ブルーフェアリー
薄暗い船内で、MMはパイロットシートに座って息を吐き出した。
カップは、後ろからそっとMMの仮面を外して、両手で頭を包み込むようにしながら、顔を覗き込んだ。
「……なんだよ」
細い指が耳の辺りを撫でる感覚に、腰の後ろがざわりとするのをごまかすように、MMは不機嫌にカップを睨み付けた。
カップは悲しげに彼の眼を見つめた。
「ジャック、怒らないで。冷たくしないで、一緒にいちゃダメって言わないで」
カップは至近距離でMMを見つめたまま、彼の頬から首筋を撫でるように手を這わせて、ぐるりと前に回り込むと、座っている彼の膝の上に乗った。
「ジャックのこと好き」
カップはMMの首筋から鎖骨のラインをゆっくりと指先でたどり、ジャケットの内側……いつもなら胸ポケットがある位置に手をあてた。
「ジャックと一緒にいるのが好き」
カップはMMをぎゅっと抱き締めて、彼の耳元で吐息を漏らした。
「気持ちいい……」
MMの中で何かが臨界点を越えた。
「うっだらぁあんだらぁあぁぁっ!!!」
MMは絶叫した。
カップはびっくりして身体を起こし、MMの膝にまたがったまま、目を丸くした。
「だぁほ!てきとうぬかしてっと、襲うぞ、こんガキゃあ」
「ボク、ガキじゃないよ」
カップは自分の身体を見下ろしながら、両手で胸元から腰を撫でた。
「こんなにおっきいもん」
「よけい悪いわ!」
「それに妖精には大人も子供もないから、ボク、マスターやジャックよりもずっとちゃんと大人だよ」
「ぬかせ!」
「ボクはちゃんと嫌なことはしないでって言うし、大事なことは向き合って目を見てお話できる」
カップはしっかりとMMを見つめた。MMはカップを睨み返したが、カップは怯まずに続けた。
「それに大事な人にははっきり好きだって、一緒にいたいって伝えられる。ボク、ちゃんと大人だよ」
カップの声が震えて、大きな目から、涙が一粒こぼれた。
「すねたり、カッコつけてごまかしたりしないよ」
「カップ……」
カップはMMの髪を撫でた。
「ジャックは、マスターが急に知らない人になっちゃって寂しかった?冷たくされて傷ついた?」
「な!別に俺は……」
「マスターはね、ジャックにどうでもいい他人扱いされて、寂しがってたよ。でもマスターは子供だから、どうしていいかわからなくて変なことしてるの」
「俺はあいつとは別にどうという関係でもねーよ」
カップはMMを上目遣いで見上げた。
「ジャックは、好きと愛してると欲情するの区別がちゃんとつけられないの?」
「カ~ップっ!!欲情とかそういう言葉は使っちゃダメ!」
「いつもは言語野が足りないだけだもの。意味はちゃんとわかってるよ。少なくとも今のジャックみたいに、好きも嫌いも、来るなも寂しいも、愛されたいのも愛したいのも、全部ごちゃごちゃで、抱きたいかどうかと混ぜちゃって、まるで分かってないなんてことはないから」
カップの言葉を否定しようとしたMMは、自分の気持ちがうまく言葉にできなかった。
「ああっ、くそっ。そうじゃねーんだよ」
「マスターの色恋はノリコ一択だよ。他は全部、色も欲もないただの好意だから拒まないであげて」
「んなもん、わかってら!あいつは単純ないい奴だよ。だからスケベ親父どもに色眼鏡で見られるのがやなんだよ」
「だったら、ちゃんとそう伝えて。マスターは変なところで空回りするから」
「空回り……」
MMは川畑の様子を思い出した。何がどう空回りするとああなるのかわからない。
「あいつ、なんなん?」
「変なの」
カップはバッサリ言い切った。
「だから周りが面倒みてあげないといけないの。ジャックは今、一番近くにいるんだから、ちゃんとして」
「そんなこと言われたって、わっかんねーよ」
ジャックは顔をしかめた。
「俺は家族とか大事な人とか持ったことないんだ。いきなりあんなでかくて意味不明なガキの面倒なんてみれねぇよ……人間でもない俺に子供の世話なんて人間らしいこと要求すんな」
「ジャックは人間じゃないの?」
「こないだ話しただろ。法的人権は買ったけど、根本的な造りは人間と違うんだ。親もいないし普通の方法じゃ子供もできない」
カップは静かにMMを見つめた。
「マスターやダーリングさんの外れっぷりと比べたら誤差だよ」
「一緒にすんな!ってか、何?奴らそんなにヤバいの?」
「事象3次元でのトポロジーはそんなに違わないんだって。小舟の櫂の柄も、原子力空母のスクリューの軸も断面は丸いって、キャプテンは言ってた」
「例えも例えた奴もさっぱりわからない」
MMは頭を抱えた。
カップは穏やかに微笑んだ。
「ジャックは人間になりたいの?」
「別に今さらもうどうでもいいよ。時々なんかこう、うまくいかねぇなって思ったときに、もし俺が本物だったら何か違うのかなって、ちょっぴり考えちまうことがあるだけだ」
「マスターが見せてくれたお話に、人間になりたいお人形の男の子が、青い妖精に魔法の杖で人間にしてもらえる話があったよ。ボクは青い妖精だから、いつか魔法の杖を手にいれて、ジャックを人間にしてあげる」
「はは、星に願うような話だな」
「ちゃんといい子にしてたら願いは叶うよ」
「はいはい」
MMは目を閉じてシートの背にもたれた。カップは少しムッとして、MMの両肩に手を置いて伸び上がると、彼を上から覗き込んだ。
「まずは嘘をつかないこと!」
MMはめんどくさそうに片目を開けた。
「ジャック、ボクのこと好き?」
「はいはい、愛してるよ」
「どれくらい?マスターよりも?」
「そりゃもうあんな奴より、ずっと」
「白猫さんより?」
「誰のことだ?」
「……一番?」
「はいはい、一番、一番」
適当に相槌をうっていたMMは、自分の答えがどれ程カップにとって重要な意味を持つか、まるっきり考えていなかった。しかし、どんなに尽くしてくれる相手にも、どんなに役に立つ相手にも、絶対に"一番"の座は与えない主人に使えている妖精は、MMの返事に歓喜した。
「あれ?キャップ、お前だけか?」
1人でやって来たキャップを、川畑は席を立って出迎えた。
「うん。カップとジャックは一度、船に帰ったよ」
「そうか。それならカップには、船でジャックと部屋で夕飯済ませてくるように言っておこう。ジャックもこういう席は苦手みたいだったし」
「それがいいね」
「お前がジャックの席でごはん食べていいぞ」
「わーい、やったぁ」
川畑は同テーブルの面々にキャップを紹介した。




