第十九話:氷の令嬢の、不可解な天秤
屋敷へと戻る馬車の中は、息が詰まるほどの沈黙に支配されていた。
私の腕は、議会場を出てからずっと、セレスティーナ様に掴まれたままだった。華奢な指。でも、その力は、絶対に離さないという、強い意志を物語っている。
触れられた場所から、心臓が、直接熱を吸い上げているように、うるさく脈打っていた。
「あ、あの、お嬢様……」
私は、意を決して、口を開いた。
「なぜ、あのような、嘘を…」
「嘘ではないわ」
セレスティーナ様は、窓の外に流れる景色を見つめたまま、きっぱりと答えた。
「言ったはずよ。あれは、私が出した指示だと。異論は、認めない」
それきり、会話はなかった。
彼女の真意は、全く読めない。ただ、その有無を言わせぬ横顔は、私がこれまで見てきた、どの彼女よりも、強く、そして、どこか寂しげに見えた。
屋敷に戻ると、私は、そのままセレスティーナ様の私室へと連れていかれた。
侍女頭や他のメイドたちが、心配と非難の入り混じった視線を向けてくるが、セレスティーナ様は、それを一瞥で黙らせる。
扉が閉まり、部屋に二人きりになると、彼女は、初めて私に、真っ直ぐ向き直った。
「さて、リリア。言いなさい」
「……」
「本当のことを。なぜ、あのような真似をしたの?」
その月白色の瞳は、全てを見透かすように、私の心の奥底を覗き込んでくる。
未来が見える、なんて。あなた様が、命を狙われている、なんて。
そんなこと、言えるはずがない。
私は、必死に、当たり障りのない言い訳を探した。
「お、お嬢様のご体調が、優れないように見受けられましたので…。少しでも、お休みいただきたくて、その、つい、取り乱してしまい……」
「……そう」
セレスティーナ様は、私の苦しい言い訳を、信じてはいないようだった。
彼女は、深いため息を一つつくと、ふい、と私から視線を外した。
「……あなたの言うことは、支離滅裂で、全く意味が分からないわ」
その言葉に、私の心臓が、ぎゅっと縮こまる。
「ですが」
彼女は、続けた。
「あなたのその、意味不明な行動が、結果的に、私にとって不利益にならなかったことだけは、事実よ」
セレスティーナ様は、もう一度、私に向き直る。
そして、予想だにしなかった言葉を、告げた。
「あなたは、あまりに危険で、不可解すぎる。私の目の届かないところに置いておくわけにはいかないわ」
「……え?」
「侍女頭には、私から話しておく。今後、あなたの仕事は、私の身の回りの世話だけに限定します。他の仕事は、一切しなくていい」
それは、事実上の「専属メイド」への任命だった。
ただし、その理由は、信頼からではない。全く逆だ。
(私が、専属メイド…? 我が君の側に、ずっと…!?)
罰せられるどころか、これまで以上に、セレスティーナ様の側にいられる。その事実に、私の心は、歓喜に打ち震えた。
だが、同時に、気づいてしまう。
彼女に近づけば近づくほど、彼女の命を守りやすくなる。でも、この、日に日に厄介になっていく恋心を、隠し通すのが、ますます困難になるということに。
歓喜と、絶望。その二つの感情が、私の中で、ぐちゃぐちゃに混ざり合った。
その夜。私は、自室のベッドの上で、今日見た、「ウィルクス商会」の代表の、あの男の顔を思い出していた。
あの苛立ちの表情。彼が、実行犯の一人であることは、間違いない。
でも、彼一人でできることじゃない。背後には、もっと大きな何かがいるはずだ。
(どうすれば、その正体にたどり着ける…?)
そこで、私は、ハッと気づいた。
専属メイドになった、ということは。
私は、あの、膨大な知識の宝庫である、セレスティーナ様の書斎を、これまでよりも、ずっと自由に出入りできるようになったのだ。
「我が君の側にいられる。それは、我が君の持つ情報に、もっと近づけるということ…!」
私の目に、新たな光が宿る。
監視?結構じゃないか。危険?上等だ。
私は、この新たな役職という武器を、最大限に利用させてもらう。
「待ってなさい。あなたの正体、必ず、暴いてみせる」
私の孤独な戦いは、今日、新たなステージの幕を開けた。
その先に、どんな運命が待っているのかも知らずに。




