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第九十一話:開かずの書斎

 老執事が指し示したのは表向きの書斎の最も奥にある巨大な本棚だった。一見他の本棚と何ら変わりはない。だがセレスティーナ様がその前に立つと彼女の魂核イドに呼応するかのように棚の表面に刻まれた微細なヴァイスハルト家の紋章が淡い青色の光を放ち始めた。


「……父上」


 セレスティーナ様はどこか祈るようにそう呟くとその紋章にそっと指を触れた。

 指先から彼女の凍晶‐シアン系統のマナが静かに流れ込む。それは血族にしか解けない高度な魔術的な錠前だった。


 ゴゴゴという重い音と共に巨大な本棚がゆっくりと横にスライドしていく。その奥に現れたのはもう一つの古びた、しかしどこか尋常ならざる気配を放つ鉄張りの扉だった。


 執事が深々と一礼し静かにその場を辞す。

 残されたのは私とセレスティーナ様、そして父が遺した最後の秘密だけ。


(ここが本当の研究の場所……)


 セレスティーナ様は震える手でその鉄の扉を開けた。

 ぎぃと軋んだ蝶番の音が静寂に響く。

 扉の向こうに広がっていたのはこれまでのどの部屋とも全く違う空間だった。


 そこはインクと古い羊皮紙と、そして微かな薬草の匂いに満ちていた。

 壁という壁は天井まで届く本棚で埋め尽くされている。だがそこに並んでいるのは公爵家の歴史書や領地経営に関する書類ではない。錬金術の専門書、古代魔術の論文、そして禁忌とされる妖霊術に関するおびただしい数の研究記録。

 机の上には約束の天文暦が広げられ、飲み干された薬草茶のカップがまるで昨夜まで誰かがここにいたかのように置かれている。


 ここはヴァイスハルト公爵の書斎ではない。

 公爵としての責務から解放され、ただ一人の人間、一人の父親として、娘を救うというたった一つの目的のために狂気的なまでの情熱を燃やした一人の男の魂の場所だった。


 セレスティーナ様はまるで聖域に足を踏み入れるかのようにゆっくりとその部屋の中心へと歩を進めた。

 そして机の上に一冊だけ開かれたままになっていた黒い革張りのノートにその視線を落とす。

 それは父君が最後に書き記したであろう研究日誌だった。


 彼女がそのページをめくろうとしたその瞬間。

 私の肌が粟立った。

 この部屋に満ちる膨大な知識の圧、そして父君のあまりに強すぎる残留思念が私のギフト「未来視」を無理やりにこじ開けようとしている。


(……ダメだ。今はまだ……!)


 私は必死にその力の奔流に抗った。

 今ここで私が倒れるわけにはいかない。これから彼女が知ることになるであろう真実の重さを共に背負うために。

 私はセレスティーナ様の背中をただ固唾を飲んで見守っていた。

 彼女が背負う宿命の重さがその一冊の本から音もなく立ち上っているようだった。


 第九十一話「開かずの書斎」、いかがでしたでしょうか。父が遺した、本当の研究。その、おぞましくも、愛に満ちた記録を前に、セレスティーナ様は何を知るのか。

 次回、第九十二話「父の研究記録と、一筋の光」。物語は、第四章の、核心へと、突入します。どうぞ、お楽しみに。


ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、世界観を共有する作品もあるので、そちらもご覧いただけるとお楽しみいただけるかと存じます。HTMLリンクも貼ってあります。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新しています。(Xアカウント:@tukimatirefrain)

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