第三十話:狩人の決意と、最初の問い
暖炉の灰に仕込まれた、見えない毒。
あの一件以来、私の心にあった、かすかな希望や、感傷は、全て消え失せていた。
私の作り上げた「完璧な城」は、脆くも崩れ去った。私がいくら飲食物を管理しようと、敵は、私の想像の及ばない、より巧妙で、陰湿な手で、我が君の命を蝕んでくる。
セレスティーナ様が眠るベッドの傍で、私は、固く、拳を握りしめていた。
薬によって、ようやく穏やかな寝息を立てているが、その顔色は、まだ青白いままだ。
私の警護は、完璧ではなかった。その事実が、燃える鉄のように、私の胸を焼く。
(待っているだけでは、ダメだ)
これまでは、敵の攻撃を、後手後手で、必死に防いできた。
だが、それも、もう限界だ。
いつか必ず、取り返しのつかない事態が起きる。私の知らないところで、我が君は、静かに、命を削られていく。
(守っているだけでは、勝てない)
その夜。私は、生まれ変わることを決意した。
もう、ただの心優しいメイドではない。ただの、忠実なファンでもない。
私は、我が君の命を脅かす、全ての害虫を駆除する、冷徹な「狩人」だ。
セレスティーナ様の容態が落ち着いたのを見届けると、私は自室に戻り、ロウソクの灯りの下、一枚の真新しい羊皮紙を広げた。
そして、そこに、屋敷の使用人全員の名前を、記憶の限り、書き出していく。
侍女頭、料理長。
チェンバーメイドの、アンナ先輩、マリー先輩。
スティルルームメイドの、エマ。
キッチンメイドの、セラ先輩。
顔と名前が一致する、侍女たちだけでも、十数人。
それだけじゃない。
毎日、屋敷に出入りする、庭師たち。
厩舎で働く、馬丁たち。
廊下を巡回する、衛兵たち。
そして、私がまだ知らない、数多くの使用人たち。
リストは、あっという間に、五十を超える名前で埋め尽くされた。
私は、そのリストを前に、呆然とする。
(この中の、誰が…?)
この中の誰かが、あの優しい料理長の目を盗み、セラ先輩が扱う食材に、細工をしたのかもしれない。
この中の誰かが、アンナ先輩やマリー先輩になりすまし、あるいは彼女たちを騙して、セレスティーナ様の部屋に、毒を仕込んだのかもしれない。
あるいは、複数の共犯者がいるのかもしれない。
疑い始めれば、キリがない。誰もが、犯人に見えてくる。
闇雲に罠を仕掛けるのは、無謀だ。
私は、この広大な容疑者の海の中から、「真の標的」を、自らの手で絞り込む必要があった。
狩人は、ただ、森を彷徨い、偶然、獲物に出会うのを待ったりはしない。
狩人は、まず、地面に残された、確かな「痕跡」を探すのだ。
折れた枝、乱れた土、そして、獲物が残した、微かな匂いを。
私の脳裏に、あの、埃っぽい記録保管室の光景が、よぎった。
(そうだ…)
私の調査は、まだ、終わっていない。
敵の正体にたどり着くための「痕跡」は、きっと、過去の記録の中に、まだ、眠っているはずだ。
「どこから、手をつければいいのか?」
その、最初の問いに、私は、ようやく、答えを見つけた。
私の本当の戦いは、この屋敷の廊下ではなく、インクと羊皮紙の海の中で、始まるのだ。
私は、ロウソクの灯りを頼りに、再び、あの地下の記録保管室へと、向かう決意を固めた。




