リスタート
「ベルさーん。お待たせしました」
息を切らせて駆け寄ってきたフラム・ロシェに、ベルチュールは微笑みかけた。
「そんなに急がなくていいですよ。出発までまだ時間はあります」
頬を上気させたフラムは、はにかんで照れ笑いした。
「すみません。早くお知らせしたくて。父さんの許可もらいました。僕も皆さんと一緒に行けます!」
「それは、それは。皆さん、喜びますよ。特にレザベイユさんは」
にっこり笑ったベルチュールに、フラムは「レザベイユはそんなでもないと思う」とモゴモゴ答えた。
「でも、よろしかったんですか?ロシェさんのお父様は、地球政府の偉いかたなのでしょう?こちらで生活なさった方がよかったのでは」
「いいんだよ。父親といってもほとんど面識はないし。こっちでも全寮制の学校に入る予定だったからね。地球式の学校生活よりも、レザベイユと一緒にフォース制御の研究をする方が楽しい」
フラムは迷いなく言いきって、ベルチュールを見上げた。
「ベルさんこそ、ずっと僕ら専属のコンダクターになっちゃってよかったの?銀河海運のチーフコンセルジュっだったんでしょう?」
「実はまだ籍は銀河海運にあるんですよ。銀河連邦政府機関に出向の扱いになってます」
ルルド使節団に気に入られたベルチュールは、事故の後、そのまま彼ら専属となって、会談にも同行していた。翻訳機なしで、メンターはもちろん、他のメンバーのルルド語もおおむね理解するようになったベルチュールは、銀河連邦政府としても手放せない貴重な人材となっていた。
「ベルさんがいてくれると、とても助かるから、ありがたいよ。僕やみんなだけだと、ホテルのレストランの予約1つとれないもの」
セキュリティ上の問題はもちろん、宗教戒律や言語の壁で何かと面倒の多いルルドの一行は、ベルチュールに頼りきっていた。
「私は皆さんが快適に過ごすお手伝いをするのが生き甲斐ですから。お役にたてて光栄です」
ベルチュールは誇りを持った笑顔で綺麗な姿勢で一礼した。
「さぁ、参りましょうか。ロシェさんの手続きをしておきますので、持ち歩く分以外の荷物はホテルのフロントに預けてください」
「はい!」
明るくしっかりと返事をして、フラムはレザベイユ達がいるホテルの部屋に駆けていった。
"「ひどい!私を騙してたのね!」"
スターネットの連続ドラマでは、豪華客船"ブルーローズ"を舞台に、テロリストとそれを追う対テロリスト特務官と、テロリストに利用された歌姫の三角関係が、繰り広げられていた。誇張されたスリルとサスペンスとメロドラマという娯楽ど定番要素の詰め合わせで、耳新しい実際のスキャンダラスな大事件を思わせる話題性と、上流階級の豪華で華麗なビジュアル等が受けて、そこそこ話題になっていた。
「女って、たくましいなぁ」
主演のミラ・ロイズと、共演者の特務官役の若手男優とのスキャンダルをトップに飾ったゴシップニュースの画面を消して、銀河連邦保安局の特別捜査官エザキは、ため息をついた。
「お待たせしました。ご案内いたします。こちらのパスをお使いください」
スタッフに渡されたパスをセットすると、エザキの黒眼鏡に案内表示が浮かんだ。迷路のような施設内を案内の通りに進む。
指定された扉の前に着くと、安全確認したとおぼしき一拍の後、扉が開いた。
「失礼します」
「ようこそ。エザキ特捜」
室内には、上品な老婦人が座っていた。エザキは態度には出さなかったが、意外だなと驚いた。
「どうぞお掛けになって」
老婦人は穏やかに微笑んだ。
「宇宙開発事業団の探査局局長がこんなおばあちゃんなのは、意外だったかしら?」
「いえ、そんなことは……」
「お仕事の割には表情の豊かな方ね、あなた。チャーミングだわ」
人生で"目付きが悪い"だの、"無駄にコワモテ"だの言われたことはあっても、"チャーミング"なんて言われたことのない中年男は、目を白黒させた。
「私も就任したてで、まだまだ馴染んでないのよ。よろしくお願いしますわね」
「はぁ」
銀河連邦保安局と双頭をなす、銀河系人類世界最大級の情報機関の局長という途方もない上位の存在と対面して、エザキは困惑していた。
2、3の慣例的なやり取りの後、局長はデスクのモニタに、見覚えのあるシートを表示した。
「これはあなたが発行したものね?」
シートには、エザキの手書きの文字がのたうっていた。
「はい。事件の調査報告書と一緒に提出した写しです」
表示されたエザキの手書き文字の隣に、流通語の訳文が表示された。最後の方がエラーになって、翻訳されていない。
「ここはなんと書いてあるのか教えていただけるかしら」
エザキは初等学校時分に字が汚いといって先生に叱られた気分を思い出した。
この手の契約書にありがちな定型文を、体裁を整えるためになんとなく書きなぐっただけの1文を、読み上げる。上記の契約は完了報告をもって完了するだのなんだのという、形式だけの文章だ。
「何か問題が?」
若い頃はさぞや美人だったろうと思わせる上品な老婦人は、目をきらめかせて微笑んだ。
「いいえ。大変お手柄」
エザキは首をかしげた。
「あなた、この契約者から完了報告は受けたかしら?」
エザキはハッとした。あの時はどさくさで、それどころではなかったので、そのまま別れたきりだった。
「いえ、受けておりません」
冷や汗をかくエザキに、探査局長は楽しげに言った。
「では、契約上はまだタイムフライズ号とその乗員は、あなたと雇用関係にあるわけよね」
「最初に交わした基本契約は保安局の通常の臨時雇用規約第8ー3項に沿っていますので、命令保留期間における契約の自動延長が適用されるはずです」
「それなら、あなたからの依頼は、彼らは断れないわけね。素敵」
「彼ら?」
「今ね、ロイ・ハーゲン氏はあの船で副操縦士見習いやっているのよ。笑えるでしょう?」
エザキは息を飲んだ。ブルーロータスのグレムリンのことは、謎の多い事件の最大の禁忌として箝口令がしかれた極秘事項なのだ。
表向きはテロリストによる破壊工作で、船体が破壊され、機関部のみがジャンプしてしまった事故として処理され、彗星も正体不明船も難民も全部なかったことになっている。しかし、当時船内の艦橋近くにいたエザキは、あの船があり得ない方法で数々の危機を回避したことを、多少は知っていた。
「何をやらせようって言うんです?」
「協力して頂けますかしら」
おっとりとそう言って小首をかしげる小柄な老婦人を見ながら、エザキは絶望的な気分になった。あんな人類が触れるべきではないような不可思議現象の塊でも、利用しようと考える奴はいるらしい。
「(女って、たくましいなぁ)」
当たり前のように説明される任務詳細を、エザキは黙って拝聴した。
「ジャック、飯にしようか」
「きょうはニクジャガだよー」
「わーい」
「やった。俺それ好き……じゃなくて、ロイ!仕事の依頼が入った!」
狭い宇宙艇の本来部屋を作るスペースのないところに開いた開口部から、茶碗としゃもじを持ったまま顔を出した川畑は、ちょっと眉を寄せた。
「え、じゃぁ俺そろそろ撤収しないと不味いかな?」
「いや、なぜか"正副操縦士揃って"との条件がついてるから、お前もいてもらわないと困る」
「了解した。じゃあ、飯食ったら、ちょっとそこいらラムスクープして船にも燃料補給して出掛けるか」
「なんかもう俺、お前といる便利さに慣れちゃうと、元の生活に戻れない気がして不安だよ」
「まだしばらくは厄介になるんで、よろしくな」
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。




