エントリー
蛇頭は連星だ。主星の周りを伴星がおよそ50日で回る。だが、今回、ここで開催されるニーブンズと呼ばれるレースに集まった奴らはお天道様がどうであろうが、気にしないような極道ものやアウトローばかりだった。
星系唯一の大型ガス惑星にある、その大気のない小衛星には、けばけばしくライトアップされた仮設のモジュールが並び、大小の宇宙船が無秩序に停泊していた。
"「やあ、エントリーの手続きは終わったよ。レースまであと少し、そこで待機してくれたまえ」"
「わかりました。カーティスさん」
"「では、私はオーナーズルームに行ってくる。君らの勝利を楽しみにしているよ」"
彼はいつも浮かべている白々しく明るい笑顔のまま、声を上げて笑いながら通信を切った。
"カーティス"を名乗るこの男は、エザキに紹介された作戦メンバーの一人で、今回のレースにおけるMMと川畑のオーナー役だった。何でもありの裏レースとはいえ、一介のチンピラでしかないMMが、ポンと参加できるような代物ではないらしく、カーティスが自分の持ち駒としてMMをレースに参加させるという体裁となったのだ。実のところ、MMと川畑の役割は、レースで優勝して、このカーティスを他の常連オーナーの席の間に割り込ませることだった。
この裏レースは、見栄と意地の張り合いの裏社会の金持ち達による分かりやすいマウント合戦だ。金とコネがなければ参加できないし、ただ参加しただけでは鼻にも引っかけられない。しかし、初出場でも優勝すれば、善かれ悪しかれ無視できない存在として、常連や主催者の中に踏み込むことができる。
「あー、やだやだ。オーナーズルームなんて蛇の巣窟じゃねーか。かかわりたくねぇ」
「よかったな。カーティスさんがいて」
「俺、あの人苦手だけどな……」
MMは、偽名の大金持ちのバカ明るい笑顔を思い出して苦い顔をした。
本当は舌を噛みそうに長い名前だというカーティスは、身体壮健、容姿端麗な年齢不詳の男で、もし物憂げにでもしていれば、傾国の美女が裸足で逃げ出しそうな美男だった。ところが、完璧に均整のとれた姿をしているくせに、彼にはたった一点だけ、致命的に残念なところがあった。笑顔の口元だけが間が抜けてバカ明るいのである。整った顔の中で口だけが、どこかのコミカルなキャンペーンキャラクターのような笑いを浮かべているのは、シュールだった。
「あの人、目に全然感情がでないのに、口だけ笑ってるんだよな」
「口元マスクしたら、めちゃくちゃ冷静な人に見えるんじゃないか?」
「少なくとも口を閉じれば、今より賢そうには見えると思うわ。……あんた達も」
最終チェックを終えたヴァレリアに、つつかれて、MMと川畑は無駄なおしゃべりをやめた。
「それでこの後、私はどこにいればいい?」
「ヴァレさんは、カーティスさんの船で待機させてもらったらいいよ。サポートスタッフは指定されたビバークエリアで待機ってことになってるんだけど、カーティスの船の方が内装ゴージャスだから」
「そうだな。どこにいても坊主がいれば距離は気にしなくてもいいし。あやつの船にも何かあったら困るから、留守番してやるとするか」
「初出場の無名の新人なんてカモでしかないもんな」
「ビバークエリアもなぁ……こんな蛇の巣で、正直にそこに荷物を全部置いとく気にはならないな。どうせたいしたものは持ってきてないけど、カーティスの船のところにも、少し置かせてもらうか」
MMはカーティスの端末に連絡を入れた。
「いいってさ。船には伝えておくから、行けば入れるって」
川畑はカーティスの船に招待されたときのことを思い出した。そういえば、やたら滑らかにしゃべる人工知能がついた船だった。
「では、私はあのゴーレム船にいるから。なんか無茶をして壊したら呼びに来い。機材は持っていく」
ヴァレリアは小さなバックを手にハッチに向かった。
「ヴァレさん、人目があるところでは、ちゃんと気密服着てくださいよ。魔方陣とか非常識収納は見られちゃダメな秘匿技術だってこと忘れないで。キャップ、ついていってサポートしてやってくれ。基本的に移動中は人目避けの認識阻害を常時発動でかまわない。何かあったら連絡を」
「あいさー」
黄色い妖精は、ヴァレリアの肩に乗って敬礼した。
「どれどれ、実況はトゥバンのメインスタンド?ああ、ここか……で通常通信と事前申し込み者には高次通信配信だって。タイムラグのある実況は間抜けだから要らないな。運営の出場者向け公式通信は設定完了。メインモニタのはしっこに出すぞ」
「おう」
「カップ、理力センシング頼むぞ」
「はーい。キャップといっしょにやってもいい?ますたーのとなりだと、ますたーの力がつよすぎて、わかりにくいから」
「わかった。全体の広域探査はキャップに任せる。カップはチェックポイントやウエイポイント探しを頼む。キャップのと合わせた結果を表示するようにしよう。ジャック、カップをそっちで預かってくれ、俺の頭の上にいない方が多少はましだろう」
「おじゃましまーす。よろしくね、ジャック」
青い妖精は、MMの顔の前に飛んでくると、ニコッと笑った。
「よろしく……って、お前、いつも勝手に俺に引っ付いてるじゃないか。今日は顔の周りはやめてくれ、レース中に視野が塞がるのはまずい」
「はーい。それじゃあ、おひざにすわる」
小妖精はMMの左腿の付け根付近にちょこんと座った。
「あらら。ここはながめがよくないや」
腰の辺りでモゾモゾするカップに、MMは「落ち着かないから、やっぱり頭にして」と頼んだ。
「キャップとヴァレさんも準備できたそうだ。あっちは船内リビングの大型モニタで実況を楽しむってさ」
「優雅なもんだ」
「いいんじゃないか?俺達も気楽に行こう。準備も対策も予習も練習もやれるだけやったんだから」
「まーな」
MMは疲れ知らずの人外どもに付き合わされた日々を思い出して、乾いた笑いを浮かべた。これからのレースがどれだけ過酷でも、たかだか3日間。しかも、睡眠時間はちゃんと確保されたタイムスケジュールだ。そういう意味では、悪党の方が人道的だとMMは思った。
今日のコースが記されたルートデータが、運営から配信された。川畑はすぐに内容に目を通した。このレースに試走はない。ナビゲーターとして航路の読み取りは重要だった。コースには有人のチェックポイントの他に、ウェイポイントと呼ばれる無人のマーカーが50近くもうけられ、これらを順に通過しなければ、タイムにペナルティが加算される。
「何でもありのレースのくせにペナルティルールは細かいんだよな。よーいドンで一斉にスタートして、一番早くゴールしたものが勝ちなら分かりやすいんだけど」
「赤金鳥のレースじゃないんだから。宇宙船が50以上も並んで一斉にスタートなんてできるわけないだろう。お、先頭がスタートし始めたぞ」
エントリーNo.1~10の第1組のスタートが始まったが、200sごとのスタートなので宙港の出港風景と大作ない。
「うちにもスタート待機エリアへの侵入許可が出たぞ。行こうか」
「俺達、何番だったっけ?」
「42番。エントリーネーム"暁烏"」
「誰の命名?」
「ヴァレさん」
彼女はメンバー全員、頭が黒いからカラスだといっていたが、"あけがらす"と聞いた時、川畑は「勝手に先に帰ろうとすると袋叩き」という落語のオチの方が連想されて苦笑いしたのだった。
「30番以降だから50s間隔でスタートだ。41番はあの白とオレンジの船だな。スタートポイントはここ。最初のウエイポイントまでのラインを表示する」
正面のモニタを見るMMの視界に、光る線が追加された。肉眼の視野に表示が足されたり、そうじゃないところに、文字や画像が提供されてマルチタスクで認識を強要されるのにもだいぶ慣れた。
「今日のコースはどこを回るんだ?」
「衛星の大きい奴がスペシャルステージになってる。おおむね惑星を4分の1周して戻ってくるコースだ」
MMの頭に、コースの立体模式図が送られてくる。大型ガス惑星の衛星から衛星に点線が伸びて戻って来ている。
MMは船のパネルを操作して航路を入力した。
「普通だな。やっぱり1日目は小手調べか」
「隠しWPを落とさず堅実に行こう。予定通り今日は10位狙いで行くぞ」
「地味だなぁ……」
タイムフライズ号あらため42番"暁烏"は、スタート待機エリアに静かに侵入し、タイムピッタリにポイントをチェックしてスタートした。




