第五十一話:偽りの歴史と、三人の誓い
温室の中にしばし沈黙が落ちた。
イザベラ様という予測不能な駒を知略で操り、私たちが手に入れた一冊の古い農業記録。
そしてその片隅に記されていた、先代公爵が遺した最後の暗号。
それが歴史を、そして一人の少女の運命を覆すほどの力を持っている。
「……すごいわ」
最初に沈黙を破ったのはシルヴィア様だった。その穏やかな瞳が驚きと興奮にきらきらと輝いている。
「まさかイザベラ様をあんな風に利用してしまうなんて……。リリアさん、あなた少し怖いわ」
「全てはお嬢様をお守りするためです」
「ええ。分かっているわ」
セレスティーナ様は静かに、しかし力強くそう言った。
その月白色の瞳には、もはや迷いの色はない。ただ宿敵を討ち滅ぼすという冷たい決意の光が宿っていた。
彼女は私とシルヴィア様の顔を交互に見つめる。
「ですがお嬢様。ただこの暗号が示す文献を見つけ出すだけでは不十分です」
私は口を開いた。
「ラザルス卿はきっとこう言うでしょう。『ヴァイスハルト家が自らに都合の良い新たな「おとぎ話」を捏造したのだ』と」
「……ええ、そうね。あの男なら言いかねないわ」
「ですから私たちの論文は、まず以前クロウリー商会から届いた『インクの分析結果』を絶対的な証拠として提示しなければなりません。ライネスティア家の歴史書が物理的に偽物であることを、満場の前で証明するのです」
私たちの本当の作戦会議がそこから始まった。
シルヴィア様が語るドルヴァーン公爵家の精霊たちの口伝。
セレスティーナ様が父君の遺した難解な古文書の中から、その裏付けとなる記述を探し出す。
そして私がその二つの情報と偽りのインクの科学的な証明を、一つの誰も反論できない完璧な論文としてまとめ上げていく。
それは三人の知恵と勇気、そして友情の結晶だった。
作戦会議が終わり温室の外に出ると、空は美しい夕焼けに染まっていた。
セレスティーナ様はシルヴィア様に向き直ると、深く頭を下げた。
「……シルヴィア。あなたには感謝してもしきれません。このご恩は生涯忘れませんわ」
「まあ、セレスティーナ様、おやめください」
シルヴィア様は慌ててセレスティーナ様の手を取った。
「私はただ友人の力になりたいと、そう思っただけですもの」
セレスティーナ様が少しだけ照れくさそうに、そう微笑む。
そのあまりに尊い光景に、私の心は温かいもので満たされていく。
(ああ、我が君にお友達が……!)
嬉しさのあまり涙ぐみそうになる私のその視界の片隅に。
遠く校舎の渡り廊下を歩いていく一人の人影が映った。
ラザルス・フォン・ライネスティアだ。
彼は一人でこちらをじっと見つめていた。
私たちに気づいたのだろう。彼はゆっくりとその口元に笑みを浮かべた。
それはこれまでの私たちへの侮蔑や敵意とは全く違うものだった。
全てを見透かしているかのような絶対的な自信に満ちた不気味な笑み。
(……おかしい)
私の胸に新たな、そして拭い去ることのできない小さな疑念の種が蒔かれた。
(私たちの手には完璧な証拠がある。ラザルス様が負けることはありえないはず。なのにあの自信は……? まるで私たちの勝利すら計画のうちだとでも言うような……)
ラザルスは私たちに優雅に一礼すると、何事もなかったかのようにその場を立ち去っていった。
敵はライネスティア家だけではないのかもしれない。
この白亜の塔にはまだ私たちの知らないいくつもの仮面が隠されている。
私は隣で楽しそうにシルヴィアと語らうセレスティーナ様の横顔を見つめながら、改めてこの戦いの本当の恐ろしさを感じていた。
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