第十四話:毒見役と、見えざる一手
私の「我が君・要塞化計画」は、翌日から本格的に始動した。
「リリア! あなた、お嬢様のスープに、何を入れているのですか!」
「これは銀の匙です、侍女頭! 古来より、毒を検知すると言われている、由緒正しき防衛策でございます!」
「そんなものは、聞いたこともありません!」
「リリア! なぜお嬢様の寝室の前に、石ころを並べているのですか!」
「これは、結界です、アンナ先輩! 邪悪なものが、この聖域に侵入するのを防ぐための!」
「ただの庭石じゃないの、これ!」
食事の前には、怪しげな祈りの言葉を捧げて「浄化」を試み、入浴の際には、湯船の周りに護身用の石(ただの庭石)を並べた。夜になれば、ベッドの下に潜り込み、「刺客がいないか最終確認を!」と主張しては、侍女頭に文字通り、足を引きずり出される。
私の評判は、もはや地に落ちた、というより、地核を突き抜けてマントルに達していた。屋敷のメイドたちは、私のことを「公爵家の呪われたメイド」と呼び、本気で恐れるようになった。
そんな奇行の数々を、セレスティーナ様は、ただ、静かに観察していた。
あの日、窓に板を打ち付けられた時こそ、本気で頭がおかしくなったのか、という顔をしていたが、それ以降は、怒りも、呆れも、通り越してしまったようだった。
事件から一週間ほど経った、ある日のこと。
私は、セレスティーナ様に呼び出された。
「あなたの奇行にも、そろそろ我慢の限界よ」
ついに来たか。私は、固唾を飲んで、次の言葉を待った。解雇の二文字が、脳裏をよぎる。
「ですが、その異常なまでの警戒心…ある意味、護衛としては役に立つのかもしれないわね」
「……へ?」
「明日から、あなたは私の『毒見役』を兼任なさい」
毒見役。それは、主が口にするもの全てに、先に口をつけ、その身をもって安全を確かめる、極めて重要な役職だ。一介のメイド、それも問題行動ばかり起こしている新人が命じられるなど、前代未聞だった。
(な、なぜ…?)
私の混乱をよそに、セレスティーナ様は、淡々と続ける。
「あなたなら、喜んで毒を飲むでしょう? 私のために」
「……っ!」
「もちろん、これは命令よ。拒否は、許さないわ」
その瞳は、私の忠誠心を試すようでもあり、あるいは、私の奇行の真意を、その命がけの役職をもって測ろうとしているようでもあった。
だが、そんな彼女の真意など、今の私には関係ない。
(我が君の毒を、この私が、一身に受けられる…!? なんという名誉! なんという至上の喜び!)
私は、感動に打ち震えながら、その場で深く、深く跪いた。
「はい、我が君! このリリア、命に代えましても、あなた様をお守りいたします!」
「…そう。期待しているわ」
こうして、私は「毒見役」という、新たな大役を拝命した。
厨房への出入りが、これまで以上に頻繁になる。そこで、私は、一人の人物と接する機会が増えた。
無口で、職人肌の、白髪の料理長だ。セレスティーナ様が幼い頃から、ずっと彼女の食事を作り続けてきたという、屋敷の古株である。
最初、料理長は、私の奇行――全ての食材の匂いを嗅ぎ、銀の匙を突っ込もうとする――に、眉をひそめていた。だが、私がセレスティーナ様の好き嫌いや、その日の体調に合わせた味付けを、的確に指示するようになってから、少しだけ、その態度を和らげたように見えた。
ある日、私が夕食の食材をチェックしていると、料理長が、独り言のようにポツリと呟いた。
「…妙なんだ」
「何が、でございますか?」
「お嬢様は、昔から、特定の香辛料がひどく苦手でな。微量でも、料理に入っていればすぐに気づかれる。だというのに…」
料理長は、訝しげに続ける。
「ここ最近、なぜかその香辛料が、納入業者から頻繁に、それもごく少量だけ、他の食材に紛れて届けられるんだ。まるで、誰かが、気づかれないように、少しずつ混ぜ込もうとしているみたいでな。どうにも、気味が悪い」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋を、冷たい汗が伝った。
その香辛料の名前。
それ自体に、毒性はない。だが、私が薬草図鑑で調べた、あの「秘伝薬」の材料と、極めて特殊な条件下で混ざり合うと――。
互いの毒性を、爆発的に増幅させる効果がある、と書かれていたのだ。
犯人は、手口を変えてきた。
私が直接、お茶に毒を盛るのを妨害するため、誰にも怪しまれない「ただの香辛料」として、毒の材料を、屋敷の心臓部である厨房に運び込んでいたのだ。
敵は、私が思っている以上に、狡猾で、一枚上手だった。
そして、私の知らない方法で、着実に、我が君に近づいている。
私は、食材の並んだ棚を睨みつけた。
厨房。ここは、我が君の命を育む場所であると同時に、今や、最も危険な戦場と化したのだ。




