第五十三話:壊れた人形と、共犯者たちの夜
訓練場でのあの衝撃的な事件から数時間が過ぎた。
学園中がツェルバルク家令嬢の魔法暴走とその後の容態を噂する中、私は秘密の温室で一人、静かに夜の闇を見つめていた。
(なんという一日だったのだろう……)
昼間、私たちの仕掛けた罠は完璧に機能した。イザベラ様は踊り、私たちは「禁書庫の目録」という最大の武器を手に入れた。計画の成功に胸が高鳴ったのは事実だ。
だがその数時間後、彼女は私たちの計画とは全く無関係の場所で、自らの激情に身を任せ砕け散った。
二つの出来事に直接の因果関係はない。ないと頭では分かっている。
それでも私の胸の奥には、鉛のように重い後味の悪さが居座っていた。
背後でそっと扉が開く音がした。
振り返ると、そこにはセレスティーナ様と、そして心配そうな顔をしたシルヴィア様が立っていた。
「リリア。ここにいたのね」
「お嬢様、シルヴィア様……」
シルヴィア様は私の隣に腰を下ろすと、か細い声でぽつりと呟いた。
「イザベラ様、医務室で目を覚ましたそうですわ。ですが少し様子がおかしいと……」
「様子がおかしい?」
「ええ。何やらひどく混乱されていて、ご自分のこともよく分からないような……。頭を打った後遺症かもしれませんわ」
その言葉にシルヴィア様はぎゅっと唇を噛んだ。
「……昨日、私たちはあの方を駒として利用しました。そして今日、あのような形で彼女は倒れてしまった……。まるで私たちの行いが、巡り巡って良くないことを引き寄せてしまったようで……心が痛みます」
友を想う優しい彼女の言葉が、私の心の澱を静かにかき混ぜる。
私が何かを言おうとする前に、セレスティーナ様が静かに口を開いた。
「いいえ、シルヴィア。あれは彼女自身が選んだ道よ。誰のせいでもないわ」
その声は氷のように冷静だった。だが私は知っている。その冷静さは、彼女が自らの感情を押し殺すために纏う薄氷の鎧だということを。
「でも……」セレスティーナ様は続けた。「あのイザベラの姿を見ていると思ってしまうの。私も一歩間違えれば、そうだったのかもしれないと」
制御できない力に振り回され全てを憎み、そして自滅していく。彼女の月白色の瞳が自分のあり得たかもしれない未来を見ていた。
私はたまらなくなって口を開いた。
「お嬢様は違います」
私のきっぱりとした声に二人が私を見る。
「あなたはその力と運命から決して逃げなかった。たった一人で戦ってこられた。あの人とあなたは決して同じではありません」
私の言葉にセレスティーナ様の瞳がわずかに揺らぐ。
そうだ。感傷に浸っている場合ではない。私は二人の女王様の剣であり盾なのだ。
「それにお嬢様。この事故は悲劇であると同時に、私たちの計画にとって新たな好機となるかもしれません」
「好機……ですって?」
「はい。頭を打ち記憶が混乱しているイザベラ様は、もはやラザルス卿にとって制御不能な『壊れた人形』です。彼はその人形をどう扱うでしょうか。あるいは見捨てるかもしれない。彼の完璧な計画に初めて予測不能な綻びが生まれたのです」
私は冷静に状況を分析してみせる。それが二人を安心させる、今の私にできる唯一のことだったから。
セレスティーナ様はそんな私の顔をじっと見つめていた。そして私の強張った手をそっと両手で包み込んだ。
「……リリア。あなたの言う通りね。でも忘れないで」
伝わってくる彼女の温かい体温。
「あなた一人に全てを背負わせないと誓ったでしょう? 私たちの策が招いたその後味の悪さも痛みも、三人で分かち合うのよ」
そのあまりに優しい言葉に、私が必死に築いていた冷静さのダムが決壊しそうになる。
シルヴィア様もこくりと頷き、私のもう片方の手をそっと握ってくれた。
「そうですわ、リリアさん。私たちはもう共犯者なのですから」
ああ、私はなんて愚かなんだろう。
この気高く、そしてどこまでも優しい二人の女王様の前で、孤独な狩人を気取っていた自分がひどくちっぽけに思えた。
涙が零れ落ちそうになるのを必死に堪える。
盤上には記憶を失った悪役令嬢という新たなジョーカーが放たれた。
戦いはより複雑な局面へと突入していく。
だが今の私にはもう恐れはなかった。
この温かい手が側にある限り。私たちは決して負けはしない。
私たちは夜が明けるまで、そうしてただ静かに互いの手の温もりを確かめ合っていた。
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