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第十八話:史上最悪のクシャミ

 セレスティーナ様が、報告のために、演台へと一歩、足を踏み出そうとしている。

 ふらつく体を、気力だけで支えているのが、私には分かった。

 ダメだ。このままでは、我が君が、全ての貴族たちの前で、倒れてしまう。


 私は、全ての覚悟を決めた。

 メイド服のポケットに忍ばせていた、小さな布袋を、誰にも気づかれないよう、そっと自分の鼻先に近づける。

 中身は、厨房から拝借してきた、乾燥唐辛子の粉末。気化した毒には、もっと強烈な刺激を。


(我が君、お許しください。この、不敬の極みを)


 私は、思い切り、その刺激物を吸い込んだ。

 一瞬の間。

 そして、私の体は、生理的な限界を超えた衝動に、支配された。


「へ、へ、へ……ハックションッ!!!!!」


 およそ淑女とは思えない、いや、人間とは思えないほどの、盛大で、破壊的なクシャミが、静まり返った議会場に、轟音となって響き渡った。

 だが、地獄はそれで終わらない。


「ヘックション! ぶぇっくしょい!!!」


 二発、三発と、もはやクシャミというより、何かの爆発に近い音が、連続して炸裂する。涙と鼻水で、私の顔はぐしゃぐしゃだ。視界が、滲んで、何も見えない。


 静粛であるべき議会場は、一瞬にして、大混乱に陥った。

 貴族たちは、何事かと眉をひそめ、あるいは、そのあまりの下品な様に、堪えきれずに失笑している。

 議長の顔が、怒りで真っ赤に染まっていくのが、滲んだ視界の中でも分かった。


「な、何事だ! あの無礼なメイドをつまみ出せ! 今すぐだ!」


 議長の怒号を受け、衛兵たちが、私に駆け寄ってくる。

 その騒ぎで、当然、議会は一時中断。セレスティーナ様の報告も、立ち消えとなった。

 私の目的は、達成されたのだ。史上最悪の形で。


 衛兵に取り押さえられながら、私は、ぐしゃぐしゃの顔を上げた。

 そして、涙で滲む視界の片隅で、決して、見逃しはしなかった。


 貴族席の一角に座る、ある一人の男が。

 顔に「計画が台無しになった」とでも言いたげな、一瞬の、しかし、底なしに冷たい苛立ちを浮かべて、すぐに無表情に戻るのを。

 その男こそ、あの納品書に名前があった、**「ウィルクス商会」の代表**。商人組合長と親戚関係にある、小太りの男だった。


(……見つけた)


 私は、ぐしゃぐしゃの顔のまま、内心で、確かに笑っていた。

 あなたの顔は、覚えたわよ、と。


 議会は、前代未聞の不祥事により、一時休憩となった。

 私は、衛兵に両腕を掴まれ、別室へと連行される。そこで待っていたのは、鬼の形相の侍女頭だった。


「あなたは、ヴァイスハルト家の、いえ、この国の貴族全ての顔に、泥を塗ったのですよ! もはや、打ち首になっても、文句は言えませんからね!」


 私は、全ての罪を覚悟した。

 だが、我が君を守れたのだ。後悔は、ない。


 その、張り詰めた空気の中、静かに、扉が開いた。

 入ってきたのは、セレスティーナ様、ご本人だった。彼女の顔色はまだ少し悪いが、その足取りは、議会場にいた時よりも、ずっとしっかりしているように見えた。

 彼女は、私の前に立つと、衛兵と侍女頭に、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。


「その者を、放しなさい」

「し、しかし、お嬢様!」

「このメイドは、私の指示で、私の体調不良を外部に知らせるための『合図』を送っただけです。やり方は、この上なく愚かでしたが。全ての責任は、指示を出した私にあります」


 侍女頭も、衛兵も、そして、私自身も。その場にいた全員が、彼女の言葉に、絶句した。

 ありえない。そんな指示、あるはずがない。

 なぜ、こんな、見え透いた嘘までついて。


 セレスティーナ様は、呆然とする私の腕を、強い力で掴んだ。


「帰るわよ、リリア」


 そして、私の耳元でだけ聞こえるように、こう囁いた。


「……全く、あなたというメイドは、本当に、一瞬でも目を離すと、ろくなことをしないのだから」


 その言葉は、叱責のようでいて、なぜか。

 もう二度と、自分の側から離さない、という、強い意志が込められているように、私には聞こえた。


 なぜ、彼女は、また私を庇うのか。

 深まる謎と、掴んだばかりの犯人の尻尾。

 私は、セレスティーナ様に腕を引かれるまま、混乱の中で、議会場を後にするのだった。

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