第八十三話:二人だけの旅路
王都の門をくぐり乗り合い馬車が北へと進路を取ってから数時間が過ぎた。
硬い木の座席に土埃の匂い。ゴトゴトと不規則に体を揺さぶる振動。その全てがセレスティーナ様にとっては初めての経験だったに違いない。
彼女は言葉少なにただ窓の外を流れる景色をじっと見つめていた。
貴族の荘園ではない名もなき村々。畑を耕す日に焼けた農夫たち。泥だらけで笑い転げる子供たちの姿。彼女がこれまで地図と報告書の上でしか知らなかった本当の世界の姿。
(ああ、我が君……! その憂いを帯びた横顔もまた絵画のように美しい……! ですがきっとお疲れでしょう。このような庶民の乗り物では……)
私は水筒を差し出した。
「お嬢様。お喉が渇いたでしょう」
「……ええ」
彼女はほんの少しだけ戸惑った後その革袋からこくりと水を飲んだ。その仕草の一つ一つが私の心を温かいもので満たしていく。
日が傾き馬車の中が夕暮れの茜色に染まる頃。
車窓から見えた農夫が疲れた様子の子供をその肩に担ぎ上げる光景。それを見ていたセレスティーナ様がふとぽつりと呟いた。
「……父も時折私をあのように肩車してくれましたわ」
それは私が初めて聞く彼女の幼い頃の思い出だった。
私は何も言わずただ静かに耳を傾ける。
彼女は窓の外を見つめたままその胸の内を静かに吐露し始めた。
「父は……ヴァイスハルト家の当主として私に下さなければならない非情な『使命』がありました。私と同じ銀の髪を持って生まれた子を災厄の器となる前に『天鎖の環』という儀式にかけてその命を絶つという……」
その声は震えていた。
「父はその家の宿命を破ったのです。公爵としての責務を捨てただの父親として私を生かすことを選んだ」
私は息を呑んだ。それは彼女がどれほどの覚悟で私に打ち明けてくれているのか痛いほど伝わってくる告白だった。
「その選択に感謝しています。父の深い愛を感じます。でも同時に……」
彼女の声がか細く揺れる。
「そのせいで父がどれほど苦しんだのかと思うと……。私が生まれてきたせいで父を追い詰めてしまったのだと……そう思ってしまうのです」
それは彼女がずっとたった一人で抱え込んできたあまりに重い罪悪感だった。
私はどんな言葉をかけるべきか分からなかった。
だからただ私の本当の気持ちだけを伝えることにした。
「先代様は何よりもあなた様がただ生きていらっしゃることを望まれたのです。そのお心に罪などあるはずがございません」
私のその飾り気のない言葉にセレスティーナ様の肩がほんの少しだけ震えた。
彼女は何も答えなかった。
ただこてんとその頭を私の肩に預けてきた。
銀色の髪が私の頬を優しくくすぐる。
伝わってくる彼女の確かな重みと温もり。
私たちは言葉もなくただ寄り添い合う。
馬車は北へ。
私たちの長く、そして険しい旅路はまだ始まったばかりだった。
第四章、開幕です。ここからは、二人きりの、逃避行が、始まります。仲間と離れ、敵が迫る中、二人の絆だけが、唯一の、道しるべとなります。どうぞ、最後まで、お付き合いいただけますと幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、世界観を共有する作品もあるので、そちらもご覧いただけるとお楽しみいただけるかと存じます。HTMLリンクも貼ってあります。
次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。
活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新しています。(Xアカウント:@tukimatirefrain)
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