第二十五話 : 記録保管室の古い傷跡
専属メイドという役職は、私の孤独な調査活動にとって、まさに虎に翼だった。
これまで言い訳を考えなければ入れなかった厨房にも、薬草管理室にも、そして、何よりセレスティーナ様の書斎にも、私は「お嬢様のお言いつけです」という魔法の言葉一つで、自由に出入りできるようになったのだ。
だが、私が本当に求めている情報は、そこにはなかった。
敵の根が、先代公爵の代にあるのなら、探すべきは、もっと古い、この屋敷の記憶そのものだ。
私は、ある日の午後、セレスティーナ様にお伺いを立てた。
「お嬢様。メイドとしての見聞を広めるため、屋敷の記録保管室へ、立ち入る許可をいただけませんでしょうか」
「記録保管室? …また、何を企んでいるの」
「いえ! ただ、ヴァイスハルト家の偉大な歴史を学び、我が君にお仕えする者としての、見識を深めたいと、純粋に!」
私が、キラキラした(つもりの)瞳で訴えると、セレスティーナ様は、深いため息を一つついた。
「…好きになさい。ただし、仕事に支障はきたさないように。それと、埃をかぶって戻ってこないでちょうだい」
「ありがとうございます!」
こうして、私は、公的な立ち入り許可を得て、屋敷の地下にある、広大な記録保管室へと足を踏み入れた。
ひんやりとした空気と、古い羊皮紙の匂い。そこは、ヴァイスハルト公爵家の歴史が眠る、巨大な迷宮だった。
(前世の司法試験の勉強より、気が遠くなる…)
途方もない量の資料を前に、一瞬、心が折れそうになる。
だが、私の脳裏に、あの虚ろな瞳のビジョンがよぎった。
(…我が君のためなら!)
私は、気合を入れ直し、調査を開始した。
何日にもわたる、地道な作業。昼間は専属メイドとして完璧な奉仕をこなし、夜は、ロウソクの灯りだけを頼りに、この記録の海を泳ぎ続けた。
私は、まず「先代公爵の治世」の棚を探し出し、特に「商業改革」に関する記録を、重点的に調べていく。
そして、ついに、一つのファイルを見つけ出した。
タイトルは『新規商業組合の設立と、既存組合との調停記録』。
そこには、生々しい権力闘争の記録が残されていた。先代公爵が、新しい技術を持つ新興商人たちを保護するために、古い慣習にしがみつく既存の商人組合――その組合長こそ、ウィルクス商会の代表と、血縁の深い人物だった――の力を、徹底的に削ごうとしていたのだ。
記録の端々には、調停に敗れた商人組合側の、呪詛のような恨み言が記されていた。
やはり、動機は「復讐」なのか。
そう思いながら、さらに調査を進めた私は、もう一つ、決定的なファイルを発見した。
『ウィルクス商会に対する、公爵家からの貸付金・焦げ付きに関する報告書』
先代公爵は、改革に最後まで抵抗したウィルクス商会への締め付けを強化し、結果的に、彼らを倒産寸前まで追い込んでいた。
だが、その直後の記録が、あまりに不可解だった。
報告書の最後は、こう締めくくられている。
『――上記貸付金については、回収不能と判断。ヴァイスハルト家の損失として、処理するものとする』
(おかしい…!)
あれほど徹底的に敵対していたはずの相手を、なぜ、最後に見逃した? 巨額の貸付金を、なぜ、いとも簡単に帳消しにしたんだ?
そして、この記録と時を同じくして、ウィルクス商会は、どこからか得た謎の資金で、奇跡的な復活を遂げている。
公的な記録は、ここで途絶えていた。
私は、ロウソクの炎に照らされた書面の上で、指を組んだ。
前世で培った、わずかな法律知識と、推理能力が、一つの、恐ろしい仮説を導き出す。
(先代公爵は、ウィルクス商会に、何か『弱み』を握られていたんじゃないか…?)
金の流れを、公的な記録に残せないほどの、致命的な弱み。
そして、その「弱み」こそが。
(……セレスティーナ様の、魔力の秘密に、繋がるのでは…)
だとしたら、敵の動機は、単なる「復讐」だけではない。
ウィルクス商会は、今も、ヴァイスハルト家の秘密を握り、それを盾に、何かを要求しているのかもしれない。そして、その秘密の全てを知る、セレスティーナ様の存在そのものが、彼らにとっては邪魔なのだ。
謎の核心に、また一歩、近づいてしまった。
だが、それは同時に、我が君の、最も触れられたくないであろう、心の傷に触れることでもある。
私は、複雑な思いを抱えたまま、記録保管室の冷たい闇の中で、一人、立ち尽くしていた。




