだ、ふーんだ!若造が口先ばかりの真似っこで何を言っとるか。お嬢さん、嫌がっとるではないか」
「嫌がってるというよりは、見るからに真っ赤になって舞い上がってますよ」
「ボンドくん!ランプの明かりをこっちに向けないで!」
混沌の夜が明ける気配はなかった。
ノリコさん、カウンターの直撃。というか自爆。
……カオスを加速させる奴しかいない。




