第五十話:道化の探索と、二人の漁夫の利
私がフィンを通じて学園に放った甘い毒の囁き。
その噂は、私が思っていた以上の速度で広がっていった。
侍女たちの井戸端会議から下級貴族の昼食のテーブルへ。そしてついにその日の夕方には、当事者の耳へと届いた。
「――なんですって!?」
イザベラ・フォン・ツェルバルクのヒステリックな甲高い声が談話室に響き渡る。
取り巻きの一人からその「噂」を聞いた彼女は、扇子を床に叩きつけて激怒していた。
「あの銀髪女! わたくしたちの輝かしいツェルバルク家の歴史に泥を塗ろうなどとは、万死に値しますわ!」
彼女のその単純な思考回路は完全に私の思惑通りに動いている。
「許せません! あの女よりも先に、そのふざけた文献とやらを、わたくしが探し出し、この手で燃やし尽くしてやりますわ!」
イザベラ様は真っ赤な顔でそう叫ぶと、取り巻きたちを引き連れて部屋を飛び出していった。
向かう先は、おそらくラザルス・フォン・ライネスティアの元だろう。
その翌日。
案の定、学園内には新たな噂が駆け巡っていた。
イザベラ様がラザルス様に無理を言って、「特別書庫」への立ち入り許可を取り付けたと。
ラザルス様もこのイザベラ様の突飛な行動を逆に利用し、「ツェルバルク家の潔白を証明しヴァイスハルト家の欺瞞を暴く」という政治的なショーに仕立て上げるつもりのようだった。
全てが私の描いた設計図の上で完璧に踊っている。
そして運命の放課後。
私とセレスティーナ様、そしてシルヴィア様は、息を殺してその時を待っていた。
物陰から私たちが見つめる先。そこには勝ち誇ったような顔で特別書庫から出てくるイザベラ様の姿があった。その脇には一冊の古びた分厚い本が抱えられている。
リリアが噂と共にそれとなく流しておいた偽の文献番号。彼女がその手にしたものこそ、私たちの本当の標的。
私たちはあらかじめ計画していた通り、行動を開始した。
まずシルヴィア様が角を曲がってきたイザベラ様の前に、タイミングを合わせて飛び出す。
「きゃっ!」
わざとらしく彼女の前に本を数冊ばらまく。
「まあ、イザベラ様! 大変申し訳ございません!」
「あなた! どこに目をつけて歩いてらっしゃるの!」
イザベラ様がかんしゃくを起こしシルヴィア様を罵倒している、そのほんの一瞬の隙。
私は侍女としてごく自然に駆け寄り、床に散らばった本を拾い上げるふりをした。
そしてその一瞬の交錯の中で。
私はイザベラ様が脇に抱えていたその古びた本を、あらかじめ用意していた見た目も重さも全く同じ別の価値のない本と、鮮やかにすり替えた。
前世で何度も見たスパイ映画の見様見真似。だが今の私にはそれだけで十分だった。
イザベラ様はシルヴィア様に最後の捨て台詞を吐くと、偽物の本を抱えたまま颯爽と去っていった。
彼女は自らが私たちを利する最も重要な情報を、その手で運んできたことにまだ気づいていない。
私たちは温室へと戻った。
そして手に入れたその本を開く。
ツェルバルク家の醜聞などどこにも書かれてはいない。それはただの古い農業記録だった。
だが私が指定したそのページ。その片隅に。
先代公爵の筆跡で書かれた小さな、小さな暗号が残されていた。
それは一見意味をなさない数字と星の記号の羅列。
だが約束の天文暦と照らし合わせた時、その本当の意味が浮かび上がってくる。
「……これは」
セレスティーナ様が息を呑む。
「……父が遺してくれた『禁書庫』の本当の目録……。どの文献に真実が隠されているかを示すただ一つの道しるべだわ……」
私たちは顔を見合わせた。
そして三人の間に初めて、同じ闘志に満ちた笑みが浮かんだ。
悪役令嬢を知略で完璧に出し抜いたこの小さな勝利。
それは私たちの本当の反撃の始まりを告げる狼煙だった。




