第五十八話:決戦の朝と、白銀の翼
論文会、当日。
決戦の朝の空気は硝子のように澄み切って張り詰めていた。
私はセレスティーナ様の私室で、彼女の身支度を手伝っていた。窓から差し込む朝の光が床に置かれた純白のドレスを照らし出している。
それはこの日のために、あつらえられた特別な一着だった。
光の加減で白銀にも見える絹の生地。その胸元と数メートルにも及ぶ長いトレーンには、ヴァイスハルト家の紋章である翼の刺繍が銀糸で見事に施されていた。
そのドレスにセレスティーナ様が袖を通す。
鏡に映った自らの姿を、彼女はこれまで見たこともないほど真っ直ぐな瞳で見つめていた。
「リリア。私はもうこの髪の色を恐れないわ」
その声は静かだったが、何よりも力強い決意に満ちていた。
氷の仮面はもうどこにもない。そこにいたのは自らの血筋と宿命を受け入れ、誇り高く未来を見据える一人の女王だった。
(ああ……我が君……ついに女神になられたのですね……あっ成仏する)
私は最早むせび泣きそうになるほどの熱い想いを、完璧な侍女の礼節の下に隠し深くお辞儀をした。
「はい、お嬢様。その白銀の輝きこそヴァイスハルト家の、そしてこの国の始まりの祝福なのですから」
支度が終わる頃。シルヴィア様がそっと部屋を訪れた。
その手には小さな香炉があった。
「セレスティーナ様、リリアさん。これはドルヴァーン家に伝わる魔力を穏やかにする特別な香です。ほんの数グラムですが、きっとお二人のお守りになりますわ」
立ち上る清らかな森の香りが、私たちの張り詰めた心を優しく解きほぐしていく。
「ありがとう、シルヴィア。あなたも共に戦ってくれるのね」
「もちろんですわ。私たちはもう共犯者なのですから」
三人の間に言葉はいらなかった。ただ互いの瞳に同じ覚悟の光が灯っているのを確かめ合う。
会場である大講義室へと向かう長い廊下。
すれ違う貴族たちの好奇と侮蔑が入り混じった視線を、セレスティーナ様はもはや気にも留めない。その堂々とした歩みは全ての雑音を威厳に変えていた。
会場の巨大な扉の前で、私たちは予期せぬ人物と遭遇した。
「ごきげんよう、皆様! 本日はわたくしの知性がこの会場を揺るがす日ですわ!」
燃えるような真紅のドレスに身を包んだイザベラ様だった。その手にはなぜか装飾用の小さな木槌が握られている。
彼女はセレスティーナ様を一瞥するといつものように、ふんと鼻を鳴らした。
「その貧相な体では長時間の舌戦には耐えられませんわね。もっとプロテインを摂取なさい!」
それだけ言うと彼女は胸を張って颯爽と会場の中へと消えていった。
私たちはそのあまりに的外れな激励に一瞬言葉を失った。
「……プロテイン?」
「……さあ。ツェルバルク家秘伝の何かでしょうね」
私たちは顔を見合わせ思わず小さく笑ってしまった。彼女のあの天衣無縫な嵐のおかげで、私たちの心から最後の硬さが取れたようだった。
会場は数百平方メートルはあろうかという広大な空間だった。そのほぼ全ての席が有力貴族たちで埋め尽くされている。
私たちの席は最前列中央。そしてそのすぐ隣の席に。
ラザルス・フォン・ライネスティアが静かに座っていた。
彼は私たちに気づくとゆっくりとこちらを向き、その口元に氷のような、しかし絶対的な自信に満ちた笑みを浮かべた。
まるで私たちの全ての覚悟すら、彼の描いた筋書きの一部だとでも言うように。
やがて議長が登壇し、建国王祭記念論文会の厳かな開会を宣言した。
発表の順番が告げられる。
セレスティーナ様の名前が呼ばれたのは、ラザルス様のすぐ後だった。
これ以上ないほどの直接対決の舞台。
セレスティーナ様は静かに目を閉じ、精神を集中させていく。
私はその隣で誰にも気づかれぬよう、ほんの一瞬だけ。
彼女の冷たい手を強く握った。
大丈夫。あなたは一人ではない。
言葉はなくとも、その想いはきっと伝わっているはずだった。
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