スロースターターは加速し続ける
「ますたー、がんばれー」
キャップはヴァレリアと一緒にソファーに座り、楽しく実況を見て声援を送っていた。
リビングの大きな画面では、50番以降の船がまとめてスタートしていた。
「あれはダメだねぇ」
ヴァレリアがポツリと言った時、1隻の宇宙船が不自然に失速して、近くにいた別の船を巻き込んで爆発した。飛散した破片が他の船を巻き込んで、スタート付近は酷いことになった。
実況は、ニーブンズ恒例の足切り花火がどうとか言って盛り上がっている。
「ああいう小細工は物が可哀想だから、しちゃいけない」
「ヴァレさん、ひともかわいそうだよ」
「そっちはどうでもいい。どうせここいらに集まってンのは悪党ばっかりだから」
「ふーん」
キャップは首をかしげたが、なんとなく納得して、2、3度うなずいた。
「なんか……やりたい放題かよ」
MMは荒れたコースでまた漂流物を回避した。
「スタート直後からの妨害合戦は恒例の伝統行事みたいなものらしいから。あ、またWPずれたんで、航路修正」
WPは、無人のブイだ。各船に取り付けられた認識標が、WPの感知可能距離以内を通過しないとタイムペナルティが入る。その敷設位置は、配信されたルートデータに一部は載っているが、多くは表示もライトアップもない隠されたポイントになっている。WPを破壊したり、移動させたりする行為は、当然ペナルティ対象だ。しかし、宇宙空間に浮いた、脆弱な姿勢制御スラスターしかないブイなんて、ちょっと推進材が当たればずれてしまう。先頭集団の通ったあとの40番以降のコースなんて、目も当てられないぐらいWPの配置はぐちゃぐちゃになっていた。
「過去のレース記録で、初日に初出場勢のWPミスが多かったのはこれか」
「隠しWPが、出走順の早い常連組にかき混ぜられてちゃ、見付けられるわけない。30番代に常連組の身内の悪役がいるぞ。ペナルティ覚悟でWPが動くような工作してる」
「ロイ、お前どうやってそういうの見てるの?」
MMは航路を修正しながら、聞いてみた。基本的に川畑の手品の種は難し過ぎて理解不能だが、レースに関することなら、聞いておいた方がいい気がしたのだ。
「キャップがずっと広域で理力探査してくれている。ブルーロータスのハイパーソナーの応用だ。ここいら一帯の質量体は感知できてる。この中で、重力によって定められた軌道から外れた動きをしたものは、人工物か作為的な物体だ。スタート後の各船の動きを見て、進路変更の加速があれば、その動きの関連位置にWPがある可能性が高いので該当する質量体をカップに詳細チェックしてもらっている。WP固有の波形の発信があれば、確定だ」
MMは結局胸ポケットに収まった妖精を見下ろした。
「そんなことしてたんだ」
「えっへん。すごいでしょ」
青い妖精は得意そうに胸を張った。
「ジャックのおかげだよ。ジャックのフォースはおだやかだから、ジャックにピッタリくっついてるとよくみえるの」
「あ…そ、そう?」
「ジャックのそば、きもちいい。ジャック、だいすき」
「それはどうも……」
口の中で小さくモゴモゴ言うMMを横目で見て、川畑はカップをたしなめた。
「カップ、あんまりジャックを困らせちゃダメだぞ。ジャックはかわいい女の子から好きとか言われたことがなさすぎて、ちっちゃいお前から言われても焦っちゃうからな。レース中にパイロットの集中を乱すようなことは言っちゃいかん」
「俺はちっちゃいのは対象外だ!」
「ジャック、ちっちゃいこキライ?ますたー、ちっちゃいボクじゃなくて、おっきくてかわいいオンナノコなら、ジャックだいすきっていってもいいの?」
「言ってもいいけど、ジャック大好きなんて女の子いないから」
「ロイ、俺の心を殺しにくるな!」
「ジャックは、かわいいオンナノコにだいすきっていわれたい?」
「言われたいよ!でも、今、これ以上この話題を掘り下げると、俺は泣くぞ!」
「ますたー、レースのあとで、ボクをもとのおおきさにもどして」
「いいけど、レースの後な。あれ結構大変だから。はい。この話はここまで。レースに集中しよう」
「待って、元の大きさって何!?カップって、実はこのサイズじゃないの?」
「ジャック、レースにしゅうちゅうしなきゃだよ」
「そうそう。コース取り甘いぞ、ジャック。スペシャルステージに入るまでに、もう少し前に出ておきたい。スピード上げよう」
「鬼だな、お前ら!」
MMはそれでも律儀に航路を修正して、加速した。
「さてと。単なる移動はおしまい。本気で行くか」
移動区間の終了ポイントで一旦タイムをチェックして、MM達はスペシャルステージへのアタックを開始した。
「WPは衛星地表に配置されてる。これまでのように全点見分けられていない。大気はないから地表ギリギリを飛んでくれ」
「任せろ」
大型ガス惑星の重力で膨張と収縮を繰り返したせいで、ひび割れだらけになった衛星地表を、暁烏は、影が地を這うように飛んだ。
「次、尖った岩の右。回って3s後、地平に谷」
大気がないせいでくっきりエッジが効いた岩影の中で、キラリと何かが光る。MMは機体を軽く傾けて、尖って張り出した岩を避けた。
そのまま回頭して、地平線上に現れたV字の亀裂に向かう。
「あの中、飛べって。月並みだな」
「言うねぇ」
谷は思ったより大きく、比較的小型な暁烏にとっては、容易い障害だった。
「スピード落とす必要ないな」
MMは平地そのままの勢いで、突っ込んだ。
「分岐右。突起2段。次、潜って左にWP」
川畑のガイド表示付きナビゲーションに合わせて、MMは谷の中を正気じゃないスピードで飛んだ。川畑は途中から、声を出すのを止めた。音声の指示では、追い付かなくなったのだ。
MMは視覚に入るガイドとは別に、どこの感覚で感じているのかわからない情報が、川畑から提供され始めたのを感じた。それは周辺地形の立体構造で、その消失点がない立体視は、どこから見ているのか視野は固定されずに、あらゆる方角から問答無用で立体構造がわかるという代物だった。
普段だったら気持ち悪っ!と叫んだかもしれないが、パイロットとして極度の集中状態にあったMMは、分かりやすくて便利だったので、それをそのまま受け入れた。どっちにしろ川畑がらみの超常現象は全部受け入れると、すでに腹はくくっていたので、怖くはない。
「前方に先行機」
「抜く」
谷をふさぐ大きな先行機をものともせずに、MMは谷の岩壁と相手機体の隙間に突っ込んだ。
川畑は、ジェットコースターなどの絶叫系マシンは得意だし、戦闘機の曲芸飛行は好きだが、機体に対して両サイドの余裕が1m以下の隙間に、リニア鉄道以上の速度で躊躇なく突っ込むのは、頭がどうかしていると本気で思った。しかし、パイロットとしてMMが無茶苦茶なのは、承知の上だったし、腕前は信用していたので、川畑は黙ってコパイロットシートに座っていた。どっちにしろ操船に関しては全部任せると、すでに腹はくくっていたので、怖くはない。
「もう一機。その先、谷底にWP」
「じゃぁ、こうか」
今度は左右は壁が迫りすぎていて、上から抜けば次のWPが感知可能距離外になるタイミングだった。かといって下もギリギリで、そのまま下から行けば機体上部を相手機体にぶつけるか、V字の谷に両翼端を引っ掻けるしかない。
MMは機体を回転させて、背面飛行に入った。
暁烏がWPをチェックして谷を抜けた後ろで、後続の2機が接触して派手にクラッシュした。どうやら暁烏に抜かれて頭に血が上った後ろの船が速度を上げたところで、急に上昇した前の船にぶつかったらしい。
「背面飛行の方が、地表は見易いな。しばらくこれで行くか、ロイ」
「このサイズの機体でやるようなことじゃないけどな……次も谷が来るぞ。さっきより狭い」
「それなら目の前のあれは、谷に入る前に抜いちゃうか」
地表付近で、谷に入る直前にするものじゃない急加速で、もう1隻抜く。有人機でやってはいけない急制動をかけながら、折れ曲がった谷を進む。
川畑はMMの非常識な反射速度に追い付くため、必死で地形情報とWPの位置情報を処理し続けた。もはやどこまで自分の脳が働いているのかわからないが、とりあえず、この馬鹿げたGで気が遠くなっている場合ではないので、体にかかる負荷は理力変数をいじってキャンセルする。
2個目の谷を抜けたところで、川畑はこのコースが向かう先がわかった。衛星への接近時に軌道上から微かに見えた"噴水"だ。
「ジャック、次の谷の最後に間欠泉がある。衛星と太陽の位置からすると、水が吹き上がっていておかしくない。水量の予測がつかん。避けられる速度にしてくれ」
「あいつを抜けたら考える」
MMは一足先に谷に入って行く中型の機体をとらえながら、嬉しそうにスピードを上げた。




