第四十五話:森の令嬢と、星屑の泉
王立天媒院での、私たちの「論文戦争」は早々に暗礁に乗り上げていた。
私たちが論文の核心に迫る重要な古文書を閲覧しようとすると、必ず何らかの横やりが入るのだ。
「申し訳ありません。その文献は、一昨日から、ライネスティア家のラザルス様が、研究のために借り出しておられます」
「こちらの資料は、現在、特別書庫にて修復作業中ですの。閲覧は、早くても一月先になりますわ」
図書館の司書は、申し訳なさそうにそう言うだけ。
ライネスティア家はその権力を使い、私たちを情報から巧みに、そして執拗に遠ざけようとしていたのだ。
焦りと心労が重なっていく。
そのせいか、あるいは天媒院の高すぎるエーテル濃度の影響か。セレスティーナ様の体調が、再び僅かに悪化の兆候を見せ始めていた。
書斎でこめかみを押さえる回数が増え、その美しい月白色の瞳にも、うっすらと疲労の色が浮かんでいる。
私は彼女の身を深く心配しながらも、屋敷の外であるここでは、いつもの万全の警護体制を敷くこともできず、ただ歯がゆい思いを募らせていた。
そんなある日の放課後。
私が図書館で一人、借り出せる限りの文献を広げ頭を抱えていた、その時のことだった。
「……何か、お困りのようね、ヴァイスハルト家の侍女さん」
そっと声をかけられ、顔を上げる。
そこに立っていたのは、ドルヴァーン公爵家の令嬢、シルヴィアだった。その森の木々のような穏やかな緑色の髪が、窓から差し込む光に透けていた。
彼女は、ライネスティア家とも、ツェルバルク家とも距離を置く、中立派の中心人物。これまでは挨拶を交わす程度の関係だった。
私が戸惑っていると、彼女は小さな美しいガラスの小瓶を、私の前にそっと差し出した。
「これは、私の故郷、ドルヴァーン領の『星屑の泉』で汲んだ特別な湧き水。マナを穏やかに鎮める効果がありますの」
彼女は少しだけ声を潜めて続けた。
「……あなたのご主人、少しお疲れのようだから。気休め程度にはなるかしら」
それは、彼女なりのささやかな、そして勇気のいるお節介だった。
私はその思いがけない優しさに、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、シルヴィア様」
翌日。私はシルヴィア様の元を訪れた。
彼女は、クロイツェル教授の授業の課題である古代の難解な契約書の解読に苦しんでいるようだった。
「シルヴィア様。昨日のお礼です」
そう言って、私は彼女が広げている羊皮紙をそっと指し示した。
「私、こういう回りくどい文章の矛盾点を探すのが、少しだけ得意なんです。この契約書、一見すると甲の者に極めて有利に見えますが……」
私は、前世の法律知識を活かし、その契約書に隠された巧妙な「罠」とその「抜け穴」を完璧に解説してみせた。
シルヴィアはそのメイドとは思えない私の鋭い知性に、驚きに目を見開いていた。
「……すごい。あなた、一体何者なの?」
「ただのお節介焼きなメイドですわ」
私はそう言って、にこりと微笑んだ。
このささやかな「貸し借り」をきっかけに、私たち三人の間には、これまでになかった穏やかな空気が流れ始めた。
シルヴィア様は、セレスティーナ様を「不吉な銀髪の令嬢」としてではなく、一人の気高く、そして不器用な友人として見てくれるようになったのだ。
そして彼女は、私たちが論文会でライネスティア家と戦っていることを知り、自らが持つ特別な「情報」で私たちを助けることを決意してくれた。
「ヴァイスハルト嬢、リリアさん。ライネスティア家が公式の記録を独占しているのであれば、あなたたちは別の場所から真実を探すしかありませんわ」
彼女は、私たちを中庭の一番奥まった場所へと連れ出した。
「我がドルヴァーン家には、文字の記録には残らない、精霊との契約を通じて、代々の当主の間にのみ口伝で伝えられてきた歴史の断片がございますの」
私は息を呑んだ。
「もし、あなたたちが本当に歴史の真実を求めているというのなら。私たちのその『おとぎ話』が、何かお役に立てるかもしれませんわ」
それは、まさに天からの助けのようだった。
私たちが閉ざされた扉の前で途方に暮れていた、その時に。
彼女は誰も知らない秘密の「窓」のありかを、そっと教えてくれたのだ。




