第五十七話:共犯者たちの夜と、蛇の影
論文会の前日。
私たちの秘密基地である温室は、決戦を前にした静かな、しかし確かな熱気に満ちていた。完成した論文の最終確認を終え、私たちはそれぞれが淹れた薬草茶で束の間の休息を取っていた。カップから立ち上る湯気は数ミリリットルに過ぎないが、その温かさは凍えるような緊張をわずかに和らげてくれる。
「……明日ね」
セレスティーナ様が窓の外に広がる星空を見上げながら、ぽつりと呟いた。その横顔は不安よりもむしろ戦いを待ち望む女王の覚悟に輝いている。
「ええ。私たちの反撃の始まりですわ」
シルヴィア様も力強く頷く。その瞳にはもう以前のようなおびえた色はない。友と真実のために戦うドルヴァーン家の令嬢としての誇りが宿っていた。
そうだ。私たちはもう一人ではない。
そう私が三人の絆を改めて噛みしめていた、その時だった。
温室の扉をフィンが、いつもの人懐っこい笑顔とは全く違う硬い表情でノックした。
「リリアさん! 急ぎの報せだよ!」
彼は息を切らしながら、私たちの前に一枚の小さな羊皮紙を差し出した。それは私が彼に依頼していたウィルクス商会への資金援助の最終調査報告書だった。
「……どうだったの、フィン」
「ああ……。蛇の尻尾は掴めたよ。でもそいつは俺たちが思っていたよりも、ずっと厄介な毒蛇だった」
フィンの言葉に私たちの間に緊張が走る。
私は震える指でその報告書を受け取った。
そこに書かれていた事実は、私たちの勝利への確信を根底から揺るがすものだった。
ウィルクス商会を経営難から救った莫大な資金。
その出所はライネスティア家の公式な金庫からではなかった。
資金はいくつものダミーの商会を経由し、その源流を巧妙に隠蔽されていた。だがフィンの執念の調査がついにその最終的な資金源を突き止めたのだ。
それは表向きは貴族の子弟の教育を支援するための慈善団体。
そしてその団体の最大の出資者であり、事実上の運営者として記されていた名前。
「そんな……」
シルヴィア様が報告書を覗き込み、血の気の引いた顔で絶句した。
「……嘘よ。だってその方は我がドルヴァーン家とも古くから親交のある……」
そこに記されていたのは、誰しもがその高潔さを疑わないある高名な老貴族の名前だった。ライネスティア家とは全く繋がりのないはずの。
クロイツェル教授のあの不吉な言葉が私の脳裏によみがえる。
『――蛇の首を刎ねたつもりでも、尻尾がまだ動いていることもある。……特にその蛇が二つ頭だった場合はな』
ラザルス様は蛇の一つの頭に過ぎなかったのだ。
このヴァイスハルト家への長年の復讐劇。その背後にはライネスティア家とは別の、もう一つの巨大な悪意が存在していた。彼らは互いに協力し、あるいは互いを利用し合いながら私たちの息の根を止めようとしている。
「……どうしましょう」
シルヴィア様の声が震えている。
セレスティーナ様は黙って唇を強く噛みしめていた。
論文会での勝利はもはや最終的な勝利ではありえない。それは二つ頭の蛇の片方の首を叩き潰すだけの始まりに過ぎないのだ。
私はゆっくりと立ち上がった。
そして震える二人の肩をそっと抱きしめる。
「大丈夫です」
私の声は自分でも驚くほど冷静だった。
「敵が誰であろうと、私たちのやるべきことは変わりません。まずは明日、目の前の一つの首を確実に落とす。そしてもう一つの首がどこに隠れていようと、このリリアが必ず引きずり出してみせます」
私のその揺るぎない言葉に、二人の瞳に再び闘志の光が戻った。
そうだ。私たちはもうただ守られるだけのか弱き令嬢たちではない。
自らの運命をその手で切り開くと決めた三人の共犯者なのだから。
決戦の朝はもうすぐそこまで迫っていた。
私たちは温室の冷たい闇の中で、ただ静かに互いの覚悟を見つめ合っていた。
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