第四十七話:錬金術的インクと、偽りの歴史
シルヴィア様がもたらしてくれた精霊たちの『おとぎ話』。
そしてクロイツェル教授が謎めいた言葉で示してくれた新たな道。
私たちの本当の反撃の糸口が、ようやく見えた。
その日の夜。
私とセレスティーナ様は、再び書斎で二人きりの作戦会議を開いていた。
机の上には、ライネスティア家が編纂したという壮麗な、そして偽りに満ちた公式の歴史書が広げられている。
「……リリア。あなたの言う『インクの成分分析』。それは本当に可能なの?」
「はい、お嬢様。可能でございます」
私は、きっぱりとそう答えた。
私の脳裏には、前世で学んだごく初歩的な科学捜査の知識が浮かんでいた。
筆跡鑑定、紙の年代測定、そしてインクの成分分析。それらは文書の真贋を見極めるための基本的な手法だ。
この世界に同じような技術がないはずがない。クロイツェル教授の言葉はその確信を私に与えてくれた。
「ライネスティア家が歴史を長い年月をかけて、少しずつ改竄してきたのだとしたら。そのつぎはぎだらけの歴史書には、必ず時代の異なる複数のインクが使われているはずです。それを証明するのです」
「でも、どうやって? 天媒院の公式な鑑定機関を使えば、ラザルスたちに私たちの動きがすぐに知られてしまうわ」
「ですから、私たちは『裏路地』を使うのです」
私はセレスティーナ様に、一つの大胆な計画を提案した。
それは、再びあの王都の裏社会に足を踏み入れるという危険な計画だった。
数日後。
私はセレスティーナ様から特別に数時間の外出許可を得ていた。
向かう先は、王都第五区画。あの怪しげな『クロウリー商会』だ。
「……また、あんたか、嬢ちゃん」
店の奥から現れたフードを目深にかぶった店主は、呆れたようにそう言った。
「今度は何が欲しいんだい?」
「情報ではありません。あなたにある『仕事』をお願いしたいのです」
私は懐から、小さな、小さな羊皮紙の欠片を取り出した。
それは私がライネスティア家の歴史書から、誰にも気づかれぬようカミソリでほんの僅かに削り取ってきたインクの染みだ。
「このインクの正確な製造年代と成分を分析していただきたい。もちろん報酬は弾みます」
店主はその小さな欠片をルーペでじっと見つめると、ニヤリとその口元を歪めた。
「……面白い。実に面白い仕事だ。あんた、ただのメイドじゃないな?」
「さあ。どうでしょう」
「いいだろう。その仕事、引き受けた。ただし分析には数日かかる。それと対価は金だけじゃ足りないぜ?」
「……望むものは何です?」
「そうさな……。今度、あんたのその面白い『頭の中身』を、少しだけ聞かせてもらうとしようか」
店主との奇妙な契約が成立した。
私は店を出ると、もう一つの目的地へと向かった。
情報屋の酒場『鳴かずのカッコウ亭』。
前回と同じように、強面のバーテンダーに銀貨と、そして新たな「対価」となる別の貴族社会の小さなスキャンダル情報を提供し、私は店の奥へと通された。
そこにいたのは、あの狐目の情報屋だった。
「やあ、お嬢さん。また会ったね。今度はどんな厄介ごとかい?」
「あなたに調べてほしいことがあるんです」
私は彼に一枚の紙を渡した。
そこには、私が記録保管室で見つけたあの『ウィルクス商会に対する公爵家からの貸付金・焦げ付きに関する報告書』の日付とその前後の金の流れについて、私が立てた仮説が記されていた。
「この金の流れの裏付けを取ってほしいのです。誰がどこからウィルクス商会に金を渡したのか。その決定的な証拠を」
情報屋はその紙を面白そうに眺めると静かに言った。
「……あんた、とんでもない蛇の尻尾を掴もうとしてるね。いいだろう。この仕事、乗った。ただしこれだけの情報を手に入れるには時間がかかる。……論文会までには間に合わないかもしれないぜ?」
「構いません。急がば回れですわ」
私はそう言って席を立った。
二つの強力な、しかし危険な裏社会の「駒」を、私は手に入れた。
論文会でライネスティア家を打ち破るための武器。
それはもはや図書館の埃をかぶった本の中にはない。
私たちの本当の戦場は、光の当たる華やかな舞台ではなく。
この王都の薄暗い裏路地の中で始まっていたのだ。




