天気はいいしお茶も旨い
ひとけのない乾ききった町は、遺跡や文化遺産というよりは、廃墟という風情だった。
「こんなところに観光とは、あんたら若いのに物好きだな」
枯れ木のような爺さんは、ひび割れたような顔の皺を深くして笑った。
「あっちの山までずっと伸びてるのがマスドライバー?」
「そうさ。もう使っちゃいないから、近くまで見に行ってもいいぞ。向こうの鉱山からずーっと続いとる」
「いい光景だ。鉱山は露天掘り?上から見えてたけど、クレーターにしちゃ形が不自然だと思ってたんだ」
楽しくてしょうがない様子の川畑を横目に見ながら、MMはレンタルできる地上車がないか尋ねた。爺さんは、うちで使っているので良ければと言って二人を建物の裏手に案内した。
「鳥に見えるんだが?」
ダチョウを二まわりゴツくしたような生き物が、赤と金色の派手な羽をふるわせた。牧場のような広い囲いの中には、鳥の群れが放牧されていた。
「赤金鳥だ。なんと火星産の純血種のレース優勝鳥の血を引いとる。今時、赤砂地でちゃんと育てた赤金鳥は貴重なんだぞ」
荒れ地や砂漠にはめっぽう強く、下手な地上車よりもスピードは出ると、爺さんは保証した。好事家の間では人気があるらしい。
「俺はナマモノは乗ったことないんだけどな。本当にビークル並みにスピードが出るのか?」
MMは鳥の背で嫌そうに顔をしかめた。MMを乗せた赤金鳥は、首を180度ひねると、大きな目を瞬かせて長いまつげをバサバサいわせた。
「そいつは凄いぞ。チッピーは、今のうちのエースだ。3歳のオスで、脚もピカイチだ。チッピーが速すぎて乗りこなせないってんなら、もっと年取ったオスか、気性のおとなしいメスにすれば乗りやすいよ」
銀河最速を標榜するMMが無難に流れる訳がなかった。
「基本は馬と似たような感じだな。なんとかなりそうだ」
川畑は、くすんだ赤茶色のメスに鞍を置き、はしゃいでいる妖精達を乗せて軽く走らせてみた。想像したほど揺れない。
「ジャック、行けそうか?」
レース規格だというトラックの彼方で、MMがまた派手に振り落とされた。
『カップ、キャップ、どっちかあいつのところに行って、サポートしてやってくれ』
『はーい、ボク、いってくるね』
飛んでいった青い光を見送って、川畑は爺さんから、餌や休息に関する諸注意をきき、レンタル料の前金を支払った。
「おっ待たせー」
「ますたー、カップ、おかえりー」
「ジャック、ごはんだよー」
乾いてひび割れた地面にぐったり座り込んでいたMMは、ギラギラした2つの太陽を背負って濃い影を落とす大男を見上げた。
「おせーよ」
「すまん。目当ての店が潰れてた。冷辛具麺と冷酸菜麺どっちがいい?」
川畑は、屋台の使い捨て容器に入った冷麺を2つ差し出した。
見渡す限りの赤茶けた岩砂漠は、乾ききっていた。ピンク色に晴れ渡った空は、照りつける日差しのせいで白っぽく見える。妖精達は2羽の赤金鳥の頭にそれぞれ乗って、遊んでいた。
二人は頭上に大きめの転移穴を広げて、その下で冷麺をすすった。
「辛い」
「冷辛具麺だからな」
「上に乗ってる奴、食ってもなんだかわからん」
「具じゃないか?冷辛具麺だし」
「お前のどんな味?」
「酸っぱい雑草味」
MMは地平線を眺めた。
「一緒に行った店、潰れてたって?旨かったのに」
「なんかビルが崩れて埋まってた」
「まさかの物理!潰れてたってそういう……?」
MMは食い終わった容器を脇において、川畑が差し出したボトルの炭酸飲料を飲んだ。
一口飲んだMMは黙ってボトルを川畑に差し出た。ボトルを受け取った川畑は、物問いたげな顔で、飲料を口に含んだ。
川畑はボトルのパッケージを二度見した。
「すげー味。チーズケーキ風味のレモネードって感じだ。口に広がる合成香料感溢れる乳脂肪っぽい甘ったるさと、果実系の酸味が効いた炭酸が見事にケンカしてる。冷麺の海鮮風味出汁の生臭さが遺憾なく強調されて、後口がとてつもないことになった」
「お前、ドリンクチャレンジはやめろって言っただろう」
「何がどんな味かわからんから無難なドリンクがどれかすらわからないだよ。一応、毒性がないことは判別してる」
川畑は責任を取って、残りを飲もうとした。
「わからないなら、水にしておけ」
MMは、川畑の手からボトルを取り上げて中身を飲み干した。
「おい、無理に飲まなくても」
「今は冷たい水分ならなんでもいいんだ。そっちも寄越せ」
MMは、鮮やかな青色のボトルの飲料を一口飲んで、思わず目を閉じて天を仰いだ。
「え?どんな味?」
「……お前は…飲むな。味覚を破壊される」
MMはそう言いながらも、そちらも一気にあおった。
「ジャック、おっとこまえー」
「ひゅー、ひゅー」
囃す妖精達に青く染まった舌を突きだすと、MMはかすれた声で川畑に麦茶を頼んだ。
「やっぱりお前のところの茶が旨い」
「それ、冷蔵庫で作ったパックの水だし麦茶だけどな」
「いいんだよ。暑いときはこういうので」
「けど、俺んとこの茶って、水は俺が出した奴だからなぁ」
「再生水なんて宇宙艇乗りにはあったり前だから、気にしねぇよ」
川畑は麦茶を噴いた。
「違う!"出した"って、そういうことじゃない!」
MMは不思議そうに川畑を見た。
「えーと、うちの部屋は精霊力の設定が効いてるから、属性変換で生成してんだよ」
MMはさらに不思議そうに川畑を見た。
「つまり、その……じゃぁ、今この両手の間の空間だけちょっと精霊力準拠にしてやってみせるよ」
川畑は球を持つように両手を出した。
「ここは今、理力に満たされた真空中に物質がある空間じゃなくて、精霊力で充填されている。精霊力ってのは、地水火風みたいなエレメンタルな属性を持ってて、その属性に応じて性質が決まる。だからここにある風属性の精霊力を水属性に変換してやると……」
MMの目の前で、川畑の手の間に球形の水が出現した。
「水を上げて火を減らすと氷属性?になって氷ができる」
球形の水が一瞬で氷結した。
「この時、ちょっと風が残ってると結晶っぽい突起ができて白っぽくなるんだけど……今日は水から作ったからきれいに透明だな。そうか、今度からこの製法にしよう。麦茶やアイスティーに入れるならこういうのがいい」
川畑は手をパンと叩いて氷を消した。
MMはやっぱり不思議そうに川畑を見た。
「質量どうなってるの?」
「俺も最初はそこでつまずいたんだけどさ。質量という性質を持った素粒子が真空中に存在するんじゃなくて、空間に満ちた精霊力の土属性とかが強いと質量があるっぽい現象が起きるみたいなんだ。だから属性変換で、空中に突然重いものが出てきたり、見た目物質なのに重量なくて浮いてたり色々謎現象が起きる」
「へー、そうなんだ」
MMは全然理解していない声で相づちをうった。
「理力のある世界に住んでるお前の方が、理解しやすいはずなんだけどなぁ。俺の元いた世界は理力もエーテルもなくて、クォークとレプトンとヒッグス粒子その他もろもろの組み合わせが基本だったから、最小単位に分けられないアナログな複合属性の設定ってのは感覚を掴むのが難しかった」
「へー、そうなんだ」
MMは空を見上げてから、手元の麦茶に目を落とした。
「それで、俺は何を飲まされてるの?」
「それが不思議でさ。向こうの部屋では精霊力由来の水が水っぽい振る舞いをしてるんだなって思ってたし、俺は口にいれたら力に変換しちゃうから気にしてなかったんだけど、ジャックの場合、どうなってるのかなぁ?視てるとどうも穴を通るときに転移先に合わせて、そこの世界設定の物質に全置換されてるみたいなんだ」
川畑は麦茶を指差した。
「だから多分これもここに持ってきた時点で普通の水分なんだけど……元は俺の星気体から抽出された精霊力」
「うん。わからん」
「マジックポイントを消費して作った魔法水」
「だいたいわかった。お茶のおかわりくれ。氷入りで」
部屋に戻って冷蔵庫からとってくると言って、腰を上げた川畑をMMは止めた。
「わざわざ帰らなくていいよ。水でいいから、さっきみたいにここで入れれば?」
「あれは部分的に世界設定を書き換えたところでやったんで、そのままコップに注ぐのは難しいんだ」
「小さい穴で転移させればいいんだろ?穴を通れば全置換されるなら」
「あ、そうか」
帽子の男が聞いたら、どう考えても部屋に転移した方が楽!と絶叫するような精密超絶制御の異界設定と転移技術を駆使して、川畑はMMと自分のコップに、氷と水を注いだ。
「あんがとさん」
MMは氷水を旨そうに飲んだ。
巨大な断崖の前でMMは赤金鳥のチッピーを止めた。
「あれか」
「思ったより遠かったな」
「その分、鳥に乗るのは上手くなったじゃないか。昼休憩の後からは、ショート転移付きで走らないと追い付けなかったよ」
「あれはずりぃよ。なぁ、チッピー?」
むくれたMMは、すっかり仲良くなった相棒に小さなキューブ状のオヤツをあげた。
"グアッキ"
チッピーはオヤツを丸飲みすると、うなずくように首を振って、一声鳴いた。
川畑は自分の鳥にもオヤツをあげて労うと、断崖を指差した。
「何があるか見に行こうぜ。せっかく教授が教えてくれた場所だ」
「そのために来たとはいえ、こんなところにたいしたものがあるようには思えないけどな」
MMはそそり立つ断崖絶壁を見て、首を捻った。
「やっぱり、たいしたものはなかったな。なんかちょっと窪みがあっただけだった」
「まあな」
空が薄青い夕焼けに染まる頃、MMと川畑は爺さんの牧場に帰って来た。その夜は、爺さんの家で赤金鳥レースの蘊蓄を聴いて、巨大な卵焼きをご馳走になった。
「ううう、元気でな。チッピー」
「兄ちゃん。気に入ったんなら、譲ってやろうか。チッピーもあんたを気に入ったみたいだ。安くしとくぞ」
「いや、俺の船ではチッピーは飼えない。こいつはこの赤い空の下で駆けるのが似合っている。俺の側ではこいつは幸せになれないんだ。連れていけねぇよ」
『ジャックがヒトリなのこういうこといってるからなんだね』
『きっとこれまであったオンナノコにも、おんなじようなこといってきたんだよ』
ヒソヒソ囁き交わす妖精の言葉を、川畑はMMの聴覚向けには訳さなかった。男には厳しくならねばならないときもあるが、傷つきやすい心に情けをかけてやる優しさを持った方がいいときもあるのだ。
赤い惑星を後にしたところで、MMに仕事の依頼が入った。




