第六十九話:砕けた水晶と、悲劇の序章
月明かりだけが差し込む、静まり返った実習室。
私の手の中には、動かぬ証拠である、水晶の破片が一つ。その表面に刻まれた微細な蛇の紋章が、冷たく、鈍い光を放っていた。
犯人は、狡猾だ。だが、その手口には、必ず痕跡が残る。
(もっと、情報が欲しい。この蛇が、誰なのか。その、顔を…!)
私は、意を決した。この、私の意思とは無関係に暴発する呪いのような能力を、今、この瞬間のためだけは、自らの武器として使うのだと。
私は、ゆっくりと目を閉じ、意識を集中させる。そして、砕けた水晶の破片に、そっと、指を触れた。
――その瞬間、世界が、砕け散った。
私の意思など、お構いなしに、サイコメトリーが暴発する。
脳裏に叩きつけられたのは、フードを目深にかぶった、誰かの視点。手には、影奏‐ヴァイオレットの魔力を帯びた、細い彫刻刀。それが、寸分の狂いもなく、水晶の台座に、あの禍々しい呪詛のルーンと蛇の紋章を刻んでいく。
犯人の心から流れ込んでくるのは、冷たい、氷のような悪意。だが、その顔も、素性も、まるで分厚い霧に覆われたかのように、見えない。
(くっ…! これだけなの…!?)
私が、焦りを覚えた、その時だった。
ビジョンが、さらに深く、沈み込んでいく。犯人の残留思念の、さらに奥深く。この水晶そのものが記憶する、古い、古い時間の層へ。
景色が変わる。
そこは、吹雪が吹き荒れる、極寒の雪原だった。燃え盛る城。天を突く、銀髪のヴァイスハルト家の者の、絶望に満ちた後ろ姿。そして、私の脳内に、直接、響き渡る、誰かの、血を吐くような叫び。
――なぜだ、ヴァイスハルト! なぜ、貴様らは、その力を使わなかった! 我らを見殺しにした!――
それは、ヴァイスハルト家の「災厄」によって、全てを奪われた、名もなき貴族の、断末魔の思念。数百年もの間、この水晶に染み付いていた、呪いそのもの。
この、絶望のビジョンが、犯人の動機の根源なのだと、私は、直感した。
そして、映像が、途切れる、まさにその寸前。
私の意識は、ありえない現象を捉えた。
時間が、逆流する。燃え盛る炎が、城へと吸い込まれ、砕け散った城壁が、一瞬で、元の姿へと戻っていく。
その、不規則で、冒涜的な、奇妙な「残響」。
「…あ…がっ…!」
私は、現実世界へと、叩きつけられるように、意識を取り戻した。
脳を内側から、万力で締め付けられるような、激しい頭痛。冷たい汗が、頬を伝う。
私は、その場に、膝から崩れ落ちた。
ただの、サイコメトリーではない。犯人が使う魔法は、この世界の理そのものである、時間の流れにさえ、干渉している。
私は、震える手で、床に落とした水晶の破片を、拾い上げた。
敵は、単なる政敵などではない。
その根は、もっと、深く、暗い。ヴァイスハルト家そのものの、血塗られた歴史にまで、続いている。
そして、その闇は、私の想像を、遥かに超えるほど、深く、そして、冷たい。
リリアの能力が、事件の核心に迫ります。そして、物語の根幹をなす「律章術」の謎が、少しずつ、そのベールを脱ぎ始めます。次回、物語は、クロイツェル教授の講義へと続きます。
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