風評被害
「ほほう、それが"暁烏"のクルーか」
悪党顔の油ギッシュなおっさんの無遠慮な視線を無視して、MMと川畑はオーナー役のカーティスの後ろで、黙って立っていた。こういう時、仮面は非常にありがたかった。
きらびやかだが全体に照明は暗めのエントランスは、熱帯魚の水槽のようだった。夜会服に仮面姿の招待客を、幻想的なコスチュームの色っぽいキャストが案内している。
客達は三々五々集まっては、表面上はたわいない話を交わしていた。
カーティスが嘘臭いほど爽やかな笑顔で狸親父どもをあしらってくれるので、会場に入っても二人はほとんどしゃべる必要はなかった。しかし、今回のパーティーの話題の中心ではあったので、ひっきりなしに、笑えない冗談や、嫌みやあてこすり、たまに称賛のターゲットにされるのは致し方なかった。
「そっちの"赤烏"がパイロットだな」
悪役顔の油狸は、珍獣を見る目付きで、仮面から足元まで全身、真っ赤っかなMMを眺めた。MMは最初にこの衣装一式を見たときはキレまくっていたが、すでに開き直ったようで、少し不貞腐れたふてぶてしくも見える態度で黙っていた。
「いやぁ、凄まじい飛びっぷりだったよ。彼にやられた分で、うちの上半期の上がりがふっとんだからなぁ。はっはっは」
カーティスは悪徳商人の狸親父に合わせて笑った。
「ご冗談を、東オクシタニ戦役でのそちらの商いに比べたら、このレースでの損なんて余興用の花火代みたいなものでしょうに」
「確かに、おたくの船に比べたら、そこいらの無人戦闘機は一束いくらの爆竹みたいなもんでしょうな。いかがです?もう少し詳しいお話は。あちらにくつろげる席をご用意しましょう」
「光栄ですが、まだご挨拶できていない方が沢山いらっしゃるので。新参ものはそうそう優雅にしてはいられないものです」
「そうですか。では後程ぜひ」
油狸親父はMMと川畑をチラリと見て、含み笑いをしながら、小声でカーティスに付け足した。
「綺麗どころはもちろん、パイロットくんの好みのタイプも揃えておこうじゃないか。ああいうのでいいんだろう?」
カーティスは笑顔をピクリとも揺るがさず、さらりと流してその場を離れた。
カーティスは、少し人の切れたところで、MMに尋ねた。
「ジャックくん。君ら、パートナー同士かね?」
MMはピタリと足を止めて固まった。川畑は唐突な問いかけに、不思議そうにカーティスに答えた。
「そりゃ、パイロットとコパイロットで一緒にやってますから」
「あー、私生活でも?」
「俺があの船に乗るようになってからは、ほぼずっとメシも寝起きもともにしてます。なぁ、ジャック?」
ジャックはなぜか頭を抱えて壁にもたれていた。
「……俺は別にこいつをパートナーだとか思ったことはない」
「え?」
「お前のこと別になんとも思ってないし、ただの成り行きで雇った従業員くらいにしか考えたこともないし、全然、もう普通の他人だから」
「えええ」
カーティスは、生ぬるい笑顔でMMを手招きすると、なにやら小声で話し合った。MMは妙に深刻な様子で1つうなずくと、一人で会場の人々の間に分け入って行った。
カーティスはいつもの半分ぐらいの笑顔で川畑に向き直った。
「私の落ち度なんだが、ちょっと彼について深刻な風評が出ていてな。このままだといささか不都合なことになる可能性があるので、対策を取りに行ってもらった。申し訳ないが、君もしばらく彼とは別行動してもらっていいかな。できれば誰か女性と一緒にいてもらいたい」
「ヴァレさんとか?」
「そうか。彼女は君の紹介だったね。それでいい」
川畑は、事情が今一つわからなかったが、何かローカルなマナーや慣習上の問題だろうと考えて、ヴァレリアを探した。
ヴァレリアはオディールの二人と一緒にいた。ミッドナイトブルーのドレスに黒と銀の羽飾りがついた仮面のヴァレリアと、夜明けの空のようなグラデーションの美しいドレスで朱鷺色の羽飾りの仮面のマリーが並んだところは、さながら夜の女王と暁の女神だった。
その二人と一緒にいるジョイスも、それなりに様になっていた。さすが地球の一流ブランド店が、川畑が提供した3Dの体型データを参考にチョイスしただけあって、オーダーメイドではないものの、十分に体型にあっていて見映えのする仕立てだった。
川畑が人の間をぬってそちらに向かおうとすると、マリーがなにか声をかけて独り離れた。ジョイスはヴァレリアをぎこちなくエスコートして近くのソファーのあるブースに向かうようだった。
「(これは邪魔すると悪いのでは)」
川畑はヴァレリアとジョイスの方に向かうのを止めて、マリーを探した。
マリーはすぐに見つかった。細いグラスを2つ持ったジャックが、マリーに話しかけていた。金の装飾が入った赤揃えのジャックと、華やかな金髪の暁の女神は、素晴らしくお似合いのペアだった。
「(なるほど。カーティスはそういう意図で衣装を用意したんだな。それで、ジャックをマリーのところに行かせたのか)」
川畑は独りで合点して、そちらの二人も邪魔しないことにした。
「(さて、そうすると、困ったぞ)」
川畑はノリコ以外にパーティーでエスコートするような相手はいなかったし、こんなところにノリコを連れてくるわけにはいかない。手近な女性?の知り合いは、引きこもりのチビッ子だし、その他の知り合いは、別世界の人で、いきなり連れてきて大丈夫かわからなかった。パーティーの出席客には女性もいたし、そういう接待係っぽいキャストもいたが、ナンパなんてしたことがない川畑には、ハードルが高かった。
「(なんか女性と一緒にいるみたいな体裁が整えられればいいんだよな?どうせ仮面で容貌はよくわからないんだし)」
川畑は力業の手っ取り早い調達方法で、お茶を濁すことにした。
MMとマリーは、お互い相手が誰だか認識せずに、楽しく過ごしていた。
マリーは、ジョイスに気を効かせて離れたところで、声をかけてきた赤い男が、暁烏のパイロットだとは思わなかった。川畑と一緒にいるときに一度会ってはいたが、そのときは黒っぽい服装で、ド派手な今と印象が違っていた。
MMはMMで、化粧と髪型が変わると、女性を同一人物だと認識できなくなる男だった。彼は、単に好みの美人だからという理由で、マリーをナンパしていた。
世間での自分のチームの評判が芳しくないことを承知している二人は、自分の所属を隠して、ろくな自己紹介もせずにいた。どうせこの場限りの付き合いだと思っているので、お互い名前も名乗っていない。
宇宙船乗りであるという以外は、身元を臥せた二人の話題は、無難なレースの総論ではなく、コースの攻略法や飛行技術、好きなエンジンメーカーなどといった恐ろしくマニアックな方向に流れていた。パイロットあるある……と言ったら一般のパイロットが「ねーよ」とツッコむような過激な操船方法で意気投合した二人は、ある意味似た者同士のスピードオタクだった。
他の相手に話したらドン引きされる話題に、どこまでも乗っかって同意あるいは感嘆してくれる相手と会話する楽しさに、二人はのめり込んだ。業界用語と省略に満ちた早口の会話は、一般人には理解できない異界言語も同然で、誰も口を挟めなかった。二人はグラスの中身の泡が消えるのにも気付かず、時を過ごした。
「私、あなたみたいな"わかってる"パイロットに会ったの初めてよ」
「俺も君みたいに、飛ぶってなんだか知ってる奴に会ったのは初めてだ」
二人はお互いに、名前も知らない相手に、愛の告白よりも深い最大限の賛辞を送りあった。
「このレースで君と競り合ってみたかったな」
MMはうっかり地雷を踏んでしまった。
「どうせならセッコい妨害や外からの介入なしで、ギリギリのレースがしたかった」
「セッコい妨害……」
「34番。あれは鬱陶しかった。しつこいし、執念深いし、最悪だ」
「ああ?」
マリーの喉から、暁の女神が出してはいけない声が出た。
「34番はよくやっただろ。あの狂烏相手に善戦したんだぞ。あそこのパイロットの脳ミソ千切れたみたいな変態飛行に合わせられるなんて並みの腕じゃできないぞ」
「変態飛行……」
MMの頬がひきつって、仮面の羽飾りがちょっぴり揺れた。
「ああ、狂烏のパイロットはワンマン思想の横暴な暴君で相当な変態らしいぞ。ここだけの話だがな……」
マリーは悪い噂を広める時の常套手段"ここだけの話"を使って、声を潜めてあることないこと吹聴した。「それってどこの誰のことですか!?」と泣きたくなるような恐ろしいでっち上げを、目の前の美女から直接ささやかれるという衝撃の体験に、MMの繊細な心は砕け散った。
「いや…ちょっと……その人物像はさすがに……そんな変態鬼畜はヤバいでしょ。なにそれ?そういう噂でイメージ出回ってるの?」
「ああ。みんなそう言ってるぞ」
悪い噂を広める時の常套手段"みんな言ってる"でダメ押しされて、MMの飾り羽はしんなり垂れた。
「それにしても、あまりと言えばあんまりな……うう、泣ける」
「な、可哀想だろう?あそこのナビゲーター」
「そうじゃねーよ。まずはそこが根本的に間違ってる!」
MMは川畑の姿を探して場内を見回した。
「ちょっと来い」
MMはマリーの手を引くと、川畑を探して歩き出した。
「奴はそんな殊勝な被害者ってタマじゃなくてむしろ……」
ソファーのある半個室のコーヴの人だかりの中に、探し人を見つけたMMは目を疑った。
「え?誰?あれ」
MMと同意匠だが黒ずくめのスタイルは、確かに川畑だった。だが、集まった人々の中心で悠然と足を組んで座って、両脇にあり得ないほどの美少女を侍らせている姿は、完全にどこかの非合法組織の若頭だった。




