第百二十五話:失われた想い【side:セレスティーナ】
あの日、あなたが目を覚ましてから、数日が過ぎた。
白氷城には、偽りの、しかし、穏やかな日常が戻っていた。イザベラは、王都へ帰るでもなく、なぜか城の練兵場で「筋肉信者」たちと地鳴りのような訓練に励んでいる。その、あまりに場違いな雄叫びだけが、この城がまだ、どこかおかしいのだと、私に教えてくれていた。
あなたの体は、日に日に、回復していった。
だが、あなたの、その心は。
私の、知っている「あなた」は、戻ってはこなかった。
「お嬢様。本日のお茶でございます」
あなたは、完璧な所作で、私にお茶を淹れてくれる。淹れ方は完璧。なのに、その茶には、香りがしない。口に含んでも、味がしない。私の五感が、おかしくなってしまったかのようだった。
以前のあなたなら、「これは、かの有名な薬草学者、パラケルススも愛飲したと言われる…!」などと、目を輝かせて語ってくれたはずなのに。今のあなたは、ただ、完璧な、メイドとしてそこにいるだけ。
私は、たまらなくなって、あなたの手を、掴んだ。
「リリア。…少し、散歩でも、しない?」
私があなたを連れて行ったのは、城の南側にある、ガラス張りの小さな温室だった。ここでは、北国でも枯れない、白い月光花だけが、ガラス越しのか細い光を浴びて、まるで血の気のない顔のように、静かに咲いていた。王都の、あの、色とりどりの花が咲き誇る「雪解けの庭」とは、似ても似つかない。だが、今の私には、ここに、すがるしかなかった。
「…覚えて、いるかしら」
私は、必死に、語りかけた。
「王都で、あなたが、私に、言ったのよ。『伝えなければ、何も始まりませんから』と。…あの時のあなたの言葉が、私に、どれほどの、勇気をくれたか…」
だが、あなたの、その瞳は、ただ、困惑したように、揺れるだけだった。
「…申し訳、ございません。わたくし、そのような、差し出がましいことを、申し上げたでしょうか」
ああ、そうか。
これは、記憶喪失などではない。あなたは、事実として、何があったのかは、覚えている。
儀式は、対価として、あなたの魂から、「事実」ではなく、「事実」に付随する全ての「感情」だけを、根こそぎ奪い去ったのだ。
あなたが、私を救うために、捧げた、その、あまりに、大きな、代償。
私は、その、どうしようもない、事実を前に、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
ガラスの向こうで、空が、冷たい灰色に沈んでいく。温室の空気が、急に、氷のように冷たくなった気がした。
私の、胸が、張り裂けそうに、痛い。
私は、あなたを、救おうとした。
でも、私は、あなたを壊してしまった。
私の、この手で。




