第十六話:孤独な分析と、決戦前夜
自室に戻った私は、ロウソクの心もとない灯りだけを頼りに、夜が更けるのも忘れて机に向かっていた。
目の前には、私が厨房から盗み見て、書き写してきた「食事記録」と「納品書」の情報。そして、屋敷の書斎で読んだ、商人たちの関係を記したメモ。
これだけが、私の武器だった。
(料理長の記録は、愛情に満ちていた。でも、それすらも、私の目を欺くための偽装かもしれない…)
一度芽生えた疑念は、そう簡単には消えてくれない。
私は、誰のことも信じないと決めた。信じられるのは、そこに書かれた、客観的な事実とデータだけだ。
前世で、私が最も得意とし、そして、最後には裏切られたものでもある。
昼間は、これまで以上に完璧なメイドとして、セレスティーナ様にお仕えした。
定例報告会の準備で多忙を極める彼女の側で、資料を揃え、お茶を淹れ、時には凝り固まった肩を揉む。
二人きりの書斎。静かな時間。
ふと、報告書の草稿を読み上げるセレスティーナ様の、真剣な横顔を見てしまい、私の心臓が、また、いけない音を立てる。
(いかん、いかん! 邪念、退散! 我が君の美声に聞き惚れている場合ではない!)
私は、ぶんぶんと首を振って、思考を霧散させた。
そんな私の奇妙な挙動を、セレスティーナ様は、また、不可解なものを見るような目で、じっと見つめている。その視線が、私の罪悪感を抉った。
そして、夜。
皆が眠りにつくと、私は、孤独な調査員へと姿を変えた。
昼間の仕事で疲れた体に鞭打ち、膨大な記録の海を泳ぐ。点と点の情報を、一本の線で結ぶために。
そんな二重生活が数日続いた、ある夜更け。
ついに、私は、見つけ出した。
これまでバラバラに見えていた情報の中から、恐ろしい法則性を。
第一に、「ウィルクス商会」から、あの香辛料が不自然な形で納品される。
第二に、その数日後、セレスティーナ様の食事に、その香辛料が、隠し味としてごく微量だけ使われる。
第三に、その直後、セレスティーナ様は、決まって原因不明の倦怠感や、軽い頭痛を訴える。
そして、第四に。この一連の流れは、必ず**「王都で大きな式典や夜会が開かれる直前」**に、寸分の狂いもなく起きている。
間違いない。
敵の目的は、セレスティーナ様を、公の場で失態を演じさせることだ。
私は、壁にかけてある宮廷カレンダーに目を走らせた。
「次の大きなイベントは……明日の、貴族議会の定例報告会…!」
敵の次の攻撃が、いつ、どこで行われるか。
その標的を、私は、ついに特定することができたのだ。
報告会の前夜。
セレスティーナ様は、全ての準備を終え、緊張と疲労の色を浮かべながら、書斎の椅子に深く腰掛けていた。
私は、彼女に、安眠効果のあるハーブティーを淹れる。もちろん、茶葉から水、カップに至るまで、全てを完璧にチェック済みの、安全な一杯だ。
「…リリア」
「はい、我が君」
「明日は、重要な日よ。あなたも、私の側を離れないように」
その言葉が、信頼の証なのか、それとも、ただの監視命令なのか。
今の私には、もうどちらでもよかった。
ただ、側にいられる。守ることができる。その事実だけで、十分だった。
「はい。この身に代えましても」
私は、心からの忠誠を込めて、そう答えた。
セレスティーナ様が眠りについた後、私は、静かに彼女の部屋を出る。その手には、自らの手で作り上げた、敵の行動パターンと、次の計画を記したメモを、強く握りしめていた。
(明日、あなたが何かを仕掛けてくるのなら、必ず、その尻尾を掴んでみせる。我が君の輝かしい舞台を、塵一つなく、完璧なものにしてみせる!)
誰にも言えない秘密の任務。
それは、見方を変えれば、この世界でただ一人、私だけが拝命した、最も名誉ある役職だ。
そう思うと、恐怖よりも、武者震いにも似た高揚感が、私の体を満たしていく。
「待ってなさい、犯人さん。あなたのお遊戯は、明日で終わりよ」
決戦の朝は、もうすぐそこまで迫っていた。




