第二十八話:氷の薔薇の、小さな雪解け
「専属給仕係」という、前代未聞の役職が誕生してから、数週間が過ぎた。
私の日常は、かつてないほどの緊張と、そして、充実感に満ちていた。
私の作り上げた、完璧な警護体制。それは、セレスティーナ様が口にする、一杯の紅茶から始まった。
朝、スティルルームメイドのエマから、その日に使う最高級の茶葉を、私が直接受け取る。その場で、香り、色、手触りの全てを、過去の記録と照らし合わせ、異常がないかを完璧にチェックする。
厨房から運ばせるのは、湯を沸かすための、封をされた真水だけ。
そして、私専用となった準備室で、私だけが使う専用の銀のポットで、私が自ら、お茶を淹れる。
他のメイドは、誰一人として、その工程に触れることはできない。
この完璧な城の効果は、すぐに現れた。
セレスティーナ様を長年悩ませてきた、原因不明の倦怠感や、軽い頭痛は、嘘のようにぴたりと止んだ。彼女の顔色も、目に見えて良くなり、その氷のような頬に、ほんのりと血の気が戻ってきた。
私は、その変化を、ただただ、純粋な喜びとして受け止めていた。我が君の本来の健康を取り戻せた、という、ささやかな達成感と共に。
(やはり、これまでの誰かが淹れたお茶には、何かが盛られていたんだわ…!)
体調が安定したことで、セレスティーナ様の心にも、僅かな、しかし確かな影響を与えていた。
ある日の午後。書斎で、二人きりの時。
セレスティーナ様は、ふと、読んでいた本から顔を上げた。
「…リリア」
「はい、お嬢様」
「あなたのおかげで、最近、とても、調子が良いわ」
それは、彼女が、初めて私に見せた、素直な感謝の言葉だった。
氷の薔薇の、ほんの僅かな、雪解け。
私の心は、それだけで、天にも昇るような喜びに満たされた。
「滅相もございません! それもこれも、お嬢様ご自身の、生命力の賜物でございます!」
「…そうかしら」
彼女は、静かにカップに口をつけると、こう続けた。
「もう、ずいぶんと長い間、忘れていた感覚よ。頭に、霧がかかっていない、この感じは」
その言葉に、私は、胸が締め付けられるような、甘い痛みを感じた。
私が側にいると、彼女は、どこか、心が安らぐように見える。その事実に、私の愚かな心は、これ以上ないほどの幸福を感じてしまうのだ。
(この時間が、ずっと続けばいい…)
私は、本気で、そう願い始めていた。
犯人探しなど、もう、どうでもいい。ただ、こうして、私が完璧な城で、彼女を守り続けられるのなら。
それだけで、十分すぎるほど、幸せだった。
だが、もちろん、敵が、そんなささやかな幸福を、許してくれるはずもなかった。
リリアは、この時、まだ知らない。
彼女の作り上げた「完璧な城」には、彼女自身が、まだ気づいていない、たった一つの、致命的な「抜け穴」が存在することを。
そして、見えない敵の牙が、その抜け穴から、静かに、そして確実に、我が君の喉元へと、迫っていることを。
偽りの平穏は、もうすぐ、終わりを告げようとしていた。




