第八十八話:吹雪の夜の誓い
凍えるという言葉ですら生ぬるい。
狩人小屋の壁の隙間から吹き込む風はヴァイスハルト領の厳しさを凝縮したように容赦なく私たちの体温を奪っていく。たき火の心もとない光が互いの青ざめた顔と不安に揺れる瞳を映し出していた。
外は白一色の地獄。猛烈な吹雪が追手の気配さえもかき消しこの小さな小屋を世界から完全に孤立させている。援軍は望めない。夜が明ける保証もない。あるのはじりじりと肌を刺す寒さと壁一枚隔てた向こう側に潜む確実な死の気配だけだった。
(怖い……)
どれだけ気丈に振る舞おうと心の奥底から湧き上がる原始的な恐怖はごまかしようがなかった。私の武器はいつ発動するか分からない不確かなギフト「未来視」と前世の付け焼き刃の知識だけ。この圧倒的な暴力の前ではあまりに無力だ。
その張り詰めた沈黙を破ったのはセレスティーナ様だった。
「……怖いの」
ぽつりとか細い声で彼女はそう呟いた。
私はハッとして彼女の顔を見る。その月白色の瞳は燃え盛る炎ではなく目の前の暗い現実をただ映していた。
「追手がではないわ。……この寒さが。吹雪が。私の魂核がこの荒れ狂うエーテルに共鳴して歓喜しているのが分かるの」
彼女の声は震えていた。それは寒さのせいだけではない。
「私の力は氷。この全てが凍てつく世界は私にとって最高の舞台。いつでもあの追手たちを凍晶‐シアンの氷檻に閉じ込めることだってできる。でもそれをすれば……私はきっと私でなくなってしまう。周囲のエーテルもマナも生命すらも根こそぎ奪い尽くすただの『災厄の器』になってしまうわ」
公爵代理としての気高い仮面を脱ぎ捨てた一人の少女の純粋な恐怖の告白だった。
私はたまらなくなって彼女の冷たい手を両手で包み込んだ。
「いいえお嬢様。あなたは決してそうはなりません」
だが私の言葉は自分の無力さへの苛立ちで情けなく震えていた。
「……偉そうなことを言って申し訳ございません。私には未来の断片が視えるだけであなた様をお守りする本当の力はない。あの禁書庫の時のようにあなたの力を借りなければ私は何も……!」
悔しさに奥歯を噛みしめる。私がもっと強ければ。剣が使えれば。環流マナ術が使えれば。この人をこんな風に怯えさせることなどなかったのに。
互いの一番見せたくなかった弱さ。それをこの極限状況が容赦なく暴き出す。
しばらくの沈黙。パチと薪がはぜる音だけがやけに大きく響いた。
やがてセレスティーナ様は私の手をそっと握り返した。
「……いいえリリア。あなたは無力ではないわ」
彼女は顔を上げた。その瞳には涙の代わりに強い決意の光が宿っていた。
「あなたのその力が私を正しい道に導いてくれる。あなたのその愚かなほどの献身が私の最後の枷になる」
彼女は私の目を真っ直ぐに見つめて誓いを紡いだ。
「だから約束して。もし私がこの力に呑まれ道を踏み外しそうになった時は――あなたが私を止めると」
それは命令ではなかった。魂の契約。
「あなたがいる限り私は決して道を踏み外さない。あなたこそが私の道しるべなのだから」
そのあまりに重い信頼。
私は込み上げてくる熱いものを必死にこらえ力強く頷いた。
「――はい我が君。このリリア、必ずや」
そして私も私の魂の全てをかけて誓いを立てる。
「私があなた様の剣にも盾にもなります。私の『未来視』があなた様の道を切り開く剣となりこの身があなた様をお守りする最後の盾となります」
吹雪の夜の小さな誓い。
それはどんな宝石よりも固くどんな契約書よりも神聖なものだった。
互いの弱さを受け入れ互いの存在そのものを支えとする。私たちはこの凍てつく山小屋でようやく本当の意味で二人きりの「共犯者」になれたのかもしれない。
ふと気づくとあれほど猛り狂っていた風の音がほんの少しだけ和らいでいるような気がした。
夜明けはまだ遠い。
だが私たちの心にはどんな炎よりも温かい確かな希望の光が灯っていた。
第八十八話「吹雪の夜の誓い」、いかがでしたでしょうか。極限状況で互いの弱さを認め合い、絆を深めた二人。この誓いが、今後の過酷な運命に立ち向かうための、大きな礎となります。
次回、第八十九話「白氷城、到着」。ついに二人は故郷へとたどり着きますが、そこで待つものとは…。どうぞ、お楽しみに。
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