第四十九話:悪役令嬢への、甘い囁き
ライネスティア家が仕掛けた巧妙な情報の壁。
私たちが論文会での勝利の鍵となる重要な古文書への道を、完全に断たれてから数日が過ぎた。
植物園の温室での私たちの作戦会議は、重い沈黙に包まれていた。
「……万事休すかしら」
セレスティーナ様が力なく、そう呟く。
「ラザルス様の権力は、私たちが思っていた以上にこの天媒院に深く根を張っていますわ……」
シルヴィア様も悔しそうに唇を噛んだ。
絶望的な空気。
だが私の頭の中は、いつになく冷静だった。
そして一つの悪魔的な策が浮かんでいた。
(道が塞がれているのなら。別の誰かにその扉を開けさせればいい)
その「誰か」とは、敵の最も脆く、そして扱いやすい駒。
私は二人に、その非情な計画を打ち明けた。
「――イザベラ・フォン・ツェルバルク様を利用するのです」
私の言葉に、シルヴィア様は息を呑んだ。
「で、でもリリアさん! それはあまりに危険ですわ! それに彼女を騙すような真似は……」
「ええ。ですがこれしか道はありません」
セレスティーナ様は黙って私を見つめている。その月白色の瞳は、私の覚悟のその深さを測っているようだった。
やがて彼女は静かに頷いた。
「……やりなさい、リリア。あなたを信じるわ」
その日の午後。
私は商人見習いのフィンを、中庭の隅へと呼び出した。
「フィンさん。あなたに学園中に流してほしい『噂』があるの」
「噂だって? へへっ、面白そうだね! でもタダじゃないよ?」
「もちろん。対価は弾むわ」
私は彼に銀貨数枚と、一枚の小さなメモを渡した。
そこに書かれているのは、これから学園を駆け巡ることになる甘い、甘い毒の囁き。
『――聞いた? ヴァイスハルト家の令嬢が最近、ツェルバルク家の古い醜聞を調べているらしいわよ。なんでも建国時代に不名誉な逸話があるとか……』
噂は私が思っていた以上の速度で広がっていった。
侍女たちの井戸端会議から下級貴族の昼食のテーブルへ。
私はその一部始終を、遠く物陰から見つめていた。
私の仕掛けた悪魔の囁き。
その甘い毒が今、確実に悪役令嬢の心を蝕み始めていた。




