第二十六話:奉仕の鎖と、侍女たちの壁
記録保管室での発見は、私の心に、一つの重い確信を刻みつけた。
ウィルクス商会。先代公爵。そして、復讐。
敵の輪郭は、まだぼやけている。だが、その悪意が、確かに、セレスティーナ様に向けられていることだけは、疑いようもなかった。
(私が、守らなければ)
その日から、私の警護体制は、完璧を期した。
専属メイドという立場を最大限に利用し、私は、セレスティーナ様が口にするもの、その全てに、神経を張り巡らせた。朝食のパンから、夕食のスープまで。その全てを、毒見役として、私が先に口にする。
だが、私の心には、拭いがたい不安が、常に、暗い影を落としていた。
本当の脅威は、もっと、巧妙な形で、忍び寄ってくるのではないか、と。
その不安が、現実のものだと知ったのは、ある日の朝のことだった。
私は、セレスティーナ様にお出しする、朝のお茶の準備の様子を、遠巻きに観察していた。
私が仕えるヴァイスハルト公爵家は、王国内でも屈指の名門だ。
その屋敷で働くメイドの仕事は、驚くほど、細かく専門化されている。
一杯のお茶が、セレスティーナ様の元に届くまでには、いくつもの、人の手を経なければならない。
まず、屋敷の東棟にあるスティルルーム(製茶室)。
そこで、スティルルームメイド(製茶係)のエマが、薬草図鑑と首っ引きになりながら、セレスティーナ様の体調に合わせ、数種類の茶葉を、天秤で正確に計量し、調合する。彼女は、茶葉の専門家だ。
次に、その調合された茶葉が、巨大な厨房へと運ばれる。
そこで、キッチンメイドのセラ先輩が、料理長に指定された温度の湯を沸かし、銀のポットへと注ぎ入れる。彼女は、調理の専門家だ。
そして、最後に。
そのポットが、セレスティーナ様の私室に近い、小さな給仕室へと運ばれ、担当のチェンバーメイド(寝係)…例えば、マリー先輩のような、主の身の回りを専門とするメイドが、それをカップに注ぎ、お出しする。
スティルルームメイド、キッチンメイド、チェンバーメイド。
この、完璧に分業された「奉仕の鎖」。それは、家の格式を示すと同時に、一つの工程を一人に任せきりにしないことで、ミスや不正を防ぐための、先人の知恵でもあった。
だが、今の私には、その伝統が、恐ろしく、そして、絶望的な「壁」にしか見えなかった。
(ダメだ。これでは、防ぎきれない)
私は、この鎖の、どこにでも、毒を仕込むことができる。
スティルルームで、茶葉そのものに。
厨房で、沸かす水の中に。
そして、給仕する、最後の瞬間に。
私が監視できるのは、そのうちの、ほんの一部だけ。これでは、私がいくら目を光らせても、いずれ、必ず、見えないところで、致命的な一撃を加えられてしまう。
このシステム自体が、犯人にとっては、好都合な隠れ蓑になっているのだ。
その日の午後。セレスティーナ様の私室で、お茶を飲む彼女の横顔を、私は、これまでとは違う、焦燥の念で見つめていた。
彼女は、私のそんな視線に気づいたのか、ふと、カップを置いた。
「…何よ、リリア。あなた、今日、ずっと、難しい顔をしているわね」
「いえ、滅相もございません。ただ、あなた様のあまりの美しさに、この世の理不尽を呪っておりました」
「…そう。あなた、やはり、少し、頭がおかしいのね」
セレスティーナ様は、呆れたようにそう言うと、また、静かにお茶を飲み始めた。
その、穏やかな光景を守るために。
私は、一つの、あまりに無謀で、この屋敷の伝統そのものに、喧嘩を売るような、とんでもない計画を、思いついてしまった。
(この「鎖」を、断ち切るしかない)
全ての工程を、この私が、掌握する。
そのためには、セレスティーナ様に、直訴するしか、道はない。
私の、孤独で、そして、無謀な決意が、固まった瞬間だった。




