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第三十九話:傷跡と、雪解けの庭

 私がアンナ先輩の凶刃に倒れてから数週間が過ぎた。


 背中に残った火傷の痕は侍女頭が手配してくれた最高級の軟膏のおかげで、今では衣類に隠れる淡い傷跡として残るだけになっていた。時折鈍く痛むその傷は、私が我が君マイロードを守り抜いた甘く、そして秘密の証。


 あの日を境に私の日常は完全に変わった。


 私は名実ともにセレスティーナ様の「専属メイド」となり、彼女の私室に隣接する日当たりの良い部屋を与えられた。一日中彼女の側に侍り、その身の回りの世話をすることが私の唯一の仕事となったのだ。


 そして何よりも変わったのはセレスティーナ様ご本人だった。


 屋敷内の裏切り者がいなくなり、彼女を蝕んでいた見えない毒の脅威が去ってから、彼女の体調は驚くほど安定していた。長年彼女を悩ませてきた原因不明の倦怠感や頭痛は、嘘のようにぴたりと止んだ。


 その変化は彼女の纏う氷のような空気を少しずつ、春の陽光のように溶かし始めていた。


 穏やかな春の午後。


 私とセレスティーナ様は二人きりで、中庭の奥にある白い薔薇が咲き誇るテラスにいた。


 彼女は肘掛け椅子に深く腰掛け、静かに本を読んでいる。風が彼女の銀色の髪を優しく揺らす。そのあまりに美しい光景に、私の心臓がまたいけない音を立てる。


(ダメだ、ダメだ…。私は守護者。ただの影…)


 私が内心で必死に邪念を振り払っていると、セレスティーナ様はふと読んでいた本をパタンと閉じた。


「…この恋愛小説、あまり面白くないわね」


「そうでございますか?」


「ええ。登場人物の行動がいちいち回りくどい。…リリア、あなたならこの物語をどう終わらせる?」


 それはあの書斎での最初の日のことを思い出させるような唐突な問いかけだった。


 だがあの時のような氷の圧迫感はない。ただ純粋な好奇心。


 私は少しだけ戸惑いながらも真剣に答えた。


「…私でしたら回りくどい駆け引きなどやめて、主人公が素直に相手に『好きだ』と告白させます。伝えなければ何も始まりませんから」


「…ふん。あなたらしい、単純で馬鹿正直な答えね」


 セレスティーナ様はそう言って鼻で笑った。


 だがその月白色の瞳はとても、とても優しく細められていた。いつも厳しい意志を宿して結ばれている唇の端が、ほんの僅かに緩んでいる。それは他の誰にも見せない、私だけが知っている彼女の本当の微笑みだった。


 そのあまりに無防備な表情に私の心は喜びと、そして甘い痛みでいっぱいになる。


 甘い幻想は一人の使者の硬い靴音によって打ち砕かれた。


 侍女頭がいつになく厳しい顔でテラスへとやってくる。


「お嬢様! 王都より緊急の使者が!」


 侍女頭が銀の盆に載せて差し出したのは、王家の紋章が物々しい封蝋で押された一通の手紙だった。


 それを受け取り読んだ瞬間。


 セレスティーナ様の顔から血の気がサッと引いていく。


 春の陽光の下で、ほんの少し雪解けを始めていた美しい氷の薔薇が。


 瞬時に再び誰の熱も通さない絶対零度の氷の仮面で覆われていくのを、私はただ見ていた。


 私の幸せな時間は終わった。


 嵐がまたやってくる。


 氷の仮面を被った私のたった一人の女王様。


 その隣に私は音もなく立った。

 

 彼女の影として。


 そして来るべき嵐に立ち向かうただ一本の剣となるために。

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