第十五話:厨房の疑惑と、盗み見た記録
厨房は、今や私の第二の戦場となった。
毒見役を拝命した私は、朝昼晩、全ての食事の調理過程に、鷹のような目で光を放っていた。納品される食材は、野菜の葉一枚、小麦粉の一粒に至るまで、私の厳しい(そして奇妙な)チェックを受けなければならない。
ある日の昼食。
その日のメインディッシュは、具沢山のクリームシチューだった。私がまず一口、銀の匙で口に運ぶ。
味は、完璧だ。美味しい。毒の気配も、ない。
……ない、はずなのに。
舌の奥に、ほんの、ほんの僅かな違和感。あの「香辛料」が、隠し味として、意図的に少量だけ使われている。ビジョンは見えない。だが、私の直感が、警鐘を鳴らしていた。
(……やるしかない!)
私は、お腹を押さえて、その場にうずくまった。
「うっ……! お、お腹が……! こ、このシチュー、もしや…!」
渾身の、大根役者。厨房に激震が走り、セレスティーナ様は、私が苦しむ姿を見て、眉をひそめながらも、シチューの皿を遠ざけた。
もちろん、その後、私は侍女頭から大目玉を食らった。だが、目的は達成された。我が君は、今日も、ご無事だ。
しかし、私の心には、新たな疑念が芽生えていた。
(なぜ、あの微量の香辛料が…? 料理長の、単純なミスか? それとも…)
あの無口で、職人肌の料理長。セレスティーナ様に長年仕え、その忠誠心は誰もが知るところだ。だが、それ故に、彼女の秘密を知り、裏切ることも可能なのではないか。
(ダメだ。誰も信じてはいけない)
私の心は、ますます孤独の殻に閉じこもっていく。
その夜。私は、一つの決意を固めた。
確かな情報が欲しい。私は、黒い猫のように音を殺し、深夜、誰もいない厨房へと忍び込んだ。
目的は、料理長がつけているという噂の「食事記録」と「納品書」。
月明かりだけを頼りに、料理長の机の引き出しを探る。あった。鍵のかかった、一冊の古いノート。私は、懐から裁縫用の小さな針金を取り出し、前世で犯罪映画を見て覚えた付け焼き刃の知識で、震える手で鍵をこじ開けた。
ノートをめくると、私の心は、激しく揺さぶられた。
そこには、何十年にもわたる、セレスティーナ様への、朴訥だが深い愛情と気遣いが、びっしりと詰まっていたのだ。
彼女が幼い頃、好き嫌いをなくそうと工夫したレシピ。体調を崩した日に、滋養のあるスープを作った記録。その文字の一つ一つが、彼の忠誠心を物語っていた。
(この記録を見る限り、料理長が犯人だとは思えない…。でも…)
万が一、ということもある。私は、疑いを捨てきれなかった。
次に、納品書の束を調べる。そして、私は、見つけた。
数十枚の納品書の中に、たった一枚だけ、インクの滲み方や、羊皮紙の質が、僅かに違うものを。
「……ウィルクス商会」
その名前を、私は記憶していた。
急いで、食事記録と納品書の重要な部分を、持参した紙に書き写す。心臓が、早鐘のように鳴っている。誰かに見つかる前に、早く。
全ての作業を終え、何事もなかったかのようにノートと書類を元の場所に戻す。
誰にも見つかることなく、無事に厨房を後にした私の手には、新たな疑惑の種と、そして、誰の助けも借りられないという、絶対的な孤独だけが残されていた。




