第九十五話:砕かれた心
「……リリア……?」
セレスティーナ様の心配そうな声が遠くに聞こえる。
ダメだ。その声に応えてはいけない。その優しさに触れてはいけない。
私の存在そのものがこの人を殺す呪いなのだから。
「……近寄らないでください」
私の唇からか細く、そして冷たい拒絶の言葉が零れ落ちた。
セレスティーナ様の月白色の瞳が驚きと、そして深い痛みで見開かれる。
「リリア……? 何を言って……」
「触らないでください!」
彼女が私に伸ばそうとしたその白い手を、私は狂ったように振り払った。
パシンと乾いた音が静かな書斎に響く。
セレスティーナ様はまるで信じられないものを見るかのように、私と、そして振り払われた自分の手を交互に見つめていた。
違う。違うのですお嬢様。
あなたを傷つけたいわけではないのです。
ただこれ以上あなたに近づきたくない。私のこの汚れた手であなたに触れたくない。
私があなたを愛せば愛するほど運命の刃はより鋭く研ぎ澄まされていくのだから。
だがそんな私の内心の悲鳴など彼女に届くはずもない。
私はもはや彼女の顔をまともに見ることすらできなかった。
「……申し訳ございません」
それだけを絞り出すと私は彼女に背を向け、逃げるようにその場を走り去った。
背後でセレスティーナ様が私の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。だがもう振り返ることはできなかった。
私は白氷城の長い長い廊下をただ無我夢中で走った。
どこへ向かっているのかも分からない。ただこのおぞましい運命から一刻も早く逃げ出したくて。
侍女用の自室に転がり込むと私は内側から乱暴に鍵をかけた。
そしてベッドに倒れ込み顔を枕にうずめる。
涙は出なかった。
ただ空っぽの心がひゅうひゅうと冷たい風が吹き抜けるように痛い。
私の第二の人生。
無気力だった日々に初めて光を与えてくれたあの人の存在。
彼女のために生きると誓ったあの日の輝かしい決意。
その全てが嘘だった。
私の人生はただ彼女を殺すためだけに用意された壮大な茶番劇だったのだ。
コンコンと扉をノックする音が聞こえる。
「リリア! 開けなさい! 説明してちょうだい!」
セレスティーナ様の切実な声。
私はただ耳を塞ぎ体を固く固く縮こまらせた。
やがてノックの音は止んだ。
扉の向こうの気配も消える。
残されたのは絶対的な静寂と孤独。
そして砕け散った私の空っぽの心だけだった。
開かずの書斎では一人残されたセレスティーナ様が、床に落ちた日記をただ呆然と見つめていた。
リリアを傷つけてしまった。
その事実が彼女の心を鉛のように重く打ちのめしていた。
第九十五話「砕かれた心」、いかがでしたでしょうか。あまりに過酷な真実の前に、リリアの心は、完全に砕け散ってしまいました。
次回、第九十六話「女王の覚悟」。この、最大の危機に、セレスティーナは、どう、立ち向かうのか。二人の絆の、真価が、問われます。どうぞ、お楽しみに。
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